社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

12月27日(木)

2012年12月28日 01時42分01秒 | 2012年

  7時起床。昨日に引き続き、朝からめちゃくちゃ寒い。しかし、その分熱いシャワーが気持ち良い。

  直行で相模原へ。駅で上司と待ち合わせ、支援先で公的施策の申請書類作成のお手伝い。

  関内へ戻り、いつもの中華料理屋で昼食。注文は、レバニラ定食。おそらく、このお店に来るのはこれが今年最後だろう。1年間、ありがとうございました。

  午後は、オフィスに支援先の社長と専門家さんを招き、公的施策の申請書作り。今日は書類作りというよりは事業構想立案がメインで、非常に面白かった。やる気満々の社長と、優秀な専門家さんに感謝である。今年最後の支援がここで良かった。

  定時で退社し、忘年会へ。桜木町のお洒落な居酒屋の個室を陣取り、23時過ぎまで延々と飲む。

  0時前に帰宅。すぐに洗濯機を回し、シャワーを浴びて、旅行の荷造り。とは言っても、荷物の最終確認と詰め込みだけだったので、30分ほどで終わった。

  友人からおすすめされて読んだ『対岸の彼女』(角田光代)は、想像をはるかに超えて素晴らしい作品だった。これから読もうとする人がいるかもしれないのでストーリーに触れるのはやめておくが、巻末の森絵都さんの解説が非常にうまく本書の魅力を伝えていたので、引用する。

  この秀逸な解説は、次のように始まる。

 「人と出会うということは、自分の中に出会ったその人の鋳型を穿つようなことではないかと、私はうっすら思っている。その人にしか埋められないその鋳型は、親密な関係の終了と同時に中身を失い、ぽっかりとした空洞となって残される。相手との繋がりが強ければ強いほどに空洞は深まり、人と出会えば出会うだけ私は穴だらけになっていく。」

  それが、本書を経ることで、最後にはこう締めくくられる。

 「人と出会うということは、自分の中にその人にしか埋められない鋳型を穿つようなことだと思っていた。人と出会えば出会うだけ、だから自分は穴だらけになっていくのだ、と。
 けれどもその穴は、もしかしたら私の熱源であるのかもしれない。時に仄かに発光し、時に発熱し、いつも内側から私をあたためてくれる得難い空洞なのかもしれない。」

  他人との交流は、基本的にストレスフルな作業である。心を許した相手から裏切られ、これでもかと傷つくことがある。これまでは自分を大切に扱ってくれた人から、突然とんでもない仕打ちを受けることがある。しかし、それでも私は人を信じたいと思う。私を傷つけるのも人だが、私を励まし、感動させ、また1歩前へ進んでみようと思わせるのもまた、人なのだ。

「信じるんだ。そう決めたんだ。だからもうこわくない。」

 


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