隊員NO.2りかで~す!
加賀市片山津出身の物理学者・中谷宇吉郎は雪の博士としてだけではなく、
「雪は天から送られた手紙である」という美しい言葉を残したように、
随筆家としても著名です。
学校の図書室に『中谷宇吉郎随筆集』(岩波書店)がありましたので、
『立春の卵』について調べるために、参考にしました。すると、この本の中には
大正・昭和初期の加賀市のことがかいま見れる素敵なエッセイがたくさんありました。
『私の生まれた家』『西遊記の夢』『簪を挿した蛇』『九谷焼』などの作品を読むと、
宇吉郎が生まれた片山津や幼少期を過ごした大聖寺の日常的な風景や
当時の九谷焼にかける人たちの一途な思いが、まるでなつかしいアルバムを
一ページずつめくっているように感じられました。
『・・・小学時代の片山津は、片側が薬師山、今一方の片側は、柴山潟という湖にはさまれた、
一本道の村落であった。私の家は、呉服雑貨店をやっていて、・・・』(『私の生まれた家』より)
『・・・その頃の加賀の旧い家には、まだ一向一揆時代の仏教の匂いが幾分残っていた。
・・・老母は、仏壇の前にきちんと坐って、朝晩お経をあげていた。・・・』(『西遊記の夢』より)
『石川県の西のはずれ、福井県との境近くに大聖寺という町がある。其処(そこ)に錦城
という小学校があって、その学校で私は六年間の小学校生活を卒えた。・・・小学校のすぐ
後ろは、・・・錦城山という山であった。・・・其処には、簪を挿した蛇だの、両頭の蛇だのが
いるという噂があった。・・・』(『簪を挿した蛇』より)
『私は小学校に入るために、八つの春、大聖寺町の浅井一毫という陶工の家に預けられた。
その頃七十幾つかで、白い髭を長く伸したよい爺さんであった。毎日、三方硝子戸の
暖い室にきちんと坐って、朝から晩まで絵を附けていた。・・・」(『九谷焼』より)
『簪を挿した蛇』のなかで、宇吉郎は「本統の科学というものは、自然に対する純真な
驚異の念から出発すべきものである。不思議を解決するのが科学ではなく、平凡な
世界の中に不思議を感ずることも科学の重要な要素であろう。」と述べています。
中谷宇吉郎の「科学する心」は、日常の中に不思議をたくさん感じることができた
大正・昭和初期の加賀の風景の中でこそ、養われたのだと思いました。
『私の生まれた家』昭和36年4月1日、初出『朗』(朝日新聞社刊『中谷宇吉郎随筆選集』3)
『西遊記の夢』昭和18年1月1日、初出『文藝春秋』(甲鳥書林刊『樹氷の世界』)
『簪を挿した蛇』昭和21年12月1日、初出『文藝春秋』(甲文社刊『楡の花』
『九谷焼』大正13年11月21日、初出『理学部会誌』(『冬の華』)
(おまけ)
バージョンアップした加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!』をご覧下さい!
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