昨日の高層マンションの話しのづつき.
我が国最初の高層ビルは,1968年にできた,地上36階,地下3階,147mの 霞ヶ関ビル だ.施主は三井不動産,建築施工は鹿島建設であるが,構造設計は,東京大学工学部名誉教授の武藤清先生らによるものである.所謂「柔構造」の耐震建築である.
この武藤先生の「柔構造理論」は,関東大震災でも壊れなかった, 上野の寛永寺 の 五重塔(寛永16年1639年の建築) にヒントを得たものであるのはよく知られている.この「霞ヶ関ビルの建築ストーリー」は, NHKのプロジェクトX にもとりあげられている.
二つ目の高層ビルは,1970年にできた,地上40階,地下3階,152mの世界貿易センタービル(浜松町)だ.そのあとは,新宿副都心にも沢山の高層ビルができた.
私の記憶が正しければ,1968年の霞ヶ関ビルの竣工,東京の高層ビルは,一度も震度5以上の大きな地震を経験していない.たとえ,武藤先生の理論や,その理論に基づく構造シミュレーションと設計が正しくても,実際の建物トータルとして,設計どおりに出来上がっているか?動的な構造や耐力は設計どおりになっているかどうかはわからない.
同じ理論で設計されたいくつかのビルは,阪神の震災の中でちゃんと生き残った.しかし,東京や神奈川,埼玉の建物は,一度も「本番テスト」はしていない.また,阪神の震災でも,実際の施工の違い==工事の実装の出来不出来によって,多くの建物が倒壊したことも忘れてはならない.
大地震で,一度も「本番テスト」されていないのは,最新設計の免震ビルも同じだ.
私がソフトウェアの道に進んだのは,シミュレーションの面白さに取り憑かれたためだ.実験が難しいからこそシミュレーションが行われている.しかし,シミュレーションだけでは判らないことは沢山ある.
我が国最初の高層ビルは,1968年にできた,地上36階,地下3階,147mの 霞ヶ関ビル だ.施主は三井不動産,建築施工は鹿島建設であるが,構造設計は,東京大学工学部名誉教授の武藤清先生らによるものである.所謂「柔構造」の耐震建築である.
この武藤先生の「柔構造理論」は,関東大震災でも壊れなかった, 上野の寛永寺 の 五重塔(寛永16年1639年の建築) にヒントを得たものであるのはよく知られている.この「霞ヶ関ビルの建築ストーリー」は, NHKのプロジェクトX にもとりあげられている.
二つ目の高層ビルは,1970年にできた,地上40階,地下3階,152mの世界貿易センタービル(浜松町)だ.そのあとは,新宿副都心にも沢山の高層ビルができた.
私の記憶が正しければ,1968年の霞ヶ関ビルの竣工,東京の高層ビルは,一度も震度5以上の大きな地震を経験していない.たとえ,武藤先生の理論や,その理論に基づく構造シミュレーションと設計が正しくても,実際の建物トータルとして,設計どおりに出来上がっているか?動的な構造や耐力は設計どおりになっているかどうかはわからない.
同じ理論で設計されたいくつかのビルは,阪神の震災の中でちゃんと生き残った.しかし,東京や神奈川,埼玉の建物は,一度も「本番テスト」はしていない.また,阪神の震災でも,実際の施工の違い==工事の実装の出来不出来によって,多くの建物が倒壊したことも忘れてはならない.
大地震で,一度も「本番テスト」されていないのは,最新設計の免震ビルも同じだ.
私がソフトウェアの道に進んだのは,シミュレーションの面白さに取り憑かれたためだ.実験が難しいからこそシミュレーションが行われている.しかし,シミュレーションだけでは判らないことは沢山ある.