実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

「篠原池」は旧新堀川です!

2013年11月17日 | 日記

隊員NO.5いくので~す

11月16日(土)1330分から行われた加賀市観光ボランティア大学

16回講座 宇吉郎の世界と篠原古戦場-科学の心と歴史の心-」に

参加してきました。

今回は、片山津の枷場達雄さんや山口美幸さんにガイドしていただいて、

加賀の源平合戦の歴史を語る首洗池や実盛塚、「中谷宇吉郎雪の科学館」を

見学しました。そして、今日は、篠原新町の実盛塚のすぐ近くにある「篠原池」を

見学してきましたので、篠原池」についてレポートさせていただきます。

篠原池」は、明治44年~大正4年にかけて、柴山潟の水を日本海に流すために

つくられた旧新堀川がもとになった人口の池です。柴山潟の水は、かつて今江潟・

木場潟など「加賀三湖」の水と合わさって小松市の安宅海岸に流れていました。

しかし、安宅海岸の河口が冬の季節風が運ぶ土砂によってふさがり、柴山潟周辺の

水位が高くなり、水没する被害が深刻だったため、柴山潟から直接日本海に水を

排出する運河を6年にもわたる工事をへて掘ったのです。

しかし、工事が完成したのも束の間、皮肉にもこの旧新堀川の完成を祝う式典が

あった日の夜、この河口も安宅海岸と同様に、日本海の荒波が運ぶ土砂によって、

あっという間に塞がってしまったのでした。

それから40年後の昭和29~39年にかけて今の新堀川の建設が行われました。

この工事は、「国営加賀三湖干拓建設事業計画」とよばれた大規模なもので、

過去の反省を踏まえ、長い導流堤を設けて、いまの新堀川を完成させました。

旧新堀川は、新しい新堀川の完成により、その役割を終え、今は「篠原池」として、

柴山潟歴史を伝える遺産となっているのです。

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