正論 の 2005年 9月号 pp.84-92 に発表された, 水間政憲 氏による「あの周恩来が靖国を参拝していた頃の神田と中国共産党の関係」という記事は勉強になった.
日清戦争後,中国から日本への留学生が増えていたことは以前から聞いていた.1905年には8千600人,1906年に2万人という数字は,当時の交通事情や日本へ渡航する外国人の数を考えれば相当な人数である.
中国共産党 の創立者12名中,初代総書記陳独秀氏を含む6名が,日本に留学している.結果的に,現代の中国政府の基礎を築いた人たちは,当時の日本で,社会主義を含む「近代」を学んでいたことになる.
例えば「中華人民共和国憲法」のうち,「中華」以外の,人民,共和国,憲法は,すべて日本からの外来語であることが,中国の辞書や言語に関する論文からも明らかであるらしい.
現在の中国政府の基礎を築いた一人である, 周恩来 氏が,日清戦争の後に日本に留学し,日清戦争や日露戦争での戦死者を祀る,靖国神社の「大祭」を拝観していたという事実も,公に知られている周恩来氏の日記から明らかだという.
上記の記事の詳細は,正論9月号をご覧ください.
戦後派の現在の中国共産党幹部は,「建国の母」といわれる周氏の日記や創設者たちの経歴,外来語の由来や意味を勉強していないのだろうか?
日清戦争後,中国から日本への留学生が増えていたことは以前から聞いていた.1905年には8千600人,1906年に2万人という数字は,当時の交通事情や日本へ渡航する外国人の数を考えれば相当な人数である.
中国共産党 の創立者12名中,初代総書記陳独秀氏を含む6名が,日本に留学している.結果的に,現代の中国政府の基礎を築いた人たちは,当時の日本で,社会主義を含む「近代」を学んでいたことになる.
例えば「中華人民共和国憲法」のうち,「中華」以外の,人民,共和国,憲法は,すべて日本からの外来語であることが,中国の辞書や言語に関する論文からも明らかであるらしい.
現在の中国政府の基礎を築いた一人である, 周恩来 氏が,日清戦争の後に日本に留学し,日清戦争や日露戦争での戦死者を祀る,靖国神社の「大祭」を拝観していたという事実も,公に知られている周恩来氏の日記から明らかだという.
上記の記事の詳細は,正論9月号をご覧ください.
戦後派の現在の中国共産党幹部は,「建国の母」といわれる周氏の日記や創設者たちの経歴,外来語の由来や意味を勉強していないのだろうか?
概して僕は、孔子を生んだ中国というのは、それだけいい加減だったからだと思っていますが、周恩来は中国史2000年に一度の人物です(大和2000年では空海よりも聖徳太子を押したい)。
僕が出会った10人位の中国人の方も、毛沢東より周恩来を慕っていました。
もう一人、僕が尊敬する、神格化されていない中国人は、孔明です。
さて混迷の日本、周恩来、聖徳太子、空海並の人物は現れるのでしょうか。
北米インディオのとある部族に、この日本には蜘蛛女がいて、彼女がいる間は大丈夫との伝承があるそうです。とすると、次の日本をしょってたつのは、卑弥呼以来の女性かも?
私は,周恩来氏にそれほど思い入れはありません.文革で毛沢東を止めなかった,失脚しなかった,いう意味では彼は,現実主義者でしょう.
毛沢東との違いは,やはり生まれの違いと,日本やヨーロッパのについて生の経験と知識があったことも大きいのではないでしょうか?
私は三国志はちゃんと読んでいないので,孔明のことは,モーニングのマンガ以上のことはしりませんが,大人物だったらしいですね.