台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ117 どうしてこうもドジなんだろう?

2012-12-31 04:25:34 | 台湾
 俺自身、びっくりだって今年最後のブログは、もう書いた、掲載したのだが日付が30日で・・・。
また、やってしまった。日付を見ればわかると思うけど・・・。翌日の分も含めて、載せてしまった。
 ま、いいか。
大体、俺は、自分で書いたものを改めてあまり見ない。けど。たまにこれは、もう載せたかのかどうかわかんなくなり、見るときがある。
そうすると、自分の作った文の誤字に気づく。ま、それも「治郎」張だから。
 よーくそんなんで「学校の先生」やってこられた。
 このブログを書くのだって、最初は、よーくわかんない。今だって、画像の入れ方、人の写真、挿絵の入れ方、等等わからずやっている。
甥っ子に教わったが、忘れた。一回や二回で覚えれらるような、頭があれば、もっと中国語うまくなっている。
 けど、珍しくこのところ、中国語の方は、進歩が自分でわかる。
今日も、Lさんという台湾人とカラオケに行った。Lさんは、俺の中国語の先生。とても、真面目で、いい人。年齢は、俺より一つ上。
 彼のお陰。後は、この勉強を続ける。
そして、?????。
 一杯計画は、あるが一歩一歩歩き続ける。それしかないよ。
若くもないが、年寄りでもない。自分の体に自信のある内は、台湾生活を続ける。
どこかで気力、目標を失うことがあったら、昔のブログを読み返す。
 台湾離れても、「帰るところ」がないだから・・・・。
この半年。いろんな失敗あったが、めけ゜ない。くじけない。いじけない。
われは、われ。自分のペースでしか人は、歩めないものだ。
 それでいいように思う。だって、背伸びしても・・・。どこかで「無理する」と必ずどこかに反動がある。
これを書いている今、どこかで「麻雀」している音が聞こえる。
やりたいと思うが・・・。ギャンブルに狂っていた私としては、ひたすら・・・・。
 この半年、一回も賭け事をしない。できない状態。我が人生の中で奇跡。
15歳位から、麻雀を覚え、その内にパチンコ、それに「オートレース」。46年間よーく遊んできた。
その時間とお金は、もう膨大。じゃそれをしなかったら、?
 それこそ「れば」と「たら」
いいんだよ。自然に生きれば・・・・。
 しょうがない。このドジとあと20年付き合うしかない。
 間抜けな奴だとお思いでしょうが、どうかこのブログがある限り、付きやってやってください。
俺の机の上に「目標」を見失うなと書いてある。
 この目標がある限り、ぼけなければ、いつかたどり着くと信じている。
呆けは、既に始まっているかも・・・・。
 なんだか、最後のブログにしては、全然かっこよくない。
ま、そこが俺らしい。大体、自分のことを未だに「治郎張」などと呼んでいるのは、「アホ」以外何者でもない。
61歳の男が言うことか、ま、すべて俺らしい。
  今年最後のブログふさわしい、内容のないブログになってしまった。来年もよろしく。
                                     再見。

ブログ115 四日間学校が休みになりました。

2012-12-30 00:12:24 | 台湾
 日本と違って、台湾の正月は、旧正月。だから、彼らの新年のお祝いは、2月10日前後。
だから、年末と言っても、特別な感じはしない。もちろん、台湾の有名なタワー。102だっけ、あそこでは、イルミネーション変えたり、花火は、あるようですが・・・。
 俺にとっては、この四日間入りたいやりたいと思っていた温泉へ行ってきます。
後は、少し勉強が面白くなってきたので、復習、予習をします。
 後、教え子に手紙書きたいが・・・・。わかりません。出せるか?
四日間だから。
 来年の夏は、学校へ行かずに、自分で勉強します。それは、二ヶ月あるから,その時は、思い切り、今までしなかった旅行。海。・・・・・・。をします。
 7月~8月一杯。その二ヶ月が俺にとっての、一番長い休暇。夏の台湾は、日本人が考える以上に暑い。もう経験したので、あのけだるい時期に授業受けるのは、少ししんどい。
それと、日本からの留学生が沢山来て、教室も一杯になる。
日本人が、4割ぐらい。だから、学校全体がせわしい感じ。サマースクール(小・中学生の学校)もあるし・・・・。そうすると、俺の好きな「学生休憩室」が使えなくなる。
 この二ヶ月で自分の中国語のレベルが思ったより上がっていれば・・・。
大学は、卒業しても良い。だって、俺の求めているのは、台湾人に通じるかどうかのレベル。それで充分。仕事には、そんなに必要なさそうだから・・・・。
 だから、予定より早く大学を切り上げて、「日本語の先生」を9月からしているかもしれません。もちろん、雇う側の都合も、それの俺の日本語が教えられるレベルでない場合も・・・・。まだまだ未確定。
 今ね、一番の楽しみは、7月~8月の旅行等・・・・。いつ・誰と。行っているか今から・・・・。
 いろんな楽しみは、あるがその前にはだかるのは、「聴く力」をつけること。前に比べれば、かなりアップしたが・・・。今までが酷すぎた。恐らく、これぐらいのことは、普通の人は、台湾来る前に勉強していた。自慢じゃないが、私は、来るの前は、三つぐらいの中国語しか知らなかった。それから比べれば、進歩したともうが・・・。
 まだせいぜい、幼児レベル。言われて、すぐ返事が返せるときと、どう言っていいのかわからない・・・・。年中戸惑っている。
 先生が「ソンムー、緊張しているの?」緊張しているのでなく、時々、中国語のかんたんな単語わかんなくなるときがある。紙に書いてあるとわかるが、「声」で聞き取れないところが多い。先生も「ソンムーは。「聴力さえ付けば・・・話せる日は近い。」と言ってくれるが 、その時は正直に「忘了」と言ったり、「我説什麼不知道、我聴不懂」という。
そう言うと先生が少しゆっくり俺向きに話かけてくれる 。この聴く力は、急速には、伸びことは無いが・・・。慣れることは、ある。まず、普通の中国語のスピードにまだ慣れていない。早いと感じることが多い。漢字を見るとわかるが話になると・・・・。単語がすぐに漢字へ変換できなくて・・・。慣れなのか努力足りない、能力が・・。そんな理屈は、わかりきっている。自分のやり方で少しずつ、少しずつ、上るつめる以外にない。
 そして、上りりつめたと思ったら、思いっきり「台湾人女の人」とデートをしょうと思っている。
 いつになることやら。また、私の妄想が始まりそうなので・・・。
                                                    再見。

ブログ112 限界への挑戦

2012-12-27 00:27:43 | 台湾
 私がかって、担任した男で「I」という男が居た。
彼は、バレーボール部に所属し、部長もしていた。成績は、中より上、上の下位と記憶している。彼は、現在三十代後半かな。そう、もう二十年も前の話。
 彼の好きな「言葉」は、限界への挑戦。
彼は、いつも真面目に、しかも、教師から見て、痛いほど勉強・クラブ・クラス活動にいつも一生懸命。
 彼の家へ家庭訪問して、「なるほど」と頷ける。お母さんも超真面目。その日は、あえなかったが、お父さんも彼とそっくり同じタイプ。弟は、すこし違っていたが、家族みんな真面目。それが超が付く位に全員真面目。だから、私のテストは、簡単だから、彼には、いつも「5」を与えていた。だって、彼の不器用さがわかる。
 歴史は、得意中の得意。単純な暗記である程度までとれるから ・・・。
数学が一番苦手。
 俺は、いつも彼を評価していた。なぜなら、この学校には、「真面目に努力する」という風土・将来大学まで行こうとする人が少なかった。もちろん、現在ではない。
20年以上の昔の話。(まして、県下でも、勉強の苦手な生徒が多いので、有名な学校。)
現在は、違っていると思うので、・・・。
読者の皆さんは、どこの学校だろうって詮索しないで欲しい。一つ個人情報だから。
 その彼が私に相談を持ち掛けてきた。
「何、相談って?」「先生、俺教師になりたいと思うのだけど・・・・。」
「いいじゃないの!おまえの性格は、先生に向いているかも・・・」「先生、ホントにそう思うの?」「思うよ。お前ほど、真面目な奴は、そういないよ。」
「けど、先生、俺あまり、頭良くないし・・・・。」
「そんなこと無いよ。お前いつも、よく勉強しているじゃないか。」
「俺は、頭良くないから、勉強しているですよ。」
「いいじゃないの?俺だって、同じ、一つだけ、いつの時代も大切なことは、目標を持って生きるって、ことじゃないか。」
「先生ありがとう、頑張ってみる。」
 その後彼が私立高校へ入学し、母校に教育実習にきた。
俺は、嬉しかった。彼が教師になろうと本気で努力していることが・・・。
そして、彼が何回か、教員試験を受け、無事、中学校の社会科の先生になれたことを報告に来た。
 おれは、はっきり言って、「限界への挑戦」という言葉は、そんなに好きでない。
俺の生き方は、無理せず・自分のペースでゆっくり・ゆっくり前へ進む。
 だから、俺は、いつも途中下車して、遊びながら・楽しみながら生きてきた。
俺が自分で限界へ挑戦したのは、中学2年~高校3年まで。この五年間だけは、自分の
生き方を変えて精一杯何事にもぶつかった。結果は、一所懸命やっても、やらなくても、大して、変わらなかったかもしれない。
人間というのは、「何にこだわるか」で大分違う。俺は、物事にあまりこだわらない。
だから、進歩も少ない。その代わり、あまりストレスもない。
 どっちがいいか、わからん。俺は、本質的に「ストレス」に弱い。だから、いつも、
あまり、めいっぱい仕事をしない。生徒は、大好きだが、基本的に5時過ぎたら、教師は、終了。アフター5に生き甲斐を持っていたタイプ。
 みなさんは、ストレスとどう向き合っていますか?
                                  再見。
  

ブログ111  「G」は、偉い。

2012-12-26 01:36:06 | 台湾
 私の同級生に「G」という女性が居ます。彼女は、二人の女の子の母親。
彼女の中国語私より、断然上。彼女聡明。はっきりしている。ちゃきちゃき。
彼女は、主婦であり、母親かつ大学生。とても美人。(若い頃は、もっと綺麗だっただろう。年齢は、30後半~40代前半。)
今日は、クリスマス。昨日、私は、彼女から、「ビスケット」をクリスマスプレゼントとして、貰ったばかりなのに・・・。今日は、彼女の同級生に全員に作って持ってきてくれた。
 「謝・謝」独り身の私としては、とてもとても「心温まる」プレゼント。
これだけで、彼女が立派な母親であることがわかる。
自分の子供たちと、「ケーキ」をつくり、たくさんの料理を自分の子供と(?)やったのではないか?!
 人には、それぞれ役割がある。
俺は、・・・・・・。あまり、父親としての役割をしてこなかった。なぜ?だって、俺の父親は、確かに働き者。尊敬するくらい、仕事をしていた。だから、私は、父親というのは、働いて金を稼ぐ。あまり、細かいことは・・・教えなくて良い。確かに我が家は、兄貴たちが細かいことを注意してくれた。だから、私は、父親というのは、「仕事」して、子供を養えば後は、育つと思っていた。
 現在、私には、一人娘がいます。彼女から、徹底的に私は中学生の頃、嫌われていました。なぜ?それは、私が父親としての「役割」を全くしていなかった。だって、治郎ちゃん「せんせいでしょ?」「そう、俺は、学校では、先生していたが・・・・。家では同居人程度・・・・。」彼女の教育は、98%母親が育てた。だから、彼女には、俺は、自分の好きなことばかりしている人。お母さんを泣かして・・・・。我が家では、喧嘩すると母親と娘が一味で俺がひとり。
 だから、俺は、喧嘩になるときは「黙る」ことで嵐が過ぎ去るのを待つ。
後15分我慢しょう。そうすれば、この喧嘩は、終わる。それぐらい、父親としての役割を果たしてこなかった。そして、都合悪くなると「演技」していた。怒ったふりする(?)
俺が怒ったふりすると二人は、黙る。もちろん、家族を叩くことは・・・・・。していないと思うが・・・。あまり、記憶はないが・・・。娘に聞けば・・・。
大体、加害者は、すぐ忘れる。被害者は、記憶の奥底にのこっているもんだ。
 その当時、俺が一番遊んでいた時期。パチンコ・麻雀、オートレース。
俺にとって、時として家族より「自分の遊び」を優先していた。
典型的なのは、暮れの大掃除。暮れの私の仕事は、ガラス磨き・庭の花・植木・とにかく外回りが俺の仕事。大体、1時間ぐらいしていると、もう、「オートレース」やパチンコに行きたくなる。だから、掃除始まるのが、8時だとすると、9時半には、俺は家にいない。奥さんも・娘もいつものことだから、何も言わないが・・・・。
俺は、Gのお母さんぶりを見て、改めて私の奥さんに感謝。なぜなら、彼女は、母親と父親の二人分の役割を果たしていた。申し訳ない。
 こんな父親にしては、すばらしい「娘 」が育ったものだ。
今は、一緒にお酒を飲めるような「仲」になったが・・・・。
ごめんなさい。こんな父親で・・・・。
今度生まれ変わったら、父親の役割を精一杯果たすようにします。
Gさん、ありがとう。親父としての自分の足りなさを改めて感じさせてくれました。

                                  再見。

 ブログ108 ある障害児との想い出

2012-12-23 00:45:03 | 台湾
私の後半は、障害児教育に関わっていた。もう、成る前から、免許は、取ろうとしていた。半分位行ったところで、県がたくさん免許取りたい人がいるので、一年間待たされた。そこで、止めていた。初めて、担任した子は、今年二十歳。成人式。
 本当は、誰よりもかの成長を祝なくて成らないのに・・・。保護者には、謝罪しておいた。前回帰ったときも、電話もしなかった。前回は、ひとり、二人以外電話しなかった。 私が担任した子は、脳性麻痺で生まれ、小さい頃は、すこし歩けたようだが・・・。
私が持った頃は、もう車いすですべてのことをしていた。頭は、普通。いろんなことを教えるとすごーくよく覚えた。春・夏・秋・冬の俳句を覚えあって、競争でカードを取り合った。体以外の機能は、ほとんど健常の子供と変わらない。あるとすれば、すこし緊張すると「声が出なくなる。」声が出なくても、私には、彼の声がよく聞こえた。
スポーツが大好きで、特に、ジャイアンツのことは、何でも知っていた。もちろん、私も「ジャイアンツ」フアンなので、よく野球の話をしたもんだ。そう言うときの彼は、声もしっかり出て、顔も活き活きとしている。
 この子には、たくさんのことを教わった。体が不自由でも人間としての感情・情緒・
知能等は、充分発達するということ。得意なものに向かうときは、夢中になれる。
何より、この子は、「人の心を読むのに優れていた。」私がどんな気持ちで居るか、この子は、知っていていつも優しく包んでくれた。先生それって、逆じゃないですか?
そうなんだよ。この子の方が、俺より人の心を読むのに長けていた。
 不思議だよ。だから、人間は、本質はみんな同じだということ。外見は、ハンデが
あるかもしれないが、こころとか頭は、しっかりと発達する。
 現在彼は、私の家、近所の自立支援施設に通っている。夏祭りの時、彼の施設を訪れたことがあった。そこでも、かれは、職員に「野球」の話を一生懸命していた。彼は、周りの人にお世話になりながら、強かに生きている。
 「だいじょうぶ、此奴は、強い」と俺に充分感じさせてくれた。
この子のお母さんには、大変お世話になった。お母さんは、全然「苦労」を感じさせず、
たんたんとこの子の話を聞いたり、彼の身辺の世話をしていた。自分の子供が障害を持つことを自然に受け入れ、生活している。できた親だといつも思っている。
もうすぐ正月。せめて、お祝いのことばを送って彼の成長を祝おう。
きっと彼のことだか、年末の格闘技のことで、頭が一杯だと思う。
格闘技の雑誌を買って研究していることだろう。彼は、どんなスポーツだろうと、
研究しないと気が済まない、そんな性格。
 本当に、この子が「障害あるのか?」疑いたくなるくらい、よーく知っている。しかも、
カタカナの外国の選手よーく覚えている。頭いい。俺は、「カタカナ」あまり好きではなく、ひらがな・もしくは、漢字にしないと頭に入らない。
 だから、現在も、この時代遅れの「ひらがな入力」
彼の方が、「パソコン」は、詳しかった。俺は、わからなくなると、彼に聞きながら、何度も、操作した。正解。
 惜しい。彼が、・・・・。優秀。
今度帰ったら、たらふく彼の好きな肉を食べさせるぞー。
 U待っていろ。たーのーしーみーに。
                                    再見。