の、おはなしがFaceBookにUpされていた。
わしの知る、小梨平のヌシとは別人だと、、思う。
画伯も、小梨平に約1Tの荷物を運び込み、10月まで居座り続けるらしい。
わしらのであったヌシは、、山や出身の、、、はず。
やはり小梨平でテン泊し、通りかかる山やを見つけては・・・・
----------------
時に、1980年5月。
北アルプス積雪期縦走。
八方尾根から入山し、後立縦走~針の木、船窪、烏帽子から、裏銀を経て、
槍ヶ岳まで。
9泊10日、の、
下山日。
槍から小梨平まで来たときだ。
川原で手を振るおじさんがいた。
行ってみると、、
「川にビールが冷えてるから、持ってきて飲め」
で、肉を片っ端からじゅーじゅー焼いて、食え、飲め食え、食え。
攻撃である。
「山の話を聞かせろ」
飲み放題、くい放題である。
な、ななな、、なんだ。このおじんは。
小梨平にテン泊一月くらいしてるらしい。
このヒトは、足が悪く、じぶんではここ、小梨平くらいがやっとらしい。
そして、大量の荷は、、、
「荷揚げのヘリに便乗して、上げてる。」
とのことだった。
そのスジのお方だあね。
ユキとイワと氷の世界に10日間もいると
下界のニオイというものと隔絶している世界なのだ。
強烈な肉とビールの洗礼。
われわれの話も、それなりには刺激があったであろう。
鹿島槍、五竜、針の木、船窪、烏帽子、鷲羽、三蓮、双六、槍。
居酒屋Jinの原点やもしれぬ。
五月連休の上高地は、既に観光地化していた。
われらの鼻に、、、
女性の化粧のニオイは、、、、
刺激的すぎた。。。。
| Trackback ( 0 )
|