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「米欧回覧」百二十年の旅 岩倉使節団の足跡を追って・米英編

2020-12-21 18:46:50 | ヨーロッパあれこれ
「米欧回覧」百二十年の旅
岩倉使節団の足跡を追って・米英編
泉三郎 著
図書出版社 発行
1993年3月31日 初版第一刷発行

〈米国編〉

1871年の12月23日、誕生後間もない明治政府は、廃藩置県という大手術の直後にもかかわらず、新しい国家の設計図を求め、不平等条約改正の下交渉も兼ね、大使節団を米欧に派遣する。
使節の構成
岩倉具視(右大臣)、木戸孝允(参議)、大久保利通(大蔵卿)、を筆頭に
伊藤博文、山口尚芳、福地源一郎らの若手官僚
8歳の津田梅、25歳の中江兆民らの留学生
など100名を超える大旅行団

この企画は、お雇い外国人のオランダ系アメリカ人、フルベッキの発案とされている。
そして大隈重信や伊藤博文の提案が具体化していく。p26-27

岩倉具視はアメリカ上陸以来アメリカ人の親切な歓迎ぶりに驚くとともに大変気をよくしていたが、とりわけ自分がもてることに気づいていた。
しかし、それは大使という職分と自身の人間的な魅力によるものと思っていたに違いない。
しかし息子によれば、もてるのは何よりもその珍妙な髪型やエキゾチックな和装のせいであって、それはむしろ見世物的好奇心の対象であり、文明開化を標榜している日本国の大使としては恥ずべきものだというのである。
それを聞くや岩倉具視は思い切りよくバッサリと髷を切り、洋装に一転してしまう。
これについては、息子たちに言わせたという説が有力
また津田梅子ら振り袖姿の少女たちも洋服姿に変身してしまう。
こうして首都ワシントンを前にしてシカゴでその日本流を放擲してしまう。

使節が旅した1872年のアメリカはちょうど大統領選の年であった。
公の選挙で人を選べばいかにもよかろうと思うが、必ずしもよい人材が選ばれるとは限らない。しかも議論が沸騰してきて多数で決すれば往々にして愚策の方が採用されることとなる。
民主はいいけど逆に官に権威がなく、法で縛るのがいいが活社会を妨げることになる。
人々は往々にして私権をむさぼり賄賂が横行する。p131

アメリカ建国二百年の歴史を前半の百年と後半の百年に分けると、岩倉使節は前半の成果を見、私たちは今後半の結果を見ていることになる。

〈英国編〉

「回覧実記」にある銅版画を頼りに現地に行ってみれば、拍子抜けがするほどにその風景は変わっていない。百年というときは英国にきた途端急にしぼんでしまって、つい昨日のようにさえ思われる。p205

木戸孝允と大久保利通は英国の公式行事以外に、ロンドンの恥部ともいえるイーストエンドの視察に出かけている。
そのころの英国は国全体としては未曽有の繁栄の中にあったが、富める者はいよいよ富み、貧しきものはいよいよ貧しい状況にあった。
カール・マルクスの描いた資本主義の矛盾そのものの世界がそこにあったといってよい。
資本論の第1巻が出たのは1867年でありその改訂版が72年であったから、マルクスはその頃大英博物館の図書室でこの現実と闘いながら執筆に取り組んでいたのかもしれない。

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