霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

「キミたちの未来 僕たちの選択 ~時任三郎 世界エネルギーの旅~」を視て

2012年07月02日 | 雑感

時任三郎さんのブログから http://subtime.net/imgdiary303-4/diary/index.html

最近は、お笑いタレントばかりのお粗末番組に愛想をつかして、ニュース以外は地上波TVを見なくなってしまった。そのせいもあって4月の放映時には見落としてしまい、この土曜日(6月30日)に再放送があったので今度はしっかりとウォッチしてみた。最近のNHKにしては良くできた(笑)番組で、時任三郎のキャラクターは個人的にはあまり好きではないのだが、彼がブログに書いている「人間はなんと“やっかいなもの”を作り出してしまったのだろう」という原子力発電に対する率直な思いには共感できる。

脱原発へ大きく舵を切ったドイツ、原発を拒絶したデンマーク、そして逆に、25万年後の未来にまで責任を持って原発を推進しようとしているフィンランド、これら三か国の原発に対する取り組みを取材した番組だが、返す返すも、場当たり的にしか見えない今の日本の原発政策やエネルギー政策とのあまりの違いに、腰を抜かすほど驚くばかりだ。
政治の根本は、「人々が安心して暮らせるように」という志の高いビジョンの筈だが、日本の政治家連中にはそれがすっぽりと抜け落ちているような気がする。福島を始めとする被災地の早期復興や原発事故から学ぶエネルギー政策の根本見直しなど、今すぐにやるべき課題は山積みの筈なのに、やれ消費増税に政治生命をかけるだのやれ離党だのと、くだらない政治ゴッコに明け暮れる既存の政治家達にほとほと愛想をつかしてしまうのは私だけではないと思う。
この番組を見落とした方は、youtubeやその他の動画サイト(http://vimeo.com/43665023)にも掲載されているので、是非番組そのものを見てみるべきと思う。以下に、番組の内容を簡単に纏めてみる。

①ドイツが電力自由化に踏み切ったのは、もう20年以上(!)も前の1988年のことだが、それまでは八つの電力会社が独占するという今の日本と同じ状態だった。現在では、四つのメジャーを含めて800以上の電力会社を、ネットで自由に選べるようになっている。そして更に、2022年までに全ての原子力発電を止めると、国が内外に宣言している。
南ドイツのシェーナウ市では、電力の40%を「住民が発電」しているが、このようになるきっかけを作ったのが5人の子供を持つ主婦というから驚く。チェルノブイリ原発事故で遥か1,700km(!)も離れていながら放射線被害を受けたことから、この主婦は1986年に「原発のない未来のための親の会」を発足させる。そして、原発をやめるために節電を呼びかける運動から始め、電力会社の「営業妨害だ」との非難にも臆することなく、自分達の電力会社を作って運営を始めた。このシェーナウ電力は、自然エネルギー専門の電力会社で、料金は他より1割ほど高いが趣旨に賛同する多くの国民から申し込みがあり、今ではドイツ全国の13万軒に電気を送っている。

②デンマークでは、約40年前の1973年に原子力発電所をつくる計画が持ち上がったが、時の政府はすぐに建設を決めず、その是非を3年間国民全員で考えることとした。原発について多くの国民が学んだ結果全国各地で建設反対運動が起こり、ついに1985年デンマーク議会は原発計画の放棄を決定する。しかし、原発に頼らずにどう電気を作るかという問題に対して、(科学者ではない)「経済学者」のプリベン・メゴーさんが風力を推進したことをきっかけに、国を挙げての風力を電気に変える挑戦が始まった。
つまり、日本で原発の設置が強力に推進されていた同じ頃、既にデンマーク国民は風力発電を選択していたことになる。今では、世界の風力発電システムのトップシェアを握るのはデンマークの企業だ。2050年までに国全体を100%自然エネルギーにすることを、国会が既に決定している。

③フィンランドでは、世界で唯一、高レベル廃棄物の最終処分場を既に建設し始めている。日本とは比べ物にならないほど地震の少ない国であるのに、更に可能な限り地盤の安定した岩盤地帯を探して、何と400m以上の地中に使用済み燃料棒を埋める計画だ。「オンカロ」と呼ばれる地中の最終処分場だが、使用済み燃料棒というのは40年程度冷やしてから最終処分に入り、そしてオンカロに格納してから無害化するまで25万年(!!)かかるという、気の遠くなるような計画だ。フィンランド政府のスタンスは、「100%の安全は無理だが100%にできるだけ近づけることで、国民に不自由をさせない」と言うことで、日本の電力会社や政府の考え方とは根本から異なることが分かる。また驚くことに、電力会社の「本社」が稼働中の原発の敷地内に在って、会社が責任を持って安全に気を配らざるを得ない仕組みになっていることも、日本との大きな違いだ。

現在、全世界の430基以上の原発は、このような最終処分場の無いまま運転されているのが現実で、これは言わば「トイレのないマンション」に住んでいると言える。つまり全人類は、廃棄物に埋もれて暮らしている“ゴミ屋敷”状態と言うことだ。私は別に、ヒステリックに『原発ハンタァ~ィ』と叫ぶつもりはないが、使用済み燃料棒と言う原発の廃棄物が、いかに“やっかいなもの”なのかを、もう一度我々は真剣に考え直す必要があると思う。それが、今大人である私達の責任であるし、決して、子供たちや子孫の未来に「核のゴミ」というツケを残したままにしてはならないと思う。

原発に対する方針が大きく異なるこれら三カ国に共通することは、国民の意思や安全な暮らしがまず第一で、政治はこれをバックアップすることに徹する姿勢だと思う。そして、国民自身が自国のエネルギー政策に大きな関心を持ち、更に実行していることだろう。
そう言えば、「国民の暮らしが第一」などと恥も無く宣う似非政治家もいたが、日本の政治家が口にすると何とも空虚な響になってしまうのが、………情けないっ!!!。



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