--Katabatic Wind-- ずっと南の、白い大地をわたる風

応援していた第47次南極地域観測隊は、すべての活動を終了しました。
本当にお疲れさまでした。

持ち帰り物資荷受け、そして活動終了

2007-04-26 | Weblog
雨がたくさん降って職場裏の竹林ではたけのこがニョキニョキです。
煮物、炊き込みご飯、味噌汁、それから穂先のおさしみ。
なんでもおいしいのですが、私は木の芽(山椒の葉)との和え物がとっても春の香りがして好きです。
子どものころは木の芽なんて香りが強くて大嫌いでした。
いつの間に香りの強いものが好きになったのでしょう?
さて、今日は渡井さんからの最後の便りです。
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2007年4月15日 (日) 曇り 持ち帰り物資荷受け、そして活動終了

今日は朝から極地研に荷受けに向かう。
昨日の最終便のトラックは荷下ろしをせず、荷置きしたままだったのだ。
9時から作業開始。

荷下ろしはトラックの荷台から人力や台車を使って隊員室裏の倉庫に運び込む。
日通の方10名ほどのほかに、47次越冬隊と48次夏隊の観測系隊員が10名ほど、その他に日曜というのに極地研の若手の研究者が手伝ってくれる。
観測責任者が極地研サイドであることも多いので、ちゃんと観測物資を受け取って存在を確認したいという点もあるのだ。

トラックは3台で回しているので間隔が空く。
必然的に待ち時間が多くなる。
待機する場所は隊員室。
1年半ぶりの隊員室は懐かしかった。

1500頃には全ての物資の搬入が終了。
搬出時と比べて随分と倉庫のスペースに余裕がある。
以前は台車が1台やっと通れるくらいの通路幅しかなかったのだが、余裕で2台分のスペースはある。

最終便でようやく自分が担当する全ての物資が到着した。
これで47次隊としての全ての作業が終了した。


冬訓練から始まって2年2ヶ月。
気がついてみればあっという間に過ぎてしまった。
が、この間に成し遂げてきたことはこれまで精魂を込めて行ってきた価値はあったし、またこれからの自分の人生に糧になるであろうことは間違いない。

南極では今までみたこともない自然や生き物を見ることができる。
360度見渡す限りの雪原や、愛くるしいアデリーたち。
また日本にいては普段決してすることができない作業も経験できる。
雪上車の運転や、重機の操作はそうできるものではない。

もちろんこれらは得がたい経験ではあるが、昭和基地での越冬生活においてはこれらからは本当の満足は得られないと思う。
本当の満足は自分の専門分野からしか得られないのではなかろうか。
このことは南極を離れてじわじわと感じている。

自分は47次隊の越冬期間中、自分にしかできない仕事を成し得たと思う。
達成感は十分にある。
でも余力があったのも事実。
自分の持てる力を十二分に発揮して、これからも南極観測に、そして地球環境の解明のために力を注いでいきたいと思っている。


-----本日の作業など-----
・持ち帰り物資荷受け

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「明日で47次の仕事が全部終りだよ」
しらせの荷下ろしが終わり、私物を自宅まで運ぶ車の中で渡井さんは言いました。
ずっと便りでしか知らなかった47次隊の作業を初めて目の前で見たばかりなのに、もう明日で最後なんだと思うと、とても不思議でした。
持ち帰り物資の荷受のあとも、持ち帰ったサンプルの解析や、物資の細かい整理などは続くのでしょうけれど、47次としてのまとまった活動はおしまいなのだそうです。
役目を終えた観測装置や修理が必要なものなど、行く前に比べて余裕があるとはいえ、かなりの量なのだなぁと思いました。
観測物資だけでも、それだけの量が行き来しているのですから、昭和基地での荷降ろしと荷積みはどんなに大変だっただろうと、今更ながら思います。
大量の物資と燃料とマンパワー(体も頭もです)が、南極観測を支えているのですね。
そして、このあと49次隊の出発に向けて物資の準備が着々と行われることでしょう。
すでに49次隊は2月の冬訓練を終え、6月には夏訓練、そして7月には隊員室が開かれて活動が本格的に始まるのだと思います。
本当は、隊員室が始まるまでの密かな?準備も知りたいところですが、それはどなたかがどこかでレポートしてくれるのを待ちたいと思います。

「南極に行くかもしれない」
渡井さんからそう聞いたのが、2004年11月でした。
あれから2年5ヶ月。
記事を書き始めたのが2005年7月ですから1年9ヶ月以上になります。
この間に渡井さんを通して南極と、観測隊をたくさん見せてもらいました。
おそらく顔を見れば毎日嬉しそうに働いていたのだろうと予測がつくのですが、渡井さんから届くメールは、渡井さんらしいなと思うのですが、あまり感情が表に出ないのです。
南極だよりだけでなく、私宛てのメールでも比較的淡々としたものが多いので、何に感動したのか?というのを読み取るのに、はじめはずいぶん苦労しました。
そのなかで、ときおり興奮気味にメールを送ってきてくれたことが何度かあったのです。
それは、アデリーがかわいかったからでも、大陸に沈む夕日がきれいだったからでも、雪上車を初めて運転したからでもありませんでした。
具合の悪くなった観測装置をうまく調整できたとき(メタン測定装置の修理)
思いがけないチューブの亀裂を発見したとき(亀裂発見)
観測装置を管理しているPCがクラッシュしたのを奥から引っ張り出した古いPCを立ち上げることで対応できたとき、(Linux PCクラッシュ)
クラッシュしたPCを修復して予備機として48次に残せたとき(CO2計予備機確保成功!)
塩漬けになってしまったNDIRを分解清掃して帰りのしらせでの観測ができるようになったとき(塩漬けNDIR)
他にもいくつかあるけれど、これらはみな渡井さんが専門性を生かしてやってきたことばかりだったのです。
渡井さんの仕事はモニタリングがメインで、実に地味です。
私は「観測装置のお守り」にどれほどのやりがいがあるのか、初めはよく分かりませんでした。
この1年半あまりの便りでは、確実に観測できるように、いくつもある観測装置をメンテナンスし、数値がおかしくないか毎日目を配り、そしてトラブルにも対応してきたことが語られてきました。
南極では同じ専門の人が何人もいるわけではありません。
日本とのやりとりで対応を相談することはあっても、現場にいるのは一人または数人の専門家です。
専門家の誇りをかけた仕事を見せてもらうことができ、やりがいも仕事に対する思いも知ることができました。
私は渡井さんの仕事でそれを見せてもらったけれど、多くの隊員さんの仕事がそうだったのだろうと思います。
その心意気が南極観測の根幹なのだと思いました。

47次隊の活動は終わってしまったけれど、これからも続いていく南極観測をこれからも応援し続けたいと思います。

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2 コメント

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komennto (nakatatsu)
2007-05-01 07:10:25
48次気象の中村といいます。私も南極の不思議な魅力に惹かれての2度目の昭和基地です。
「専門家の誇りをかけた仕事を見せてもらうことができ、やりがいも仕事に対する思いも知ることができました」
はそのとおりと思います。しかも、多くが南極に憧れ、行ってみたいという目的が同じ人なのです。仲良くならないわけがありません。大変ですが充実した日々を送っています。
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nakatatsu(中村)さま (み・くり)
2007-05-03 01:34:05
中村さん、初めまして。
コメントをいただきありがとうございます。

観測隊員の心意気というのでしょうか、仕事に懸ける思いや南極という地で勝負している姿は本当に感動します。
先日、といってももう1ヶ月ほど前ですが、47次の気象隊員さんから「測候精神」という言葉を聞きました。
みなさん50年前から南極で誇りを懸けて仕事をされてきたのですね。
48次隊35人の越冬がすばらしいものになるよう、毎日webカメラを見ながら祈っています。
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