隊員NO.6れいなで~す
加賀市観光ボランティア大学第10回講座で、九谷町の古九谷窯址を見学させて
いただきました。
古九谷をめぐっては、「古九谷産地論争」というものがずっと続いていて、古九谷が
佐賀県の有田町で焼かれたのか、それとも石川県のここ九谷町で焼かれたのか、
長年議論されているそうです。そしてその結論は出ていないそうですが、
そもそもここ九谷町で、江戸時代の初めに磁器が焼かれていたこと自体すごいこと
なのだそうです。
講師の田嶋正和先生は、「日本では、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって、朝鮮半島から
陶工・李参平が連れてこられ、肥前有田で磁器の原料・磁石を発見したことから、陶磁器
の生産が始まりました。それまで、日本人は磁石を砕いて、磁器を作る技術を知らなかった
のです。硬くて叩いたときに金属音がする良質の磁器は江戸時代の初めには、
最先端技術品であるとともに、人びとがあこがれる高価な品物でした。
この時期に日本で生産されたとわかっている磁器は、佐賀県の有田焼・岡山県の姫谷焼・
そして九谷焼の3つだけなのですよ。今は人里離れた山深い場所にしか思えない九谷ですが、
江戸時代初めは、日本の最高水準の技を持った技術者がいる最先端地域だったのです。」
そして田嶋先生は、
「九谷周辺からは、磁器の素地の原料となる良質な陶石が見つかっただけでなく、絵の具の
材料となる鉱物も豊富でした。赤や黄色の原料・鉄、紫の原料・マンガン、緑の原料・銅など、
九谷五彩に必要な色のうち、紺青の原料・コバルト以外はすべて採れました。そして、ロクロで
木を削る木地師や鉄を溶かす工人などの技術の集積も、九谷での磁器生産を可能にしたと
考えられます。」と解説してくださいました。
顧問の先生は、よく「古九谷は、わたしたち加賀市に住む者のアイデンティティかもしれません!」
っていわれています。
今回の古九谷窯址訪問は、古九谷の歴史を知るとてもいい経験になりました。