台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

201 我が息子、慶へ。

2013-02-19 06:36:16 | 台湾
私の人生の中で、後悔が一つだけ、あります。
それは、君を失ったこと。
私の責任かもしれません。年中、君たちを裏切っていました。
当時春日部のマンションに住んでいて、君の妹が生まれて・・・・・・。
優が一歳になるか、ならないうちに、君は、わずか六歳で、この世を去ってしまった。
君が今、生きていれば、三七歳。・・・・。
おっとーは、このことだけは、後悔しています。
君の命を犠牲にして、俺は、遊んでいました。
君が発病したのがわかりませんでした。わかったときは、・・・。東京医科歯科病院・・・。そうお茶の水の・・・。
君の最期の言葉未だに、「焼き付いて離れません。」
『お父さん、行っちゃヤダ゜ー。』
これが私が聴いた君の・・・・・・。
今、私は、懺悔の旅、・・・・。台湾で生活しています。お母さんとも、離婚し・・・・。
きみという、息子を持てたことを誇りに思っています。
もう少ししたら、わたしも、そっちに行きます。
私の台湾生活を見守っていてください。私は、あなたを裏切ることは、もうしません。
・・・・・・。

いつか、また、四人家族で旅行しょう。



                                           再見。

ブログ200号記念。  がんばりました。

2013-02-19 02:58:28 | 台湾
 私は、いままで、一度も表彰されたことありません。小学校、中学、高校、大学、教員時代含めて・・・・。
もと、奥さんは、腐るほど持っています。
おれ、本質的に昔から、勉強をあまりしてこなかった。好きだけど・・・。表彰されるには・・・・。
一度だけ、チャンスがあった。中学校時代、成績優秀な人を卒業式前に表彰していた。ところが、俺の年から、どういう訳か、体育の優秀な人は、人だけは、残ったが、成績の人は、なくなりました。だから、一回だけ、壇上に上がるチャンスあったが、昭和42年の葛飾区立双葉中学には、卒業式前の表彰は、体育の人だけ。当時生徒数、一学年、9クラス。四百名近かった。だって、一クラス、45名以内OK。
 この一回。
あとは、ない。逆の、「新聞に載る」「教育委員会からの訓告、戒告」は、たくさんあります。
だから、いいことで・・・。
ない。
しょうがない。六一年間、よく生きている。それだけ。大体、表彰状って、意味ありますか。よく額縁に入れて飾ってあるけど・・・。
もちろん、生徒には、よく表彰しました。
「あなたは、一年間学級委員として、クラス、みんなの為にがんばりました。そこで、その栄誉を讃え、ここに彰します。平成24年2月19日
担任松木治郎。」
 生徒には、与えましたが、私自身は、ありません。大体、卒業証書、とか表彰とか、勲章とかそういう物は、「ワッペン」と同じ。
ワッペンって知っているでしょ。子供の頃、胸につけていた・・・。そうあれと同じ。
もし、私に勲章があるなら、私の教え子。
いままで、何人いたんだろう。一年、二年、三年で与野東は、八クラスとして、三百人。与野東で、約千人。上里中で、六クラスだから、
九百にん。本庄西は、三、四クラスだから、六百、上里北は、四クラス、五クラス。だから、三百。美里は、百人ぐらいか。
全部で、二千九百人ぐらい。そのうち名前も、個性も、家庭も・・・。わかるのは、300人ぐらい・・・。
与野東の生徒は、かなり覚えているが・・・。上里中は・・・。あまりクラス会とないから・・・。
本庄西は、「じん」の代中心。上里北は、早紀とか、中村とか、堀米、やがさき、ウッデーとかの代は、覚えています。もちろん生徒会長の岸君も・・・。美里は、特性の個人だけ。
 だから、この記念号は、私の教え子に対するメッセージ。
「みんな元気か。よし。何は、なくても『元気が一番」」
いいだよ。会社首になっても、自分の命、生命だけは、自分で守れ。今、日本に生きることは、大変。
そんな大変な、日本に生きている、君たちへ。
  「いきれりゃいいさ。」
また、是非会おう。
今度日本には、2月に二六日に沖縄へ。それから、1日に埼玉へ帰ります。是非会いたいもんだ。
室町だけは、連絡します。
                                          再見。

ブログ199  体罰論。

2013-02-19 02:57:30 | 台湾
体罰かいいか、わるいかなどという議論は、ナンセンス。
今の時代、教師は、殴っては、絶対負け。
だって、いまの人たちは、殴られて、育ってこなかった。家庭の中で殴られていないのに・・・。教師がやっても・・・・。意味ない。
だって、今は、保護者が教師を信頼していない。信頼のない時代。
そこに、教育は、ありません。
だから、教師も、言うだけは、言って・・・・。後は、わかっても、わからなくても、
ほおっておいた方がいい。
 緊急事態。目の前でいじめが行われているとか・・・。どうしても、今、教えないと、ダメ・・。そんなことは・・・。
 いじめが起こっているのに、放っておくのは、間違え。それをどのように解決に導くか?何回も、このテーマで、いじめている当事者といじめられている側の保護者を呼んで・・・。本人は、別室。だって、強い連中に、弱い人間が自由に話せるわけないから・・・。
だから、保護者が代弁者。
 いじめている側が素直に認めればいいけど・・・。認めないときは、大変。
だって、いじめている側の親は、まだ、自分の子供を信じている。
だから、教師、被害者の保護者がでっち上げていると主張することもある。
 こうなるともう大変。
いろんな親に会ってきました。子供は、わからないのわかるけど・・・。親は、大人なんだから・・・。最低、保護者がわることが大切。
 それと、この場面にいじめられている当事者が一言でも自分の言葉を言えれば・・・
・・・。普通の親は、大体わかる。もし、自分の子供がいじめられている立場ならと考えるから・・・。
 少し話を変えるが。松井秀喜が昔、自分の親が「いじめる人間には、絶対なるな。また、いじめられる人間にも・・・。」この言葉は、重大だけど・・・。
誰が好きこのんでいじめられる人間に・・・。
おれも昔少しだけ、「いじめられた。」が・・・。何とか払いのけた。それは、力関係を利用した。子供の世界を分析すると、必ず、力関係がある。だから、これを利用して、俺をいじめる奴らが一番恐れている奴を見方にして、いじめから脱した。
 いじめって、本当に大嫌い。いじめる奴の感覚がわからない。
ま、その人は、「人の痛み」がわからない人。いつか自分が逆の立場にならない限り、その人は、変われない。それと、多くのいじめは、楽しい、ひとつの「遊び」。ゲームの世界と同じ感覚。ゲームの中の人間死んでも大丈夫・・・。それと、現実を混同している。俺の痴漢思想になったのと、同じ。自分のしていることが犯罪と気づいていない。恐ろしい・・・。おれは、未遂で良かった。
子供って、遊び、好きだから。大人の世界でも・・・。いじめはある。
日本の社会の特質。外国の人は、ないの?あるけど、日本ほど、しつこくない。
 日本人は。なぜしつこいの。まじめだから。マジメにいじめる。
だから、日本の社会にいじめなくならない。
 早く、人間が自由にいきる権利・個性を認める社会にならなければ・・・。
「世界で一つだけの花」の考え。世界観、人生観がそこに行かなくては、なくならない。 そんな時代来ると思う?来ない残念ながら。ただ言えるのは、理想を失ったら、もっといじめは、増える。
おれは、理想を求めていき続ける。                再見。

ブログ 198 もう、一度振り出しへ。

2013-02-19 01:42:16 | 台湾
 双六と同じ。台湾生活は、振り出しへ。けど、この八ヶ月の間は、決して無駄ではなかった。師範大学では、中国語の基礎・基本を教わり、
まだ、マスターしていないが・・・。たくさんの友達に恵まれました。Sタモ、S,K1<k2<k3、井口さん、忍者ハットリ、・・・・。
友達は、一生の財産になります。お金は、使えばなくなるけど、友達は、・・・・。いつまでも、付き合うことできます。
 双六は、いつも自分で作って遊んでいました。だって、昭和30年代当事一人で遊ぶ物は、・・・・。ない。だから、暇だったから、紙とサイコロさえあればできる双六を作っていました。兄貴達は、兄貴で何かしてたから・・・。一人遊びで・・・。
この振り出しは、大歓迎。いいだよ。少し遅れても、別に急いで、中国語マスターする必要は、・・・、ある、一人で半年、じっくり取り組みます。
 昨日の夜、寝られませんでした。十二時に前に床に入り、別途に横になっても、・・・。頭が作動し・・・・。三時半で一回起きて・・・
もう起きちゃえ、・・・。それでも、横になって、『明日は、久しぶりの授業だ。』と・・・・。
 ところが、起きたら、十二時。もう授業は、終わっている時間・・・。今日の目的は、テスト、授業、食事・・・。
そうだ。食事だ。タクシーに乗り、十分で・・・。師範大学へ。料金も、170元。安かった。
どうにか、食事の仲間には、迷惑欠けなかったが・・・。
 昨日、夜セブンイレブンでテスト勉強したのは・・・何だったんだ。大体、こんなもん。あれほど、準備して望んでも・・・。
 昔、埼玉県の教員試験に、遅れたことを思い出しました。だって、俺の受験番号、117番と覚えてそこに座っていたら、同じ受験番号の人が来ました。そんなわけないだろうと思って俺の番号見たら、もう一つ1が余計にありました。俺の番号は「1117番」。
焦ったよ。すぐにタクシーに乗り、その1117番の会場へ。もう十五分遅刻。そして、試験している最中、「糞」がしたくなり、トイレへ。
 そんなことしていても、埼玉県の試験は、合格しました。
私の自慢は、今まで、大学の単位を一度も押ししたことない。試験で落ちたのは、現役の時、埼玉大学の受験へ・・・。
後早稲田も落ちたか。
 師範大学のテストに合格できませんでした。精一杯、やったことは、やった。<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/67/7ee87493bfceb41f33443f3f8f6ec45b.jpg" border="0">
人間落ちることもある、落ちたら、もう一度勉強すればいいだけ。
俺は、もと「落研」だから。自分に「オチ」を自分で・・・。

もっと、もっと、勉強します。今度の先生は、ふたりとも、年寄り。千恵さんは、75歳。りゅうさんは、62歳。
やはり、俺のような年寄りは、年寄りから教わる方が・・・・。
けど、1月1日にした、決心は、忘れません。{没关系}
人間って、自分の決めたことは、自分に誠実に守ります。ブログの何番だったか、忘れました。けど書いたことは。覚えています。
 また。治郎が宮本武蔵に変身する日を楽しみにしてください。
明日は、もう学校へ行く・・・・?。わかりません。
朝次第、朝きちんと起きられれば、行きます。その時の流れ・・・。
                                                   再見。