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ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

パリとアヴィニョン 第二部 アヴィニョン 教皇庁の再編 第一~三章

2023-10-22 20:56:20 | フランス物語

 

第二部 アヴィニョン 教皇庁の再編

第一章 問題のありか

ペトラルカや聖カタリーナ、ヴィラーニなどイタリア人によるアヴィニョン教皇庁への強い反発 

その一方、ローマにあっては、伝統的なローマ市貴族の支配下で実質上の教会運営を妨げられていた教皇は、新天地アヴィニョンで、はじめて統治機構においても、現実の統治においても、本来の力量を発揮しうるようになった。

しかも十四世紀のヨーロッパ政治においては、教皇がローマではなくアヴィニョンに在ることが、良好な結果をもたらした。教皇ボニファティウス八世とフランス王うフィリップ四世との紛争の事後処理、バイエルン朝ドイツ皇帝と教皇との紛争、十字軍の再興要請、英仏百年戦争などの国際情勢において。

 

論点

・キリスト教会における政治としての権力の行使

・政治上の行政運営の組織

・教会政治全体を成立させている組織原理

・キリスト教の教説にかかわる知

 

アヴィニョン教皇庁における明確な集団

・教皇とその近親者グループ

・枢機卿集団

・書記局をはじめとする主要実務官僚グループ

 

第二章 事件の時代史

1 アヴィニョン時代

クレメンス五世は、アヴィニョンを恒久的な所在地と考えたわけではなく、また当初から執務所が専有されたわけではない。

ひとえにアヴィニョン(地方)滞在という既定事実の固定化によって、「アヴィニョン教皇庁」なる概念が可能となっていった。

 

2 ボニファティウス時代の清算

 

3 フランス王の監視

フランス国王の意のままに操縦される教皇というイメージが形成された。

しかし、実際には南フランス・プロヴァンス地方は、王権の中心たるパリ盆地からは隔たっており、王権の圧力は恒常的とはみえなかった。

ことに、クレメンス五世についでヨハンネス22世が登場すると、教皇庁はフランス王とは距離を置いた独自の政策をとるようになる。

 

4 教会組織整備と集権化

ヨハンネス22世の治世とともに、制度上の整備が急速に着手される。

 

5 職禄政策と財政

6 不満と抵抗

7 皇帝との関係

8 異端の続出

9 思想上の対立

10 ナポリ王国

11 イタリア政策

12 英仏関係

13 黒死病と農民反乱

十四世紀のヨーロッパ史において、もっとも重大な衝撃となったのは、黒死病の襲撃であるといえる。

その到来の後、ヨーロッパ諸国は、大規模な農民反乱にみまわれた。

 

14 十字軍と伝道

15 消費と祝祭

イタリアの著作家たちが、悪意をこめて形容したように、アヴィニョンは栄華を極め、バビロンを思わせるような物質的繁栄が現出した。奢侈と祝典とが、アヴィニョンをきわだたせた。

 

16 ローマ帰還

ローマ帰還後、「教会の大分裂」が1378年から1417年にわたって出現し、カトリック教会に深刻な分裂をもたらす。

 

第三章 構造と機能

1 教皇

2 教皇私局

3 教皇財務局

4 ロタ法院

キリスト教会における実質的な最高法院として、13世紀後半から姿をあらわした。

ロタとは、審決員が円卓(rota)に座して討議するところから名づけられたものといわれる。

 

5 枢機卿

枢機卿には個々について公的執務に必要な書記生、書字生が割り当てられるが、更に私的な多数の奉公人もかかえていた。

枢機卿は個々にも、教皇のミニチュア版を形成する。これは前アヴィニョン期のローマではありえないところであった。

 

6 教皇書記局

7 教皇聴罪局

8 都市アヴィニョン

1177年と1185年のあいだ頃に、アヴィニョン城下にローヌ川をまたぐ橋が、ベネゼ橋が建設された。

ローヌ川対岸は、十三世紀初頭以降、王領地だった。ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンはベネゼ橋の西詰にあるが、フランス王がアヴィニョンに圧力を加える際の拠点として利用された。

 

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パリとアヴィニョン 西洋中世の知と政治 樺山紘一 著 第一部 パリ フィリップ四世王政府

2023-10-21 20:13:15 | フランス物語

 

パリとアヴィニョン

西洋中世の知と政治

樺山紘一 著

人文書院 発行

1990年3月30日 初版第一刷発行

 

題名は「パリとアヴィニョン」という曖昧なものになっていますが、具体的な内容は

・1285年から1314年のパリにおけるカペー朝のフィリップ四世王政府

・1309年から1377年のアヴィニョンにおける教皇庁

という二つの組織とその主要人物を、詳細に取り上げています。

小説家ならこういう史料から物語を紡ぎだしていくのでしょうね。

 

第一部 パリ フィリップ四世王政府

第一章 問題のありか

フィリップ四世期に官僚制形成過程が成熟に達した四点

・官僚団が数的に成長したばかりか、固有の組織と意思決定機構を持つ集団として姿を現した

・官僚団の多くが、行政上の専門知識を身に着けている

 ローマ法学をはじめとする法学上の知識、技術を習得し、これに基づいて中央、地方を問わず国王行政に参与する人びとのことをレジストとよびならわしている。

・官僚団のイデオロギー的側面が問題となる

・官僚たちの個々の社会的出自と境位

 

第二章 事件の時代史

1 国王と王家

2 外交的諸関係

3 教皇庁の教会政策とフランス王権

4 フランス教会

5 内政と財政

 

第三章 構造と機能

1 国王とその家族

2 国王家政

3 国王顧問会

4 高等法院

5 会計院

6 地方行政

7 パリの勤務空間

 

第四章 人間たち

1 慣習法の集成 フィリップ・ド・ボーマノワール

2 大書記官長 ピエール・フロート

3 練達のイデオローグ ギョーム・ド・ノガレ

アナーニ事件

1303年、教皇ボニファティウス八世が、ローマの南東、アナーニの別荘に滞在するのに狙いを定めて、教皇に直接、談判を持ち込んだ。

二、三百名といわれる兵士が別荘を急襲し、フランス国王の要求をつきつけた。

 

4 明晰なレジスト ピエール・ド・ベルペルシュ

5 分裂する忠誠 ジル・エスラン

6 王権の至上性 ギョーム・ド・プレジアン

7 改宗ユダヤ人 フィリップ・ド・ヴィルプルー

8 解放農奴 ラウル・ド・プレスル

9 法官僚の財政策 ピエール・ド・ラティイ

10 南方(南フランス)からの登用 ポン・ドームラ

11 法曹一族 モルネー家

12 大宰相への道 アンゲラン・ド・マリニ

十四世紀前半のある時期に成立したと思われる諷刺詩『フォーヴェル物語』は、マリニの没落の状況証拠とみなされる。

13 財務官たち

14 ユートピアの構想 ピエール・ド・デュボワ

デュボワはレジストとしては凡庸であったが、政治的著作は多数にのぼり、しかもユニークな性格をもっている。

 

第五章 補遺と総括

 

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ストラスブール中央駅いまむかし

2023-07-10 20:24:46 | フランス物語

 

 

ストラスブール中央駅の今昔です。

一枚目は2000年に撮ったもので、二枚目が現在の姿です。
もともとこの駅は1889年、ドイツ帝国時代に建設されました。
そして2007年にファサードの前面にガラス張りの覆いがつくられました。
「国境で読み解くヨーロッパ」では、TGVの乗り入れに伴い、ドイツとつながっていた過去を消したかったのでは、という邪推をしていましたが、本当のところはどうなのでしょう。

まあ、古さを残しながら、新しさを演出する、という点では、このような改築は理想的な方法だったかもしれません。

 

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ユトリロ作「シャルトルのギヨーム門」(都市風景画を読む より)

2023-06-30 20:35:27 | フランス物語

 

上の絵画は、ユトリロによる「シャルトルのギヨーム門」です。1914年に描かれました。

ユトリロは印象派の画家ではないのですが、彼のパリの作品群のように、この本の題名にある「都市風景画」にはぴったりの画家です。本の中でも、多くの作品が扱われていました。

自分もほぼ同じ場所から写真を撮っていました。

ギヨーム門はユトリロの時代は、まだほぼ完全な姿で残っていたようですが、第二次世界大戦中、1944年8月15日から16日にかけて破壊されました。

残念な話ですが、それはそれで廃墟の美といった趣があります。古代ローマの水道橋遺跡を思い出します。

シャルトル観光案内所の㏋によると、再建の計画もあるそうです。

ただ、再建されると、大聖堂がこの角度からは見えなくなりそうです。

どういう計画になるのか気になるところです。

 

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コロー作「アヴィニョン、教皇の城(ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン)」(都市風景画を読む より)

2023-06-29 20:47:02 | フランス物語

 

この絵画はコロー作「アヴィニョン、教皇の城(ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン)です。1836年の作品です。

著者は題名に「ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン」とあることから、アヴィニョンの街からそこを目指します。

アヴィニョンからレンタル自転車を借りて、ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンに向かいましたが、丘陵地区であるせいか、チェーンが外れたり、タイヤがパンクしたりして大変だったそうです。

しかしどうも、そこからの風景はこの絵画とは違っていたようです。

題名に誤りがあったようですね。

あきらめて、アヴィニョン旧市街に帰る途中、エドゥアール・グラディエ橋の中央地点あたりからの構図が近いとわかりました。

半年後、改めて調査すると、視点場は下の地図の矢印の起点だということが判明しました。

自分がアヴィニョンを訪問した時は、徒歩で橋を渡り、フィリップ美男王までたどり着き、教皇宮殿を眺めました。

しかしそこで力尽き、夕方だったこともありヴィルヌーヴ・レザヴィニョンへの道は諦めました。

もし再びアヴィニョンに行く機会があったら、ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンのサン・タンドレ要塞から教皇の城を、教皇を支配し監視し守ろうとする気持ちで眺めてみたいです。

 

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