「毒――ですと?」
白い肌に漆黒の髪、実年齢よりも若干老けて見える紳士が、聞き返した。
長方形の豪華なテーブルを挟んで相対するもう一人の紳士は、薄笑を浮かべて頷く。
「ええ、毒です。これは、あなた方ガーレア王国の人種だけを殺す、毒」
「馬鹿な」
「本当ですとも」
浅黒い肌に銀の髪、口元には髭を蓄えた紳士は、笑みを崩さない。
ようやく念願が叶った――そう言わんばかりの会心の微笑。
白い肌はガーレア王国に住む民族の特徴。
一方の浅黒い肌は、その隣国マドネイア共和国の特徴だった。
二人は、それぞれの国の代表、平たく言えば王である。
「こんな記念すべき和平の場で、面白いことを言うお人だ」
ガーレア国王は、嘲笑う。
普段彼がマドネイアの国を語るときのように、たっぷりの侮蔑を込めて。
ガーレアにとってマドネイアは、まさに目の上の瘤であった。
歴史上、先に発展したマドネイア。
地続きであり大した違いもないはずの自国は、何故遅れたのか。
忌まわしく、妬ましかった。
それは国民全ての共通認識と言っていい。
だから、ことあるごとに抵抗した。対抗した。
マドネイアにだけは負けてはならないと。
それは現ガーレア国王の御代となって加速するばかりだった。
「嘘だと思うなら、いっそ飲み干してみては如何かな?」
らしくない好戦的な顔で、マドネイア大統領は答えた。
そして、目の前の毒――グラスに注がれた無色透明の液体を一口啜る。
「――ご覧の通り、これはただの水だ。我々にとっては、ね」
グラスを、ガーレア国王の目の前に置く。
「さあ、どうぞ」
似合わない微笑。
それは自信の表れか。それともただのブラフなのか。
「・・・仮に、だ。仮にこれが本当にガーレアだけを殺す毒だとして」
コホン、と小さく咳払いをして、ガーレア国王は続ける。
「貴公はこれを、毒を、どうするつもりかね」
「無論、ばら撒きます。世界中に、ね」
「ほう。それは宣戦布告と取っていいのかな?」
「いいえ、そんな幼稚なものではありませんよ。一方的な、虐殺です」
ここに至り、ガーレア国王はカッと頭に血が上るのを感じた。
生来、気の長い性質ではなかった。
「腑抜けのマドネイアが、大それたことを言う!」
ドン!
右拳でテーブルを殴りつける。
振動でグラスは揺れ、倒れた。
カシャ、と薄っぺらい音が響き、グラスは大きく欠ける。
「和平の話と言うから来てみれば、何のことはない。ただの侮辱とはな」
「侮辱のつもりなど、ないのですがね」
「いや、貴様らはいつもそうだ。我々を欺き、出し抜き、利用することしか考えていない!」
それを侮辱と言わず何と言う。
ガーレア王は叫んだ。
通常、一国の王がこれほど取り乱せば、兵士が部屋へ入ってきても不思議はない。
しかし、そのようなことはなかった。
当然、マドネイア大統領が、事前に根回しをしていたからである。
「あなた方も、いつもそうだ」
その薄笑を初めて崩し、マドネイア大統領は答える。
「自分たちは被害者だといつまで思っている? 悪性の寄生虫であると何故気付かない!」
「寄生虫・・・だと?」
「ああ、そうではないか。我々の財産を、技術を、誇りを、全て横から奪う略奪者だ!」
「キサマ――」
「自らに誇りを持てず、ただただ嫉妬に塗れ相手を引きずり下ろす――
それがいかに不健全なことであるか、考えたことはあるか。
自らを磨き高めることもせず、ただ指を加えて隣国を羨むばかりの姿勢が悪であると、
そう考えたことはないのか」
叫んだのは最初だけ。
のちの言葉は、まるで台本を読むかのように冷静で、平坦なものであった。
マドネイア大統領は続ける。
「――自国民が異質であると、思ったことはないのか?」
「異質・・・ああ、我々は異質かも知れないな。頭脳明晰、体力も腕力も優れている。
貴様らマドネイアの如きムシケラとはワケが違うのだよ!」
「そう言うだろうと、思っていたよ」
ところで、と。
冷たい声で、マドネイア大統領は呟いた。
「その毒は、常温で気化する性質があるのだ」
気化した毒は、鼻から、口から体内へ侵入し。
体中全てに行き渡り。
特定の細胞を殺す。
それは、ガーレアの遺伝子を持つもの特有の、命に関わる細胞。
「グラス一杯で、大人1万人を軽く殺す毒だ。この密室なら――もう遅い」
「なん・・・だと? く、くくくっ、大した冗談だ!」
冷や汗を浮かべながら、それでもガーレア王は笑って見せた。
精一杯の余裕を、演出するために。
「冗談では、ないさ。いずれ体中に発疹ができる。そして1時間もあれば、呼吸が止まる」
実験済みさ、とマドネイア大統領は邪悪に笑う。
「キサマ――我が国民を殺したのか!?」
「あなた方が殺した同胞の数には到底及ばない。何、せいぜい300人程度だ」
ガーレアとマドネイアは、隣国同士。
そして両国には、お互いの人種がある程度混ざっている。
その中からガーレアの人種をピックアップすることは、比較的容易と言える。
「我々は常々おかしいと思っていたのだ。ガーレア人とその他の人種は、違いすぎる。
それは肌の色でも髪の色でもない。考え方、思想が、だ。
その違いには世界中が薄々気付いてはいる。
しかし、隣国である我々は決定的な違いを見付けたのだ。
遺伝子が違う。
ごくわずか――人と猿との違いよりわずかではあるが、確実に違う。
それは世界中のどの人種とも異なる、ガーレアのみの特性と言える。
そして――世界は決断した。
人間社会の癌であるガーレアを根絶やしにすることを」
世界の決定。
全世界207の国――否、ガーレアを除く206の国の決定。
それが、ガーレアの抹殺。
「ば・・・馬鹿な! そんな、非人道的なことなど」
「人道的さ。何せお前らは、人間ではない」
事態の深刻さに、ガーレア王は初めて気付く。
そもそも、最初からおかしかったのだ。
隣国であり長年の敵であるマドネイアが、こうも簡単に和平を申し出るはずがない。
経済的に上位にあり、世界的評価も高いマドネイアがいつまでも下手に出るはずがない。
ことあるごと争い、それでいて被害ばかり訴える相手を疎ましく思わないはずがない。
「私は――ハメられたというわけか?」
「簡単に言ってしまえば、そうかも知れないな。しかしこれは慈悲でもある」
最期に、後悔する時間を与えること。
自分たちが殺される理由を教えられること。
まるで人間のようではないか――。
「・・・待て。マドネイアに帰化したガーレア人はどうなる?」
「死ぬことになる」
「ガーレアとマドネイア・・・他国とのハーフは、どうなる?」
「ガーレア特有の細胞があれば死ぬし、なければ死なない」
「な――何という――」
「私は、場合によっては殺される覚悟だ」
責任を負い、糾弾を受け、無惨に殺されても構わない。
それで世界が正しい道を歩むなら、安いものだ。
それが、マドネイア大統領としての矜持であった。
「たった今から、世界中の水源にこの毒を撒く。
一時的に混ざりはするが、水として摂取すればすぐに効果が表れるだろう。
そうでなくとも、毒はいずれ気化し、世界中の大気を巡る。
そしてひと月もあれば――世界からガーレアの遺伝子は根絶されることになる」
「ま・・・待て! 待ってくれ!」
「どうしました?」
「分かった、その毒のことも、世界中が我らを疎ましく思ってることも認めよう」
「・・・ほう?」
「これ以上マドネイアと敵対しない。
私の私財の半分・・・いや、8割をくれてやる。
約束する。約束するから。
だから――せめて、私だけでも助けてくれ」
「お前たちの文化に『約束』という概念はないだろう?」
マドネイア大統領の言葉に、ガーレア王の体から力が抜ける。
床に倒れこむように突っ伏し、わずかに残った腕力でようやく体を支えた。
その両手の甲には――いくつもの紅い発疹が見えた。
白い肌に漆黒の髪、実年齢よりも若干老けて見える紳士が、聞き返した。
長方形の豪華なテーブルを挟んで相対するもう一人の紳士は、薄笑を浮かべて頷く。
「ええ、毒です。これは、あなた方ガーレア王国の人種だけを殺す、毒」
「馬鹿な」
「本当ですとも」
浅黒い肌に銀の髪、口元には髭を蓄えた紳士は、笑みを崩さない。
ようやく念願が叶った――そう言わんばかりの会心の微笑。
白い肌はガーレア王国に住む民族の特徴。
一方の浅黒い肌は、その隣国マドネイア共和国の特徴だった。
二人は、それぞれの国の代表、平たく言えば王である。
「こんな記念すべき和平の場で、面白いことを言うお人だ」
ガーレア国王は、嘲笑う。
普段彼がマドネイアの国を語るときのように、たっぷりの侮蔑を込めて。
ガーレアにとってマドネイアは、まさに目の上の瘤であった。
歴史上、先に発展したマドネイア。
地続きであり大した違いもないはずの自国は、何故遅れたのか。
忌まわしく、妬ましかった。
それは国民全ての共通認識と言っていい。
だから、ことあるごとに抵抗した。対抗した。
マドネイアにだけは負けてはならないと。
それは現ガーレア国王の御代となって加速するばかりだった。
「嘘だと思うなら、いっそ飲み干してみては如何かな?」
らしくない好戦的な顔で、マドネイア大統領は答えた。
そして、目の前の毒――グラスに注がれた無色透明の液体を一口啜る。
「――ご覧の通り、これはただの水だ。我々にとっては、ね」
グラスを、ガーレア国王の目の前に置く。
「さあ、どうぞ」
似合わない微笑。
それは自信の表れか。それともただのブラフなのか。
「・・・仮に、だ。仮にこれが本当にガーレアだけを殺す毒だとして」
コホン、と小さく咳払いをして、ガーレア国王は続ける。
「貴公はこれを、毒を、どうするつもりかね」
「無論、ばら撒きます。世界中に、ね」
「ほう。それは宣戦布告と取っていいのかな?」
「いいえ、そんな幼稚なものではありませんよ。一方的な、虐殺です」
ここに至り、ガーレア国王はカッと頭に血が上るのを感じた。
生来、気の長い性質ではなかった。
「腑抜けのマドネイアが、大それたことを言う!」
ドン!
右拳でテーブルを殴りつける。
振動でグラスは揺れ、倒れた。
カシャ、と薄っぺらい音が響き、グラスは大きく欠ける。
「和平の話と言うから来てみれば、何のことはない。ただの侮辱とはな」
「侮辱のつもりなど、ないのですがね」
「いや、貴様らはいつもそうだ。我々を欺き、出し抜き、利用することしか考えていない!」
それを侮辱と言わず何と言う。
ガーレア王は叫んだ。
通常、一国の王がこれほど取り乱せば、兵士が部屋へ入ってきても不思議はない。
しかし、そのようなことはなかった。
当然、マドネイア大統領が、事前に根回しをしていたからである。
「あなた方も、いつもそうだ」
その薄笑を初めて崩し、マドネイア大統領は答える。
「自分たちは被害者だといつまで思っている? 悪性の寄生虫であると何故気付かない!」
「寄生虫・・・だと?」
「ああ、そうではないか。我々の財産を、技術を、誇りを、全て横から奪う略奪者だ!」
「キサマ――」
「自らに誇りを持てず、ただただ嫉妬に塗れ相手を引きずり下ろす――
それがいかに不健全なことであるか、考えたことはあるか。
自らを磨き高めることもせず、ただ指を加えて隣国を羨むばかりの姿勢が悪であると、
そう考えたことはないのか」
叫んだのは最初だけ。
のちの言葉は、まるで台本を読むかのように冷静で、平坦なものであった。
マドネイア大統領は続ける。
「――自国民が異質であると、思ったことはないのか?」
「異質・・・ああ、我々は異質かも知れないな。頭脳明晰、体力も腕力も優れている。
貴様らマドネイアの如きムシケラとはワケが違うのだよ!」
「そう言うだろうと、思っていたよ」
ところで、と。
冷たい声で、マドネイア大統領は呟いた。
「その毒は、常温で気化する性質があるのだ」
気化した毒は、鼻から、口から体内へ侵入し。
体中全てに行き渡り。
特定の細胞を殺す。
それは、ガーレアの遺伝子を持つもの特有の、命に関わる細胞。
「グラス一杯で、大人1万人を軽く殺す毒だ。この密室なら――もう遅い」
「なん・・・だと? く、くくくっ、大した冗談だ!」
冷や汗を浮かべながら、それでもガーレア王は笑って見せた。
精一杯の余裕を、演出するために。
「冗談では、ないさ。いずれ体中に発疹ができる。そして1時間もあれば、呼吸が止まる」
実験済みさ、とマドネイア大統領は邪悪に笑う。
「キサマ――我が国民を殺したのか!?」
「あなた方が殺した同胞の数には到底及ばない。何、せいぜい300人程度だ」
ガーレアとマドネイアは、隣国同士。
そして両国には、お互いの人種がある程度混ざっている。
その中からガーレアの人種をピックアップすることは、比較的容易と言える。
「我々は常々おかしいと思っていたのだ。ガーレア人とその他の人種は、違いすぎる。
それは肌の色でも髪の色でもない。考え方、思想が、だ。
その違いには世界中が薄々気付いてはいる。
しかし、隣国である我々は決定的な違いを見付けたのだ。
遺伝子が違う。
ごくわずか――人と猿との違いよりわずかではあるが、確実に違う。
それは世界中のどの人種とも異なる、ガーレアのみの特性と言える。
そして――世界は決断した。
人間社会の癌であるガーレアを根絶やしにすることを」
世界の決定。
全世界207の国――否、ガーレアを除く206の国の決定。
それが、ガーレアの抹殺。
「ば・・・馬鹿な! そんな、非人道的なことなど」
「人道的さ。何せお前らは、人間ではない」
事態の深刻さに、ガーレア王は初めて気付く。
そもそも、最初からおかしかったのだ。
隣国であり長年の敵であるマドネイアが、こうも簡単に和平を申し出るはずがない。
経済的に上位にあり、世界的評価も高いマドネイアがいつまでも下手に出るはずがない。
ことあるごと争い、それでいて被害ばかり訴える相手を疎ましく思わないはずがない。
「私は――ハメられたというわけか?」
「簡単に言ってしまえば、そうかも知れないな。しかしこれは慈悲でもある」
最期に、後悔する時間を与えること。
自分たちが殺される理由を教えられること。
まるで人間のようではないか――。
「・・・待て。マドネイアに帰化したガーレア人はどうなる?」
「死ぬことになる」
「ガーレアとマドネイア・・・他国とのハーフは、どうなる?」
「ガーレア特有の細胞があれば死ぬし、なければ死なない」
「な――何という――」
「私は、場合によっては殺される覚悟だ」
責任を負い、糾弾を受け、無惨に殺されても構わない。
それで世界が正しい道を歩むなら、安いものだ。
それが、マドネイア大統領としての矜持であった。
「たった今から、世界中の水源にこの毒を撒く。
一時的に混ざりはするが、水として摂取すればすぐに効果が表れるだろう。
そうでなくとも、毒はいずれ気化し、世界中の大気を巡る。
そしてひと月もあれば――世界からガーレアの遺伝子は根絶されることになる」
「ま・・・待て! 待ってくれ!」
「どうしました?」
「分かった、その毒のことも、世界中が我らを疎ましく思ってることも認めよう」
「・・・ほう?」
「これ以上マドネイアと敵対しない。
私の私財の半分・・・いや、8割をくれてやる。
約束する。約束するから。
だから――せめて、私だけでも助けてくれ」
「お前たちの文化に『約束』という概念はないだろう?」
マドネイア大統領の言葉に、ガーレア王の体から力が抜ける。
床に倒れこむように突っ伏し、わずかに残った腕力でようやく体を支えた。
その両手の甲には――いくつもの紅い発疹が見えた。