台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

1000 ブログ1000  若者たち。

2014-02-04 00:37:02 | 台湾
君の行く道は、果てしなく遠い、だのに、なぜ君は、いくのか?
「若者たち」私たち、60代の人は、みんなこの歌を知って居ます。
あの、60年代末から70年代に青春時代のあった人は、・・・。
田中邦衛さんいい味を出していた。
妹の佐藤オリエ。かわいかった。今彼女何をしているのか、しりません。
山本圭は、わたしがあこがれた人です。
髪型も、真似していました。
全然彼の方がかっこいい。『帥』です。
わたしは、彼の足元にも及びません。
一番末っ子の松山省二も。 英太は、亡くなりましたが・・・。
みんな良い俳優でした。
わたしは、このドラマは、あまりにも、わたしの家の環境に似ていたので・・・。
勘違いするほど、良くできたドラマ。
また。歌が実に良い。あの声・・・。わたしら、生きた世代としては、堪らなく好きでした。
「若者たち」。達は、確かひらがなだったように思います。
なんだろう。この物語のテーマは、・・・。
貧乏の中でも、必死に生きる、真面目に生きる、家族が協力して生きる・・。
その時代時代の矛盾をうまく含みコミながら、物語が進んでいたように思います。
 この歌の中にある、「なぜ君は、いくのか、そんなにしてまで。歯をくいしばり・・・」この歌と、物語がいつもダブルのです。
 この60年代の必死さ、ひたむきさ、を失わずにこの平成26年2月4日(火)以降も
生き抜いていきたい。きっと、まだまだたくさんの失敗に出会うことだろう。
わたしの生きて居ることが時台遅れになりつつ有ることを感じながら、これからも、人ととしての「情」「お節介」を大切にしながら、生き抜いていきたいと思います。
 どんなに時代が移ろうが、流れようが、人としての「情け」だけは、いつまでも持ち続け生き抜きたいと思っています。
        長い間ありがとう。
さようなら。

999 ブログ999 あの不幸が・・・、いつか想い出として・・・

2014-02-04 00:30:54 | 台湾
わたしが生きて居る時代最大の不幸は、なんと言っても、3、11今年で三年目。
もちろん、ご家族を亡くさせた方は、いつまでも、記憶に残る、忘れることが出来ない出来事。
わたしは、すべてのことは、時間がこの不幸を癒してくれることを願っています。
わたしの生きて居る間にたくさんの事件・事故がありましたが、この3、11は、規模が違います。日本航空の事故とか地下鉄サリン事件とか色々事件は、ありましたが
この東北三県の人達が、再び元気になることが日本の元気を取り戻すことにも繋がります。亡くなられた方々も、天国で、家族がどうなっているか心配していると思います。
かつて、阪神淡路大震災の時も神戸の復興を願っていました。神戸は、見事に復活しているようです。
 福島、宮城・岩手に住まわれている皆さんも、震災前以上にそれぞれの暮らしが復活されることを切に望みます。

 この復活を誰か「映画」にして、日本国中の人達に、「俺たち、わたし達は、こんなにがっぱっている」 というメッセージを送って欲しい。わたしの生きて居る間に、是非東北三県の「元気印」を見て見たい。 今も様々な後遺症に悩まれてる方も多いとお聞きしています。

確かに、何時間かのドラマで一瞬にして、多くの家、ご家族、財産等有りとあらゆるものを奪っていった震災。忘れろと言って、まだまだ傷が癒えないと思います。
時間とお金を掛ける以外に、方法がない。それと,日本の人達の暖かいメッセージが
・・・。もしかしたら、凍り付いた心を溶かすこともあるかもしれません。

 どうか、めげたくなるようですが、「明日」という希望の日を作り上げるために、
今日精一杯生きてください。そして、また、走り出せる日がくると信じています。
 私ら同じ日本人として、その日本人としての「絆」だけは、しっかり持ち続けたいと思っています。言葉での応援しか出来ませんが、近いうちに、東北三県を訪れ、さらなる復興を願ってやみません。
頑張ってください。
 
                    再見。

998 ブログ998 わたしの人生に影響を与えた映画。

2014-02-04 00:01:40 | 台湾
映画は、昔から大好きでした。子供頃は、20円でみられました。
今は、最低千円。
高いか安いかは、その作品次第。
わたしが好きだったのは、やつぱり「人間の条件」仲代達也主演。
いままで、五回ぐらい見ました 。けど、11時間位見るのは、とても重労働。
いつも途中で寝てしまう自分が居ました。新宿や池袋で、上野でも。
大体全部見おえたことは、ありません。長ーい作品ですから。
後は、フランキー堺の「わたしは、貝になりたい」
これは、中学生の頃、偶然、テレビを見たら・・。そして、いつの間にか、引き込まれている自分がいました。
 なんと言っても「寅」さんの「男は、つらいよ」。全部は見ていないと思いますが、
三十本ぐらいは、見ています。何が好きって、悪人も登場せず、善人ばかりの喜劇。
同じく山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」。
これはねあまりにも有名ですが・・・。
最後のシーンと警察に捕まり、渥美清が助けるところが好きでした。
桃井かおりと武田哲也のやりとりも。
昭和の名映画の一つだと思います。
 台湾に来て「おしん」 を見ましたが、橋田壽賀子という人の人間性がよく現わされている。台湾に来て。初めて日本人の辛抱強さ・逞しさを教えてくれたドラマでした。
とても長いドラマですが、世界中にこのドラマが紹介される理由が初めてわかりました。
 子供の頃は、森繁久弥の「社長漫遊記」が大好き。三木のり平
どちらかというと喜劇の方がわたしの性格に合うのだと思います。
「ET」とか「スピート」とかアクションものも好きでした。
やくざ映画は、余り見ませんでした。高倉健とか鶴田浩二は、やくざ路線が終わってから好きになりました。
映画というのは、一瞬にして、別の世界に連れて行ってくれます。
とても魅力的な産業だと思います。残念ながら、世界の誇る作品が少ないのが残念。
映像産業は、一つヒットすれば、ものすごく外貨獲得に有効です。
 あと二十年。わたしが感動する映画に出会いたいものです。
再見。

997 ブログ997 今日は、節分。

2014-02-03 16:45:40 | 台湾
わたしが初めて、キス・接吻をしたのは、いつの頃か?
確か、高校生の夏だった様に覚えています。
もちろん、幸ちゃんや雅代さんではありません。
 名前は、秘密。
どうして、そうなったのか、わからないうちに、お互いの唇に・・・していました。
若かったのだと思います。
若いと言うことは、「性への衝動」が強いですから。
彼女は、とても可愛い人でした。
 愛してもいなかった。彼女も、わたしを愛していません。
男と女。
 不思議です.そう言う行為をしている間に、別の愛が芽生えてきます。
本質は、愛のない行為は、お互いしたくないものです。
  愛がなくても、そう言う行為は、できるものです。
だから、互いに、お互い愛し合っているという錯覚を起こさせるように激しくむさぼり合いました。
それから、何人の人と・・・。したのか忘れました。
 
今は、・・・。キスは、孫にしたい。
孫は、可愛いと思います。毎日、なめ回しそうです。

 もうしばらく。そう言うこととは、遠ざかっています。
もう歳ですから。
相手が許せば・・・します。
けど、・・・。強姦とか痴漢行為は、嫌です。
そう言うことは、一度もしたことありません。
和姦が一番。
 生涯、キス・接吻・節分をしていくだろう。
再見。

996 ブログ996 大学時代の友達。

2014-02-03 15:58:09 | 台湾
わたしにとって、大学というのは、「落語研究会」に入るためのものでした。
ここでわたしは、「人間」とは、「芸」とは、「貧乏」とは、「どもりである」と言うことは、・・。ともだちとは、たくさんのことを学ばせてくれました。
もちろん、すべて身体で覚えたことです。
 身体を通して、学んだことは、いつまでも忘れません。
落語家がいつでも、「落語」が話せるのは、必死になって、自分の芸を磨いたから・・・るわたしのレベルは、みがくと言うほどのレベルではありません。
かじったと言う程度。
けど、それを通して、生きる喜びを人に与えることも出来ました 。
そう言う意味では、「落語」は、わたしのバイブル。
教科書。何となく、間が抜けたような自分がそこにいました。
もちろん、わたしより、落語のうまい奴は、たくさんいましたる
松沢、標、福田、雄ちゃん、本多、いとう。酒井

挙げればきりがありません。わたしよりへたな人間を捜すのが大変でした。
いなかったかもしれません。
いいんです。落語がヘタでも、働ければ。落語がヘタでも、麻雀が強ければ
いいんです。・・・でも。
この生き方は、わたしのこの後の人生の考えの基本。
誰でも苦手があります。それを他のもので補えば・・・る
落語研究会の仲間は、本当に暖かい人達でした。
とくに、『石井』という人物は、わたしに安心感・安らぎを与えてくれた人物。
初めて、自分より、不器用な男に会いました。
まるで「寅」みたいな奴でした。現実社会には、中々適応できませんでしたが・・・。
とても「ユニーク」な発想する奴でした。
それと、よく女の子に振られていた。これもわたしによく似ていました。
彼のアパートにいるだけで心安らいだ日々を過ごしたように思います。
 四年間で、四ヶ月ぐらい一緒に生活してようにに思います。
だって、彼の家に行けば、飯は、ありつけたし、麻雀したり、ギャグ考えたり、
楽しいことばかりでした。
 一つだけ嫌なことは、一緒に風呂屋に行くこと。
彼の逸物は、すさまじくでかい。
わたしは、日本人で、このでかい逸物は、・・・。
アメリカで、「エロビデオ」を見た時、彼を超える黒人がいると言うことを確認しました。

 今となっては、すべて「走馬燈」のようなよもやま話です。 再見