何故私がMEMOのかたちをとるのかを最後にチラっと説明してみよう。
大きすぎて潰せない銀行などがある。
大きすぎて潰せないなら国(公)有化するのはどうかと考えた。ついこのあいだまで郵便局は公社だったのだし。
その前に、民営化された巨大企業(元公社)はそもそもなぜ民営化され
たのだろうか。
国鉄、電電公社、郵便局それぞれ異なる理由と共通する理由があるはずだ。
〇親方日の丸で赤字(税金)垂れ流しの体質
〇株式会社化・・・取締役以外に株主という存在
●大量の雇用確保(障がい者含む)
●事業の公共性、透明性、情報公開性(公益としての個人情報と人権としての個人情報保護は違う)
人々の暮らしの安定とモチベーション(生き甲斐)と生産性と事業合理性のバランス。
これらは社会保障とか福祉と言い換えることが可能だ。
水と油は混ざらず層となり油は水に蓋をして酸化を防ぐが、水自体は循環していないと腐敗する。
そもそも水は水素が酸化した化合物であり、三態の体積変化やそのほかの性質で特異であり生命の源でもある。
日本は水俣病などから何も学ばずに、福島原発事故が起きた。それでもまだ学ぼうとしないし、既に忘れられようとしている。今度は北海道の泊原発が、あわや全電源喪失という人的過失をまたもや犯している。
世界は広島長崎から何も学ばずに、チェルノブイリ原発事故を引き起こし、モンサント被害も続いている。
チェルノブイリも福島も明らかに人災だ。
*核兵器は核攻撃からの抑止であり、戦争の抑止ではない。しかも最近では核による抑止理論も国連に於いて完全否定されている。
細分化された労働は、細分化された賃金を得て生活を営むことによる弊害を労働者に見えなくしてしまう。
企業の株主利益は細分化の最たるものだが、彼らは労働者とは呼べない。
細分化されているために誰も責任を取ろうとしないし、責任の所在すら曖昧だ。
そもそも誰かが責任を取って済むことではない。だからと言って責任は追及されなければならない。
腕の良い大工は、森といわず山ひとつ手入れするという意味合いの言葉を昔読んだことがある。いまの大工は単なる組立工と変わらない。
人類が能力的に優れているのなら、星という単位でせめて自分たちの住む星の環境を悪化させないようなことを考えるだろうはずだが。
あたかも文明が誕生し栄華を極め、衰退し、滅び去り、ずっと後世になって古代文明と呼ばれるように、それら時々では気付かずにいることを、現代企業は繰り返そうとしていて、もっと大きな意味での合理性を持っていない。
それでは果たして、「人類はこの星にとって合理性ある生き物か?」という人間という動物の持つ精神性にさえ辿り着くことはできない。
そのことの非合理性がやがて、人類の終焉であるという答えは既に出ているが、目先の合理性により合理化しようとする人類は哀れだ。
あるいは時間をかけて人類は、非人間的な生き物に変化するのかもしれず、その未来の人類は、現代人から進化したという合理性をまたもや持つのだろうか。
上記を、時間という言葉を主語にするならば、時間という概念はそのときに意思を持ちいわゆる神となるだろう。
手の込んだ宣伝
仮面ライダースナックと仮面ライダーカードの関係は、おまけが本体を凌駕した好例で、バックコーラスがメインボーカルになるようなものだが、カードだけポケットに入れ道端に打ち捨てられたスナックという食べ物は実に哀れで、しかしそうならないようにはどうするかを子供の時分に、「もったいない」という言葉で考えた。
両者が混然一体となりひとつのハーモニーという音楽として聴くことをしたいと私は思う。
この文章の完成度が今の私のモチベーションだ。
わがまま坊や
http://honjin-1.com/OtherSide/archives/31
雪女