台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

502 ブログ502 ブロの仕事

2013-05-27 01:11:52 | 台湾

仕事発見伝というテレビ番組でタレントがいろんな仕事に挑む番組。南沙織の息子がホテルマンに挑む番組。八日間さまざまな仕事に挑戦。最初は、朝食・夕食の席の案内係。簡単そうに見える仕事だが、そのホテルは、一日千人。稼働率98%。別府温泉の有名なホテル。千人が、食堂で食事をするのだから、引き切り無しに客は、来 る。谷側、山側にそれぞれ分けて、案内。常に客の目線に気配り。スタップ全員が振るに、活動。たくさんの食材。飲み物。あらゆる物に、気を配る。朝食は、四時間。正に戦争。
 夕食も同様。そして、仕事終了間際。客が二三組。上の人から「片付けの指示」自己とをしていると更に上の人から、何故お客さんがいるのに片付けをするのだ。それを見たお客さんは、どう思う。常に『お客さんの目線で仕事しなくては』と注意された。
 三日目からは、今度は、彼が、スタッフに指示する仕事。これは、超難しい。全体の流れを読み、全体に気を配る。途中から、少し先輩の助け。三日で指示を出せることがすごい。四日目は、もう一度指示係。結構やりこなしていた。彼のと適応能力の高さ。
 後半は、温泉のイルミネーションの演出仕事。実に美しい。こんな温泉に私も行ってみたいと思ったほど。私は、そんなに温泉は、好きではない。その私が入ってみたいと思う位なかなか見事な、ひとつのショウを見ている感じ。時間にしたら、十五分ぐらいか。
霧を出すのが彼の仕事。風を読みながら、風向きを計算して、霧を出す。最初風が強く、うまくいかなかった彼が焦り。思いが通じたのか、風が止み、いつもの演出が出来る様になった。一日何回かやるようだ。実に良くできたホテル。泊まりたいと思うのも無理は、無理はない。一流というのは、こうあって欲しい。
 お客さまは、一期一会。その一晩は、帰ってこない。その想い出作りに、影の人間としての演出。影になり、最高のサービス。参考の演出。
 客仕事の方には、見て貰いたい番組。私は、昔。通い詰めた雀荘。スタッフ、オーナーも大好きなのだが、麻雀しているそばで、オーナーが従業員を叱る。しかも彼の性格だから、バリバリと大声。聞いている客は、また始まった。と思うだけだけだが、私は、好きでないので、休憩した時に注意したことがある。客の居る前で、注意するのは、気分良くない。
仕事を忘れに来ているのに、仕事場にいるようになってしまう。オーナー、いろいろ言いたいことあるだろうが、ブロに徹した方が良い。と言ったことがある。
 けど、このオーナーには、無理でした。1週間もつが、再び。まさに性格。このオーナーの。仕事だとを切れないようだ。もうこの人には、言っても無駄。それでも、この店が大好きだったから、結構通い詰めた。彼は。プロでないだけ。
 いつもこのプロという言葉には、あこがれとこだわりがある。私は、努力はしましたが、
一流には、成れなかった。目指すだけでも良い。
 どんな仕事にも「プロ」は、いる。さすがと思うことをやる。淡々と。それが一流。
ま、今度日本語教師になったら、一流プロめざし、努力します。
再見。


501 ブログ 501 去る者を追わない

2013-05-26 00:55:54 | 台湾
最近、ニュースで別れた奥さんを執拗追い、殺傷したという事件が起きた。同様なニュースが後を絶たない。ストーカーとなって、別れた彼女を追い詰め、彼女の実家長崎でおばあちゃん・お母さんを殺す。という事件。
もう、男がこんなに女性化してきたのは、いつのことか。男と女のドラマは、様々あるだろうが、相手が「さよなら」と言えばそれで終わる物。ところが終わらない。本人が納得できずに、あげくは、ストーカーとなり、犯罪者へ変質する。
男女関係の基本は、相互理解と相互愛。これが切れた時点でもう、その付き合いは、終わり。これは、世間の常識と思っていた私には、どうもわからない。執拗に相手を追いかける。
 世代の差なのか。20代・30代の人が持つ特性かもちろん、特別な人。だれでも「こだわり」がある。自分を振るなんて、許せないということかあるのかしれない。けど、何を言おうと、一度切れた「縁」を復縁するのは、難しい。
 大体、大人に成る前に、10代で練習してこなかったのだろうか。
追いかける性格。これが私には、理解出来ない。私も、頼まれてそう言う人間に、説得したことがある。いくら言っても理解しない。この親に言っても、わからない。本人は、相手は、一時的に私を嫌いになっただけで、必ず、自分の必要性を認識するから・・・。それなら、
その時まで、放って置いてくれ。と言って、ダメ。まるで幼児と話をしているような感じ。そう、幼児になってしまったような性格。子供帰りなのか。不安がそうさせているのか。 びっくりするのは、親に話しをしても、何も出来ない。子供を監禁する訳にはいかない。もう「大人」ですから。その大人が「おとな」に成りきれないから、こうして話をしているんだ。子供を説得できない、子供の行動を制止できない。
 結局、相手の職場の上司に言い居ます。オタクが、何も出来ないのであれば・・・。
もちろん、 こっちは、仕事も住所も、携帯も変え避難。大事件になるまで「冷めない」
何なのか。この執拗な性格は、・・・。真面目とは、違う。何かおかしい。親も少し似ている。  
 警察も、普通に話をしているだけでは、らちあかない。動かない。弁護士等を依頼して、初めて、認識して動き出す。この動きは、ニュースでよく知られている。当事者性を全く感じられない。他人事。事件が起きてから、動き出す。事前に動くことが出来ない。なんとも当てに出来ない警察。
男女関係の基本は、相互理解と相互愛。この教育は、学校ですることではない。親が教えるべきこと。自然に育てば、身につける常識。その常識が今、違ってきたのかな。
私は、ストカー事件が起こる度に、親の責任を感じてしまう。他の犯罪についても同様だが、家庭教育の崩壊が進んでいると言うことか。
 残念。けど、人間として、ギリギリの「マナー」「エチケット」を持って欲しいと思う                         再見。

500 ブログ500 もう500号。

2013-05-26 00:40:00 | 台湾
最近は、一日に何回も更新しているから、一つ一つに愛情に欠けている場合がある。
やはり一日一つぐらいで、愛情こめて、書いた方が覚えている。最近は、思いつくことを書き、ご迷惑をたくさん掛けてしまったようだ。
文は,人なりと言うが,前のを読むと、少し懐かしさがあったが,最近のは、自分でも
やりすぎ感がある。乱造すれば良いという物でもない。どうも、私が少し塡ってしまったようだ。最近は、無理せずに、自分の生活感を出せばいいや、たくさんの人に読まれなくても、自分の記念碑ぐらいの感じ。
 一日ひとつ。二つ。反応は,私が日本語教師になれば、身近に聞くことが出来る。
そんな日が来ると,信じて生活しています。ブログを書くことと、中国語の勉強比が六・四から最近は、七・三ぐらいに成ってきた。どうも本末転倒。自分の生活のペースの改善。意識変革が求められて居るのかもしれない 。集団から離れて生活していると、意外と替えるのは、大変。生活総体を改めないとダメかもしれない。
人が生活するのに集団から離れて、生活するといつの間にかどこかズレてくる。軌道修正は、他の人がいれば、容易だか一人だと,つい自己チェックが甘くなる。人の常。
 人に辛く,自己に甘い。
 「言うはやすし、行うは、難し。」ま、そのうちに書くことも言うことも思いつかなくなる時代が来るかもしれない。気づかずに同じ文章を何回も載せるかも・・。その呆けが始まっているのかも・・・。ただ人は、生きて限り何か感じて生活している。それを書けばいい思って居るだけ。読まれる方が、アンタの考えは、もうわかりました。と成るような気がしますがそれも仕方なし。夫婦生活も長くなると、「空気」のようになる。それと同じかもしれない。私のブログは、「空気」 ほど重要な物ではない。生死を決めるほど価値のある物ではない。自分の記録と生徒へのメッセージ程度。
生きにくい現代社会の清涼剤にでもなればしめたもの。なんでこんなに若者が生活しずらい日本になったのかいつもこのテーマが頭から離れない。
それと,最近は,煩悩が少なくなってきている。かってほど、性欲を感じない。自分でもわからない。前感じだことが嘘のよう。嵐が去った後のよう。まだ、来ることだろう。ひとつひとつ自然。リズムがある。それに従って生きている。自分がその欲求を感じなくなっているのも事実。それも自然。成り行くに任せる以外にない。わかった現在ギャンブルしていることが、それを打ち消しているのかもしれない。一つの煩悩は、他の煩悩を打ち消す。とりあえず、治郎流に生きていきます。
 書き続けること。これが大切。その時々の自分の感情・思い。もちろん共感されないものもたくさんあると思います。感性というのは、ひとりひとりみんな違う。だから人間は、面白い。ひとりの人を観察していけば飽きない。それと同じ。みんな真剣にその日その日を精一杯生きている。誰も時としては、休みたくなる,サボりたくなる。そんな思いに私も襲われる。みんな同じ弱い人間。だから強く生きようとする物です。
 500号に思うことは、果たして九月から、日本語教師になっていられるかどうか。
自分のことながら、他の人があることだから、どうなるよら自分でもどんな展開になるか楽しみにしています。
 次に、記念は、1000号。来年まで、つづいているかどうか頑張ります。

499 ブログ499 、花粉症のこと

2013-05-25 02:50:04 | 台湾
もう十四・五年前から五月・六月七月の三ヶ月花粉症に襲われていた。
ある日、突然その症状が現れた。最初風邪だと思い内科に罹ったら、花粉症ですと耳鼻科で検査して貰い「ブタクサ」がその原因であることもわかった。その時は、薬を貰い、処置したが、そかからは、毎年我慢。台湾に生活していると。花粉症のことを忘れていたが、帰国した、その日から鼻水め目の痒みくしゃみが始まった。慣れては、いるがどうもこまったものだ。医者に行けば、多少良くなるのだと思うが面倒臭がりの私としては、我慢しよう。と決めている。
 昼間の内は,我慢出来るが、寝るときに、鼻が詰まり、睡眠が出来なくなるのには、困った物だ。きっと、もっと研究すれば、症状を和らげることは、出来る様になると思う。けど、自分のことになると、研究する気も起きない。もし、子供が、孫がそうなつたら、真剣に考えることだろう。なんとも怠け者だ。我慢さえすれば、去る。その90日は、耐える。日本人のかなりの人が同じような花粉症に苦しんでいることだろう三〇〇〇万人ぐらい。四人に一人。私も、他人の花粉症を他人事のように苦しむのをつい最近まで見ていたが・・。まさか自分がこんな文明病になると思っていなかった。おれも、現代の文明人になった。喜んでいる場合じやないでしょ。そう考えて、あきらめるしかない。
 花粉症のメカニズムの解明が進み、治療法も進んでいることだろう。たばこの禁煙治療も今は、医者で出来るという話。本人に直す気がないのに、医者に行っても意味がない。仕事にも支障がでるようだと、治療する。今、仕事は、無いから・・。
 日本人だけに多いのか、台湾人に花粉症のことを聞いたが,わからない。台湾には、花粉症は、ないのか。そんなことは、ないだと思うが、りゆうさんや知恵さんが無いだけで「黄」さんは、花粉症がありそうだ。年中鼻水流してしている.植物がたくさんある台南、台東に行けば、花粉症は、多いのか。どうも変だ。東京でも埼玉でも,群馬でもどこにいる人も、同じ。アレルゲンの植物が少ないのかもしれない。一番は、日本では「杉」。
この花粉は、実に、すごい。私は,杉花粉でないが、ひどい人は,目の前に花粉が飛んでいるのが見えるという話。特殊能力なのかと思ったが、その気持ちは、わかる。なんでも、苦しみは,当時者しかわからない。
 ニート、引きこもりの方の苦しみは,残念ながら理解することは、出来ても当時者のもがきは、そうでない人には、わかりにくい。
私は、基本的には,大病以外は、人間の自然治癒力を信じている。だから、医者には、滅多に罹らない。37年間で人間ドックは、除いて、20回ぐらい。2年に一回ぐらい。歯医者が一番多いか。内科、外科等は、ほとんどない。最後の年は、珍しく医者に掛からされた。しょうがない。休むための口実探し。病気がないことは、有り難い。たまに身近で病気と闘いながら、生活している方がいらっしゃる。健康でもしんどい,勉強をしている学生さんがいる。健康。これに限る。神様は、仏様は、わたしに健康という何にも代え難い「ありがたいもの」をくださった。これは、私の母・父親 への一番の感謝。
 人間とは、なんともデリケートな生き物。目に見えるか見えないギリギリ物が体内に入り、活動する。最近日本では、鳥インフルエンザ、水疱瘡などが流行っている。時代が進めば、進むほど、新しい細菌が増えてくることだろう。人間も進歩するが、細菌のほうも人間を研究し、新しい菌を投入してくる。どっちが勝つか戦争。人間が自然を壊せば壊せば、自然界の怒りが「細菌」となり、人間に警鐘をくれている気がする。
 人間よ。自然をあまり壊さないで、共存を 心がけないと、自然界が人間にクーデターを起こしてからでは遅い。花粉症ぐらいの我慢なら耐えられるかもしれない。
許してくだされ。自然界の神様。お怒りにならないで・・・。
                       再見。                                        

498 ブログ498 私らの世代は、月光仮面。

2013-05-25 02:41:50 | 台湾
本当に小学生低学年。昭和30年代前半。まだ、私の家にテレビが無かった時代。
テレビは、近所のたばこやさんで駄菓子を買うと見せてくれた。十円玉を貰って,二時間位。その中で大好きな番組が月光仮面。白装束にバイク。悪を退治する。後のガッチャマンとかゴレンジャーみたいなもの。悪を見つけ、闘い、彼らが改心すれば許すというストリーだったように思いました。マンネリであったが当時の私には、全然マンネリに思えなかったのが不思議。小学校1・2・3年生の頃の話。
 当時、テレビの中では、必ず「、悪は、負け正義が勝つ」という単純なもの。ずっと、後に、「水戸黄門」も同様。親父がいつも見ていて、「面白いですか。」と聞いたら「何もいわず、見ればわかる。」と言われた.何度か一緒に見たが中学生で見たが、もうの勧善懲悪の番組には、飽きていた。だって、40~45分に印籠を出し、五…六分のチャンバラ。そして、ハッピーエンド。この単純なストーリーが何が面白いのか。中学生の私には、わからなかった。親父が言うには、正義が勝つ。これがいい。そういうものかと感心したが・・・。
 今、私は、テレビを見ていないから、どんな物が流行り、いまの人達に受けているのかしらない。テレビは、小・中学生位で、余り見なくなっていた。教師時代も、そんなに見なかった。NHKの特集。環境問題。社会問題の番組だけよく見ていた。後は、野球。これは、テレビ放映が大幅に減り、残念。
 私が子供の頃は、大好きだったのが テレビを見なくなったのかわからない。理由は、わからない。ただ自分の生活がテレビに規定されるのが嫌だから。確かにテレビは、見続けると、「はまる」ような面白いものもあるのだろう。
その代わり、「映画」は、よく見た。毎週土曜日か日曜日。たしかやっていた。CSの方も探すと、週に二・三本。二時間位。寅さんシリーズ。釣り馬鹿日誌等もほとんどテレビで。もちろん、二・三ヶ月に一回ぐらい自分一人で映画に行くこともあった。ふたりで行くこともあったが趣味が違うので一人の方が気が楽。
 現実の社会は,必ずしも「勧善懲悪」で無いことも十分に知っているがやはり「勧善懲悪」がいい。単純。正しいことをしている人は、報われる。悪いことをした人は、罰をうける。治郎張は、個人情報をもらしたじゃん。その罪は、・・・。勘弁してください。
そう言うしかありません。今は、生徒のことは,書かない。仮に書くとしたら,誰であるか想定できないように,書くことにします。
 社会構造が複雑で何が正義がわから無くなりがちですが、「真面目に働いて」居る方は、正義でしょ。何らかの不正を働いて稼ぎのは、悪。 いまの社会で不思議な仕事がデイトレダー。会社でやっている方は、わかるが。個人でパソコンを何台駆使しながら、一瞬で一億ぐらいの取引。決して長期間は、持たずに、その日か翌日には、決済。見ていて、その速さに驚く。テレビにドキュメント。「デイトレダー。」と題して、その方の生活を紹介。五百万位が元手で始め、現在の資産総額何十億。人を雇わず、淡々と。
また、生活が質素なのもびっくり。マンションに住み、簡単な食事。取引。常に神経を張り巡らし、緊張。けど、その緊張を感じさせない冷静さ。一日の収支計算。今日は、五〇〇万プラスでした。と淡々。世の中にこんな仕事もあるのかと驚く。レポターがどこで、買い。どこで売る、その基準は、質問した。それはね企業秘密。と答えていた。
世の中が進んでくると,パソコンの中で仕事をこなす方も増えてくる。パソコンで処理・報告。在宅勤務時代が来ているような気がする。共同作業もあるだろうが、個人個人が自分の箇所のアイデアをつくり、それを会社として、採用、不採用。なんともアナログの私には、わかりにくい労働。けど、ドイトレダーも確かに生き残る人には,その技術、判断力があるのだろう。
 私の理解出来ないものもたくさんあるが原点は、月光仮面。単純な「勧善懲悪」社会がいい。もう,時代を遅れを感じながら,生きづらさを感じる今日この頃です。
再見。