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政府と銀行の仕事は ”偽装” だった。

2024-03-18 14:54:18 | 本の紹介

 

関所の仕事  
 政府であれ企業であれ、関所関連組織の特徴は、「やっているフリ」がうまいことである。本当に何かをしてしまうと、状況が変化して、関所が崩れる恐れがある。とはいえ何もしなていないのでは、通行料をとる恰好がつかない。やっているフリをしているのに何もしないというのは、パントマイムのようなもので、高度の知能・技術を必要とするが、非常に疲れるうえに、周囲には何の貢献もしない。


 堅田衆をはじめ、中世日本の海賊は、「上乗り」という方法で通行料をとった。これは関所を通行する船に、海賊を一人乗りこませる方式である。こうすることでその船は、他の海賊に襲われないですむのである。上乗りをする海賊は実際のところ何も生産していないのだが、高額の上乗り料を取った。関所関連組織の行う「仕事」は、この上乗りのようなものである。


 関所資本主義は確かに、利益があがるので「効率的」である。しかしそれは「有効」ではない。たとえ意図的ではないにせよ、関所に依存して利益をあげるなら、それは効率的な企業活動ではあっても、有効な企業活動ではない。関所にぶら下がる人間を養うために、高額の通行料が巻きあげられることになり、それは多くの人々・組織の意欲を奪い、創発を阻害する。この意味では関所資本主義は、破壊的作用を持つ。
 その破壊性は他者にのみ及ぶものではなく、関所に働く者にも及ぶ。有効な活動をしていない場合、組織の参加者はそれに気がつくものである。自分が汗水たらして行っている仕事が、効率的なだけで有効ではないことを感じているのは、人間にとって耐えがたい苦痛である。


 もしあなたが、無人島に閉じ込められたうえで、一日中、伝票を振ったり不毛な会議に出席させられたりしたらどうだろうか。そんなことをしていたら確実に飢え死にするので、大変な不安を感じるはずである。人間はもともと、食糧を探したり、道具を作ったりといった、意味の直接感じられる作業をしなければ、不安を覚えるようにできている。
 それゆえ、大都会のインテリジェントビルの高層階の立派な机の上であっても、一日中、伝票を振ったり会議を開いていたりしていたら、不安を感じてしまう。毎月銀行口座に数十万円が振込まれているとしても、それはあくまで記号にすぎないので、大脳だけは安心するかもしれないが、身体は安心しない。


 こういう仕事をしていて本当に安心するためには、自分の振った伝票や参加した会議が、何らかの形で意味のあるものを生み出している、という実感が必要である。しかし、関所の維持管理という仕事は、他人の価値をむしりとるだけであるから、決してそのような安心をもたらさない。


 つまり、上乗りのような無意味な仕事をしているということが、不安の源泉となる。人間は生き物である。そうであるからには、自分が生きるうえで意味のあることをしている、と感じられるなら安心できるが、そうでない場合には不安になる。


 不安に駆られる人間は、自分のやっている仕事が「有効」なものだ、と自分にも他人にも言いふらすことで、不安と苦痛とをまぎらわせようとする。自分の行為の真の姿から目を背け、偽装工作を何重にも上塗りする。


 この浅ましい心は、組織内に無数の関所を作り出す。というのも、不安に駆られた人は、組織内に作った関所を管理する権限を確保することで、自分の存在意義を確保しようとするからである。つまりは保身である。


 組織内が関所だらけになると、まともなことはできなくなる。いかなる事案も、実行に漕ぎ着けるまでに、大変な数の関所を通らねばならないことになり、そこにエネルギーの多くが費やされるからである。稟議書につかれた多数の印鑑は、その物的表現である。この意味で関所資本主義は、自己破壊的でもある。関所資本主義に依存する組織は、組織自体が関所の集積と化し、自らもまた自ら作りだした関所に搾取される。


 私は大学を卒業してから二年半ほど住友銀行に勤務した。私が「関所企業」「関所資本主義」と言うとき、念頭に置いているのはこの銀行に勤務したときの経験である。銀行員の給料というものは、他の業界からすると驚くほど高い。女子社員の給料を低くおさえているので平均給料は目立たないが、男性エリートの給料は東大教授などとは比較にならないくらい高い。


 銀行では入社してしばらくは給料が安いので、二年半で辞めた私は損をしたのであるが、三〇代の先輩の給料は一〇〇〇万円を超えていた。私が不思議に思ったのは、彼らがやっている仕事が、私のやっている仕事と、それほど内容が違わなかったことである。もちろん彼らのほうが私より「うまく」やっていた。しかし、それは実質的な差ではなく、表面的な取り繕いが異常にうまいだけであった。それ以上に、適当に手を抜くのがうまかった。端的に言って、銀行員の仕事の相当部分は、表面的な取り繕いに注がれていた。


 特に疲れるのは、体内的な取り繕いである。たとえば、銀行には検査部というものがあり、銀行業務がキチンと行われているかどうか、各店部に抜き打ち検査にやってくる。ところが実際には、いつ抜き打ち検査がくるか、事務方の課長が知っているのである。どうやって知るのかというと、あちこちの店部の課長同士が連絡をとりあって、検査部の動向を監視し、過去の検査のパターンなどからその動きを予測しているのである。その予測に基づいて、検査部にいるかつての同僚と飲みにいって、それとなく訊いて探りを入れるなどのスパイ活動を展開するらしい。こうして全知全能を傾けて、検査部がやって来る日を割り出すのである。それはなかなか見事なもので、彼らはわずかの誤差で検査日を当てていた。


 これだけでも相当に疲れる話であるが、特に疲れるのは、その検査日が割り出された後の作業である。そろそろ検査が来るとわかると、支店の職員には、長時間の自主残業が課せられる。何をするのかというと、過去二、三年の伝票や書類を系統的にチェックして、間違いがないかどうか探すのである。間違いがあると、これらを訂正したり、作り直したりするわけである。ただでさえ多忙かつ長時間の労働を強いられているというのに、それに加えてこのような後ろ向きの作業を、来る日もくる日もやらされる。
 このような状態であるから、人々は面倒な事務処理の発生に対して極めて敏感であり、これまでにやっていない業務をやろうとすると、大変なことになる。私は下っ端だったのでそういう経験は少なかったが、何をやろうとしても、内部の承認の調達と事務作業とをこなすのに、大変なエネルギーを奪われる。


お客さんの願いをかなえようなどと考えると、まるで障害物競走のように、数多くのハードルをクリアせねばならず、それに膨大な時間とエネルギーとを奪われる。結局、面倒くさいので、顧客のほうを説得して諦めてもらうことになる。職員は誰もが、顧客のほうではなく、内部の権限(特に人事権)を持つ人のほうを向いて仕事をしていた。できることなら、お客さんには来てほしくないのだが、ノルマというものがあるため、仕方なしにつきあう、という気分である。


 それよりもさらに疲れるのが、ノルマの達成である。私は銀行を退職する直前の数か月だけ、取引先課員をやったことがある。預金や貸金のノルマを課せられて、それを達成するために、お客さんのところを走り回るのがその仕事である。バカバカしいのが、毎月のノルマを達成するために、必要のない仕事が大量に発生することであった。たとえば、住銀ローンカードを今月は何件とってこい、と言われる。そうすると、親しいお客さんに申し込んでもらうように頼むのだが、申し込み件数でノルマが課せられているので、実際には申込書を書いてもらうだけなのである。ローンカード発行の審査に落ちるような所得の少ないパートさんや、年金暮らしのおばあさんに書いてもらうことで、ローンカードが発行されないようにして、いろいろな面倒の発生を予防する。


 また、極限的にバカバカしかったのがQCサークルであった。最近はずいぶん下火になったのだが、八〇年代にはQCサークルという現場レベルでの仕事のやり方の「自主的」改善の強制が、現場での生産性向上とイノベーションを実現する切り札とされており、職場という職場で行われていた。手順によって仕事の効率が大きく変わる工場のようなところでは、多少とも意味があったかもしれないが、銀行のように規則や規定で雁字がらめになった職場では、ほとんど無意味であった。


 にもかかわらず、QCサークルが一つの支店だけでいくつも作られていた。仕事のやり方を見直せと言われても、本筋の部分は規則どおりやる以外にないので、どうでもいいような、帳票の綴じ方や書類の並べ方の改善とか、そういうくだらないことくらいしか思いつかず、それもすぐにネタ切れになった。それ以降は「QCサークルで生産性が向上した」というストーリーの捏造が、ありとあらゆる部局で何年も何年も行われたのである。年に二度ほど住友銀行の全職場から代表的な事例を集めた全国大会があって、それをご丁寧に審査して頭取賞が出されたりするので、少しでも出世の足しにしたい人は、熱心に捏造サークル活動を展開していたが、大半の職員は心の底からうんざりしながら、やむをえずおつきあいしていた。当時の銀行は、こういうことを年がら年中していたのである。


 こういう偽装はかわいいものであるが、もっと凄いのは実際に巨額の預金や貸金を捏造する方法である。一番手っ取り早いのは、お客さんに資金を早めに借りてもらい、必要になるまで口座に滞留させてもらうことである。そうすると預金と貸金とが同時に増えて万々歳である。昔は、一〇〇〇万円貸したら、そのうち三〇〇万円は無利子の当座預金に滞留させておくこと、という類の契約をして融資を実行し、預金と貸金の規模を拡大し、顧客に余計な利子負担をさせたりしていた。これを「歩積み」というが、これは世間の批判が強くて、禁止されるようになった。そうするともっと手の込んだ方法が開発されていったらしい。具体的にはどうやっているのか下っ端の私にはわかりかねたが、支店の幹部連中は、お客さんにいろいろ頼み込み、手練手管を使って、資金をあっちへやったりこっちへやったりして、支店に課せられた過大なノルマを数字の捏造によって達成していた。


 私が最も不思議に思ったのは、こんな不毛なことばかりしていて、どうして銀行員が、中小企業の従業員の二、三倍の給料をもらえるのか、ということであった。それどころか、さらに意味のない仕事に明け暮れているのである。これだけ無駄なことをしていれば、意味のある仕事を部分的にはやっているといっても、とうてい儲からないように思われた。


 そのうえ、当時はバブル発生の準備段階とでもいう時期であり、危険な不動産融資に視点の総力を投入するようになりつつあった。この後の数年間に銀行員が過労死しそうになりながら(実際、多くの人が過労死した)、汗水たらしてやった膨大な仕事は、無意味どころか破滅的な作用を持った。天文学的な不動産融資を、ろくな担保もとらずに行ったために、銀行は壊滅的な損害を被ったのである。銀行が破綻しなかったのはひとえに、財政による援助のおかげであって、巨大なツケが国民に回されたのである。


 バブルの発生と崩壊とが日本社会にもたらした経済的損失は、いったいいくらになるのであろうか。数兆円か数十兆円か数百兆円か、どれが正確なところなのであろうか。さらに、山一証券の倒産以来、毎年の自殺者がそれまでより一万人増加し、そのまま一〇年以上が経過してしまった。この過剰自殺者をバブルの犠牲者と見れば、一○万人以上の死者を出したことになる。被害の規模は、「一○万の英霊、二○億の国帑(ど)」を費やした日露戦争に匹敵すると言ってよかろう。


 このような国を傾ける損害を生み出したにもかかわらず、大銀行は潰れるどころか膨大な利益を今もあげている。有価証券報告書によれば、三井住友銀行は一○○○億円前後の連結総資産を持ち、平成一七―一九年度の連結経常利益は九六○○億円、八〇〇〇億円、八三○○億円と推移している。もっとも、二○年度には、大不況の到来で利益が大幅に減ったが、それでも四五○億円となっている。


 これは、四万八〇〇○人の職員に高額の給料を支払った後に残った金額であり、私のかつての同僚は、今や偉くなって立派な高給を取っている。三井住友ファイナンシャルグループという特殊会社は、従業員わずか一六七人のエリート集団で、平均年齢四一歳ちょうどの社員の平均給与は一三〇〇万円である。本社の三井住友銀行は二万二〇〇〇人近くの従業員がおり、平均年齢は三五歳六か月で、平均給与が八〇〇万円を超える。給与の低い女子社員を含めてのこの水準は大変なものである。


 この現象の唯一の可能な説明は、銀行が巨大な関所となって、通行人から「上乗り」をむしりとっている、というものである。これ以外に、合理的な説明は不可能であると私は思う。銀行は膨大な数の顧客から資金を掻き集め、これを多数の(といっても預金者よずっと少ない)企業に貸し出して、利ざやを稼いでいる。これは資金が銀行という関所を通って配分されていることを意味する。しかもこの関所は、日本政府の監督指導の下に大きな保護を受けて維持されている。


 ということは、銀行員のやっている業務の本質は、関所の維持管理だ、ということになる。本当の意味での金融業務というものは、じつは重要ではなく、関所を維持管理して通行税を徴収しているのが銀行の仕事だったのだ、と考えれば、私が直面していた数々の謎の業務の意味がよくわかる。あの無意味な砂を噛むような仕事の数々は、関所の維持管理業務だったのだと私は結論する。関所が膨大な利益を生むので、その維持管理に日々いそしむ銀行員が高い給料をもらえるのは、理の当然である。


 このような考えに至って私は、永年の胸のつかえが急にとれたように感じた。私が日々従事していた不合理な意味のない作業は、巨額の利益を生む関所の維持管理するという、「合理的」で「意味のある」作業だったのである。私は銀行員というものは、金融業務に従事して企業をサポートし、利益を生み出すものだっと思い込んでいたので、その仕事が無意味に思えたのであったが、それは単なる勘違いにすぎなかった。実際のところ銀行員は、「上乗り」を巻き上げる為のシステムの維持管理をして、高い給料をもらっていたのである。ここに思い至って私は「世の中、合理的にできているものだ」と、いたく感心してしまった。


 銀行の本来の仕事は何かというと、森嶋通夫がCapital and Creditで指摘したように、イノベーションを起こす勇気と能力とを持つ企業家を支援し、遊休資金を調達して有効な事業に資金を回し、事業の成長を促進して社会に貢献することである(森嶋二〇〇四)。これはシュムペータの経済理論の重要な論点である。銀行を辞めてから、森嶋のこの本を翻訳していたときに、こういう話をかつての同僚にしたら、彼らは「そんなことは考えたこともなかった」と一様に感嘆していた。私も銀行員のころは、そんなことは夢にも思わなかった。


 日本の銀行は、昭和恐慌以降、政府の管理を強く受けるようになった。その体制が第二時世界大戦中に徹底され、資金を掻き集めて戦争遂行に貢献するという役割に縛り付けられ、極めて厳格な政府の監督と保護とを受けるようになった。この護送船団体制が戦後も継続したことで、日本の銀行員は「企業家を見出す」という本来の能力を完全に失ってしまったのである。能力を失ったばかりか、そういう仕事をしている、という認識さえも喪失してしまった。そして、関所の維持管理こそが、正しい銀行の仕事だという文化を作り出したのである。私は、このことが、日本経済をおかしくしている最大の要因の一つだと考えている。

 

経済学の船出  創発の海へ

安冨歩 著より

 

 

本の紹介のあとは、音楽と映画の紹介

ひと筋の放物線

 

 

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