Trousseauが癌と血栓症との関連を記載して以来、それは臨床医学における重要なテーマの一つとなり、数多くの研究が積み重ねられることになった(N Engl J Med 2003; 349: 109-111)。そして現在では、進行癌に多く、患者の予後を左右することはもちろん(N Engl J Med 2000; 343: 1846-1850)、癌の発現に先行することさえあるため、とくに危険因子を有していない症例や、下肢以外の部位に静脈血栓がみられるなど非典型的なものでは慎重な評価を必要とすることなどは広く認識されているところだろう。さらに血栓形成傾向をもたらす機序についても、癌細胞に反応して単球やマクロファージ系の細胞から放出されたTNFやIL-1、IL-6などのサイトカインが血管内皮を障害することに加え、血小板、凝固因子を直接・間接に活性化することが明らかにされている。しかも、血栓形成を誘発するのは癌そのものばかりでなく、抗癌剤やG-CSF・エリスロポエチン製剤などもリスクになりうることに注意が喚起されているのは案外知られていないことかもしれない。とりわけ懸念されているのは最近肺癌に対して適用が認められたbevacizumabで、出血とともに血栓性の副作用が無視できず、血栓性微小血管症(thrombotic microangiopathy; TMA)をも誘発しうると報告されているのである(N Engl J Med 2008; 358: 1129-1136)。言うまでもないことだが、このTMAは血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)や溶血性尿毒症症候群(HUS)などを包括するカテゴリーで、警戒を怠るわけにはいかない重大な病態だ。これら以外にも、中心静脈カテーテルの留置もそれ自身、あるいは感染症を介して血栓を形成しやすくすることはここで改めて確認するまでもないだろう。
さらに、近年明らかにされてきたのが、抗リン脂質抗体(biological false positive for syphilis、lupus anticoagulant、anticardiolipin antibody、anti-beta 2-glycoproteinⅠ antibody (β2-GPⅠ)など)の関与である。脳血管障害や深部静脈血栓症など全身の動静脈に病変がみられ、とりわけ肺梗塞、腎障害、副腎障害、腸管血栓症、脾血栓症は予後を悪化させるという。もちろん、抗リン脂質抗体を有する症例がすべて血栓症をきたすわけではなく、抗リン脂質抗体症候群(APS)の診断基準を満たすのはそのうち一部に過ぎない。もともとAPSはSLEに合併するものとして記載され、一般にもそのように認識されていると思うが、実は頻度は少ないものの、その他の自己免疫疾患や原発性のもの、さらには感染症例にも見られることが知られている。そして癌に合併したものも少なからず報告されているのだ(Semin Arthritis Rheum 2006; 35: 322-332)。それだけなら、癌患者での血栓形成傾向に寄与する一つの因子と考えておけば済む話だけれども、時に劇症化するもの(catastrophic antiphospholipid syndrome; CAPS、南アフリカの医師の名前にちなみAsherson’s syndromeとも呼ばれる)があることに注意を促しておきたい。
このCAPSはAPSの1%未満を占めるに過ぎないが、極めて短期間の間に多臓器不全を呈し、高率に死に至ることから多くの研究者の興味を惹いているものだ。国際的な登録事業も行われ、そこで検討された250例のうち70%は女性で、平均37歳(7~76歳)、基礎疾患を有していないprimary APSが約46%を占め、SLEに合併したものは40%であった(Ann N Y Acad Sci 2007; 1108: 448-456)。驚くべきことに約半数は血栓症の既往がないde novo CAPSとして発症している。また、約60%の症例に先行因子(主に感染症)があるというが、肺生検や歯科処置など侵襲の度が軽い手技でも誘発したと報告されており、注意が必要だろう。臨床所見は主に、血栓の生じた臓器やその程度、そして侵され壊死した組織から過剰に放出されたサイトカインに依存する。血栓の影響は腎障害として現れるものが70.6%と最も多く、ARDS(Ann Rheum Dis 2006; 65: 81-86)や肺塞栓などの肺病変(63.9%)や、脳梗塞、脳症、痙攣、脳静脈閉塞などの脳症状(62%)がこれに続く。心合併症も51.4%にみられ、僧帽弁や大動脈弁などの病変が多く、心筋梗塞で発症するものも25%と決して少なくない。Livedo reticularisや紫斑、皮膚壊死などの皮膚合併症も50.2%でみられ、しばしば腹痛で発症しているように腹部臓器も高頻度で侵される。卵巣や子宮、精巣の梗塞などsimple/classic APSではみられず(Rheum Dis Clin N Am 2006; 32: 575-590)、副腎不全についてもCAPSに特徴的な所見であると記載する教科書もある(Kelly’s Textbook of Rheumatology 8th ed. Saunders 2009年)。一方、ARDSは血栓によらずに発現しうるとされTNF-αやIL-1、IL-6、macrophage-migration inhibitory factorなどのサイトカインは脳浮腫による意識障害や心筋障害にも関与しているという。
CAPSの診断については、複数の臓器障害が1週間以内に発現し、抗リン脂質抗体の存在と病理組織学的に血栓を証明することを基本とする基準が提案されている。感度90.3%、特異度99.4%、陽性適中率99.4%、陰性適中率91.1%と極めて優れていることから、診断のプロセスの中でもっとも重要なのは本疾患の可能性を念頭に置くことだと思われる(Rheum Dis Clin N Am 2006; 32: 575-590)。鑑別すべき疾患としてTTP、HUS、malignant hypertension、heparin-induced thrombocytopenia(HIT)、HEELP症候群、marantic endocarditisが挙げられているが、TTPとは対照的にSchistocyteの出現は少ない。また、検査所見として血小板減少が60%以上の症例にみられ、しばしばDICの診断基準も満たすという。TTPやHITの診断法としてADAMTS-13活性、抗platelet factor 4-heparin複合体抗体(抗PF4-heparin抗体)の測定が可能となっており、日本の臨床でより使用しやすい診断基準案を示している研究者もあり参考になる(日臨免会誌 2005; 28: 357-364)。
癌患者に血栓症を合併した場合、APTTを指標にしつつヘパリンを使用するのが一般的だろう。しかし、APSに関してはそれ自体でAPTTが延長するという問題があり、さらに、悪性腫瘍そのものがヘパリン治療による出血の高リスク群であることが知られている(肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断、治療、予防に関するガイドライン、2009年改訂版、日本循環器学会ホームページ)。それ以外にも未分画ヘパリンにはいくつかの欠点があるため、今後は低分子ヘパリンを選択する機会が増えるものと予想される(N Engl J Med 2003; 349: 146-153)。CAPSではさらにステロイドを含む免疫抑制療法や血漿交換などが併用されているものの半数以上の患者は死の転帰をとっているのが現状で、満足すべきものではない。一方、癌に対する治療により抗リン脂質抗体が消失した例もあり、原疾患をコントロールすることの重要性が示唆される。
今回に限らず、学生時代に教えられた知識とその後のつたない経験だけではすでに時代に落伍していることを思い知らされるテーマには事欠かない。“行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にはあらず”、この言葉は今も厳然として真理である。臨床上の疑問に直結した論文が世界中から毎日のように報告されていることを思えば、10年もすればもはや以前の常識が通用せず、20年でむしろ誤謬と化していたとしても不思議はない。とすれば、医学知識の更新を自らに課すことのない臨床医は危険でさえある。そう思えばこそ、大陸の東の沖にある小さな島国のさらに片隅にあっても、最先端は無理かもしれないが、せめて昨日のことくらいは知っておきたいと望まずにはいられないのだ。けれども、情報の絶対的な量に圧倒され、自分の能力のなさに打ちのめされているというのが実情であり、あとで過ちに気づき、冷や汗をかいたことも一度や二度ではない。現実の世界では、うわべを取り繕うことに汲々とし、見苦しい姿をさらしながらもがいているのである。(2010.3.23)
さらに、近年明らかにされてきたのが、抗リン脂質抗体(biological false positive for syphilis、lupus anticoagulant、anticardiolipin antibody、anti-beta 2-glycoproteinⅠ antibody (β2-GPⅠ)など)の関与である。脳血管障害や深部静脈血栓症など全身の動静脈に病変がみられ、とりわけ肺梗塞、腎障害、副腎障害、腸管血栓症、脾血栓症は予後を悪化させるという。もちろん、抗リン脂質抗体を有する症例がすべて血栓症をきたすわけではなく、抗リン脂質抗体症候群(APS)の診断基準を満たすのはそのうち一部に過ぎない。もともとAPSはSLEに合併するものとして記載され、一般にもそのように認識されていると思うが、実は頻度は少ないものの、その他の自己免疫疾患や原発性のもの、さらには感染症例にも見られることが知られている。そして癌に合併したものも少なからず報告されているのだ(Semin Arthritis Rheum 2006; 35: 322-332)。それだけなら、癌患者での血栓形成傾向に寄与する一つの因子と考えておけば済む話だけれども、時に劇症化するもの(catastrophic antiphospholipid syndrome; CAPS、南アフリカの医師の名前にちなみAsherson’s syndromeとも呼ばれる)があることに注意を促しておきたい。
このCAPSはAPSの1%未満を占めるに過ぎないが、極めて短期間の間に多臓器不全を呈し、高率に死に至ることから多くの研究者の興味を惹いているものだ。国際的な登録事業も行われ、そこで検討された250例のうち70%は女性で、平均37歳(7~76歳)、基礎疾患を有していないprimary APSが約46%を占め、SLEに合併したものは40%であった(Ann N Y Acad Sci 2007; 1108: 448-456)。驚くべきことに約半数は血栓症の既往がないde novo CAPSとして発症している。また、約60%の症例に先行因子(主に感染症)があるというが、肺生検や歯科処置など侵襲の度が軽い手技でも誘発したと報告されており、注意が必要だろう。臨床所見は主に、血栓の生じた臓器やその程度、そして侵され壊死した組織から過剰に放出されたサイトカインに依存する。血栓の影響は腎障害として現れるものが70.6%と最も多く、ARDS(Ann Rheum Dis 2006; 65: 81-86)や肺塞栓などの肺病変(63.9%)や、脳梗塞、脳症、痙攣、脳静脈閉塞などの脳症状(62%)がこれに続く。心合併症も51.4%にみられ、僧帽弁や大動脈弁などの病変が多く、心筋梗塞で発症するものも25%と決して少なくない。Livedo reticularisや紫斑、皮膚壊死などの皮膚合併症も50.2%でみられ、しばしば腹痛で発症しているように腹部臓器も高頻度で侵される。卵巣や子宮、精巣の梗塞などsimple/classic APSではみられず(Rheum Dis Clin N Am 2006; 32: 575-590)、副腎不全についてもCAPSに特徴的な所見であると記載する教科書もある(Kelly’s Textbook of Rheumatology 8th ed. Saunders 2009年)。一方、ARDSは血栓によらずに発現しうるとされTNF-αやIL-1、IL-6、macrophage-migration inhibitory factorなどのサイトカインは脳浮腫による意識障害や心筋障害にも関与しているという。
CAPSの診断については、複数の臓器障害が1週間以内に発現し、抗リン脂質抗体の存在と病理組織学的に血栓を証明することを基本とする基準が提案されている。感度90.3%、特異度99.4%、陽性適中率99.4%、陰性適中率91.1%と極めて優れていることから、診断のプロセスの中でもっとも重要なのは本疾患の可能性を念頭に置くことだと思われる(Rheum Dis Clin N Am 2006; 32: 575-590)。鑑別すべき疾患としてTTP、HUS、malignant hypertension、heparin-induced thrombocytopenia(HIT)、HEELP症候群、marantic endocarditisが挙げられているが、TTPとは対照的にSchistocyteの出現は少ない。また、検査所見として血小板減少が60%以上の症例にみられ、しばしばDICの診断基準も満たすという。TTPやHITの診断法としてADAMTS-13活性、抗platelet factor 4-heparin複合体抗体(抗PF4-heparin抗体)の測定が可能となっており、日本の臨床でより使用しやすい診断基準案を示している研究者もあり参考になる(日臨免会誌 2005; 28: 357-364)。
癌患者に血栓症を合併した場合、APTTを指標にしつつヘパリンを使用するのが一般的だろう。しかし、APSに関してはそれ自体でAPTTが延長するという問題があり、さらに、悪性腫瘍そのものがヘパリン治療による出血の高リスク群であることが知られている(肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断、治療、予防に関するガイドライン、2009年改訂版、日本循環器学会ホームページ)。それ以外にも未分画ヘパリンにはいくつかの欠点があるため、今後は低分子ヘパリンを選択する機会が増えるものと予想される(N Engl J Med 2003; 349: 146-153)。CAPSではさらにステロイドを含む免疫抑制療法や血漿交換などが併用されているものの半数以上の患者は死の転帰をとっているのが現状で、満足すべきものではない。一方、癌に対する治療により抗リン脂質抗体が消失した例もあり、原疾患をコントロールすることの重要性が示唆される。
今回に限らず、学生時代に教えられた知識とその後のつたない経験だけではすでに時代に落伍していることを思い知らされるテーマには事欠かない。“行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にはあらず”、この言葉は今も厳然として真理である。臨床上の疑問に直結した論文が世界中から毎日のように報告されていることを思えば、10年もすればもはや以前の常識が通用せず、20年でむしろ誤謬と化していたとしても不思議はない。とすれば、医学知識の更新を自らに課すことのない臨床医は危険でさえある。そう思えばこそ、大陸の東の沖にある小さな島国のさらに片隅にあっても、最先端は無理かもしれないが、せめて昨日のことくらいは知っておきたいと望まずにはいられないのだ。けれども、情報の絶対的な量に圧倒され、自分の能力のなさに打ちのめされているというのが実情であり、あとで過ちに気づき、冷や汗をかいたことも一度や二度ではない。現実の世界では、うわべを取り繕うことに汲々とし、見苦しい姿をさらしながらもがいているのである。(2010.3.23)