戦争、そして戦争準備のための軍備拡大というものは、企業体が力なき市民たちから財産や命を奪い私腹を肥やすための手段です。しかしそれはあからさまにはされません。
企業体が支配する政府やメディアによるプロパガンダにより、ナショナリズムや脅威感が煽られ、市民たちは国同士の対立であると思いこまされます。そして「国」を守るため、「自由」や「民主主義」といったイデオロギーを守るため、という口実に乗せられて、本当は一番守るべきもの―自分や自分の愛するものたちの命や財産―を、国や企業体のために貢がされる仕組みなのです。
数々の戦争体験からこの原理を見抜いていて、第一次大戦後から声を挙げていたのが、スメドリー・バトラー将軍でした。彼による本、War Is A Racket (「戦争はいかがわしい商売だ」)を読むと、この歴史の教訓がありながら人間は再び世界大戦を起こしてしまったという現実を突きつけられます。特に、核兵器をまだ知らないバトラー将軍が最後の方に発する警告には、胸を揺さぶられます。
そして、偏狭なナショナリズムや排外主義がまん延し、それを抑制するどころか助長させる政府を選んだ今の日本でこそ読まれるべき本だと強く思います。2005年に沖縄のジャーナリスト、吉田健正氏が出した本『戦争はペテンだ―バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定』(七つ森書館、下方写真参照)には、バトラー将軍の本の全訳が掲載されているので、吉田さんと出版社の許可をいただき、ここに紹介できることになりました。
http://peacephilosophy.blogspot.com/2013/02/smedley-butler-war-is-racket-japanese.html
この「いかがわしい商売が」現代社会では形を変えて、経済覇権である
「貿易協定」という名に変えて行われている。
ナショナリズムというのは、どのような形態の国であれ、資本主義国は
言うに及ばず、例えば社会主義国でも、共産主義国でも共和国でも存在
する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ナショナリズム
そもそも自己の所属する民族という考え方が、旧時代的な考え方で
考古学や人類の歴史からいっても有り得ない思想であり、全くナン
センスなのだ。
アメリカ人は、そもそもアメリカという土地に各地から集まった多くの
民族の混血社会であり、集まる以前からそれぞれの土地でも既に混血な
のである。
日本人が単一民族であるなどという考え方は、それこそ地球の大陸が
時代時代で移動していることなども含め、全く現実を理解しようとしない
無知からくる、思想とも呼べないものなのだ。
水田稲作というものが、まるで日本独特の農法であるかのような大きな
勘違いは、特に日本の右翼と呼ばれるような人々が無理矢理信じ込んで
いるものなのだ。
アベ政権とこれを支えている人々は右翼とか保守などと呼ばれているが
彼らの行っていることをよくよく見れば、極左という他表現できない。
極右とか極左とか、左右に「極」という文字がついたときに表している
意味は、”人殺しも辞さない”という考え方を持つ者ということだ。
つまり、極左と極右というのは同根であるということなのだ。