隊員NO.2ゆきちで~す(^_^)v
6月4日(火)の課題研究の時間、錦城山に登って、加賀市教育委員会文化課
主事の戸根比呂子さんに大聖寺城跡発掘調査の現場をご案内いただきました。
今回わたしたちがめぐったルートは、登り口→本丸→二の丸→西の丸→鐘が丸→
東丸でしたが、いくつもの戦国時代につくられた土塁や空堀の跡を見ることができました。
土塁の中には高さ2~2.3mもの高さのものもありましたが、全国的にみても
大きい部類にあたるそうです。
途中(1)「東虎口調査区」、(2)「櫓(やぐら)台調査区」、(3)「北虎口調査区」を
見学することができました。「虎(こ)口」とはふつう天守閣が築かれる本丸への入り口
のことです。
(1)「東虎口調査区」には「鏡石」といわれる2m四方もある巨石がありました。
「鏡石」は虎口の石垣に埋め込まれる飾り石のことで、侵入者への威圧、城を守る
おまじないの意味があったそうです。それにしてもどうやってこんなに大きな石を
山の上まで運んだのでしょうか?
(2)「櫓(やぐら)台調査区」では、石垣が3段分残っていることが分かっています。
「櫓台」には天守閣があったと推定できますが、残念ながら今回の発掘調査では
その痕跡が確認できなかったそうです。また「櫓台」北側の斜面には数多くの石材の
散乱が確認されているそうです。これは1615年に「一国一城令」が発令された際、
徳川幕府の警戒を解くため徹底的にお城を破壊した痕跡ではないかというお話でした。
(3)「北虎口調査区」では、二重枡形虎口と呼ばれるつくりが確認できます。
これは道をわざわざ折れ曲がるように作って敵の侵入を防ごうとした跡だそうです。
錦城山には「馬洗池」という池があって、戦国時代には苦労せず水を確保できました。
つい最近までこの「馬洗池」には水があったそうですが、現在は枯れていました。
戸根さんのお話のおかげで、ふつうに歩いていたのでは、気づかないようなことも
しっかり勉強できました。戸根さん、本当にありがとうございました。