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12月20日(木) ナナメの夕暮れ。

2018年12月22日 17時14分33秒 | 2018年

 4時起床。娘はまだ眠っている。ではなぜこんな時間に起きたかというと、おそらく普段とは違う体勢で眠っていたからだと思う。昨晩は娘の寝相がファンキーで、いつの間にか妻の布団を通り越して私のところまで来てしまい、私の枕に突っ伏して眠ってしまった。枕を失った私は娘のすぐ隣で眠ろうとしたのだが、今度は私のほうへくっつくように寝返りをうち、布団の中央に陣取ってきた。相変わらず枕は抱えている。枕だけでなくスペースまで失った私は、布団の隅っこで小さくなって眠らなければならなかった。今考えれば空いている娘の布団に移動するという手もあったが、なぜかそうはしなかった。そのため首も腰も痛くなり、こんな時間に目が覚めてしまったのである。

 その後、私がうたた寝と覚醒を繰り返しているうちに娘が起きてくる。時刻は5時半になっていた。妻も起きてきてオムツを交換してくれ、やはり少し下痢気味だということで、麦茶を飲ませてから私が寝かし付けることになった。相変わらずかなりぐずっていたが、抱っこをしたらすぐに泣き止んで眠ってくれた。ただ、布団に置くのを2回失敗した。無事に布団で眠った頃には、時刻は6時を回っていた。娘が起きていた時間は実質的には40分くらいだったと思う。これで、ようやく私も自分の布団と枕で眠ることが出来るようになった。

 8時起床。たくさん眠れたからだろうか、娘のご機嫌はすこぶる良い。ただ、お腹の調子は相変わらず良くない。

 朝食はトースト。昨日元町の「ウチキパン」で買ってきたイギリスパンを、妻が贅沢サイズに切って焼いてくれた。内側のふわふわ感が増して美味しい。

 娘のお腹の具合が相変わらずなので、親子3人で安静にして過ごす。娘はお腹の調子の悪さと下痢に伴うおむつかぶれが原因でかなり機嫌が悪く、常に抱っこをせがんでくる状況なのだが、抱っこをすれば落ち着いておとなしくしているし、好きなテレビ番組を流すと楽しそうに見ている。熱もないし、食欲もかなりある(むしろ、普段以上かもしれない)。今のところ、病院に行く必要はないだろうと思われる。ただ、こまめな水分補給だけは忘れないように意識した。

 妻が買い物へ行っている間に、うどんを茹でて昼食にする。汁の素が付属していないタイプの麺だったので、生卵と醤油、ポン酢を使って自己流の「釜玉うどん」を作った(厳密には”釜”では茹でていないが)。茹でる時間も調味料の分量も適当だった割には、なかなか美味しいうどんになった。

 買い物から帰ってきた妻が、私の昼食用にコンビニのお弁当(塩豚カルビ弁当)を買ってきてくれたので、ありがたく頂く。昼食のダブルヘッダーである。

 午後も娘の調子は相変わらずで、ほとんどの時間、妻か私が抱っこをしていた。午前中にも1時間以上お昼寝が出来たし、午後も抱っこのままではあるがそれなりの時間を眠って過ごさせることが出来た。

 夕方になって、娘を早めのお風呂に入れていたら、湯船の中で漏らしてしまい、満足にお湯で身体を温めてあげることが出来なかった。急いで身体を洗い、シャワーで長めに身体を流してから、妻に預けた。その後、私はお風呂掃除をしてから出た。私の身体もそれほど温まらなかった。というか、寒かった。

 17時半前、退職する職場の同期の送別会に妻が出掛ける。さて、今夜のワンオペは大変だぞと意気込んでいたのだが、確かに機嫌は悪いし甘えん坊モードも強いものの、離乳食(今夜はおかゆだけにした)もスムーズに食べ、ミルクを飲んだらすぐに眠ってしまった。歯磨きをするタイミングを逃すほどスムーズな入眠だった。時刻はまだ19時だ。

 昼食がダブルヘッダーだったので、夕食は抜き。

 20時過ぎに一度娘が起きてきたが、20分ほどでまた眠ってしまった。水分補給とおむつ交換が出来たのでちょうど良かったが、またしても歯磨きのタイミングを逃してしまった。

 22時半前にも娘が起きて来る。おむつを見たが、この2時間の間では何も出ていなかった。そして、また抱っこをしたら10分ほどで眠ってくれた。今日は随分小刻みだ。

 時折娘が起きてきてはいるが、それでも1人の時間が長かったので、久しぶりにゆっくりと本を読んだ。漫才師・オードリーの若林さんが書いた『ナナメの夕暮れ』だ。同じタイミングで購入した南海キャンディーズの山ちゃんの『天才はあきらめた』では「嫉妬心との向き合い方、活用の仕方」について考えさせられたが、『ナナメの夕暮れ』では「否定的な考え方やシニカルさがもたらす生きづらさ」について考えさせれた。特に、ハッと思わされた文章がある。

自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定的な目線”をやめるしかない。

 「そうだ!」と思った。私が娘をベビーカーに乗せて電車移動するのを極力避けるのは、自分に子どもができるまでベビーカーで乗ってくる人たちに(若干ではあるが)否定的な感情を抱いていたからだ。白い服を着ないのは、「白い服を着ている人はナルシスト」だと馬鹿にしているからだ。結婚式で徹底的に料理にこだわったのは、人の結婚式で料理にお金を掛けていないことを思い切り皮肉っていたからだ。このような例を挙げたらきりがない。その時々に抱いた否定的な感情が、ブーメランとなって自分自身に降りかかってきている。そういう感情をなくす、もしくは減らす努力をしたら、生きやすくなるのか。これは、挑戦してみる価値がありそうだ。もちろん、そう簡単なことではないだろうが。