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27歳年収250万円の女性に釣り合う男性のスペックは?」という質問に「年収400万

2024年04月23日 22時05分58秒 | 女と男のこと
27歳年収250万円の女性に釣り合う男性のスペックは?」という質問に「年収400万

婚活をしていると、つい自分のスペックを棚に上げて、相手のスペックを値踏みしてしまう。ただ、客観的に自己分析ができていないと婚期を逃してしまうこともある。

ガールズちゃんねるに5月3日、「【婚活】自分に釣り合うスペックとは【高望み】」というトピックが立った。27歳で年収250万円のトピ主は、自分と釣り合う高望みにならな男性のスペックについて意見を求めた。(文:石川祐介)

「金持ちの人と結婚してもモラハラとか浮気されたりあるかもしれない」という声も

男性側の妥当な年収を示すコメントが相次いだ。

「35歳まで年収400万くらいが妥当では?」
「自分から望むなら年収は自分プラス200が上限かな。それ以上は高望みと言われても仕方ないと思う」

トピ主のスペックを鑑みて年収を400万~500万円を勧める人がいたが、「正規・非正規関わらず可愛くて変に拗らせてない子がどんどん相手を見つけていく」と女性は容姿が良く最低限のコミュニケーション能力があれば結婚できるため、相手のスペックを気にする必要はないという声も少なくない。


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ヒトラーはユダヤ系少女と仲良しだった……サイン入り写真が競売に

2024年04月23日 21時03分55秒 | 歴史的なできごと

ヒトラーはユダヤ系少女と仲良しだった……写真競売に


にっこり楽しそうに笑う女の子を、男性が抱きかかえている。男性も嬉しそうに笑っている。一見すると、素晴らしく幸せな写真だ。


ヒトラー、1歳


写っている男性が、アドルフ・ヒトラーでさえなければ。そして、女の子がユダヤ系でなければ。




ヒトラー率いるナチスはユダヤ人を迫害し、後にユダヤ人600万人の大虐殺を遂行した。それにもかかわらずヒトラーは、ローザ・ベルニール・ニナウさんとの友情を大事にしていた。5年後にナチス高官が介入して、やめさせるまでは。

2人の関係を1933年に記録した珍しい署名入りの写真は、米国でオークションにかけられることになった
 
写真は、ヒトラー専属の写真家ハインリヒ・ホフマンが撮影したもの。米メリーランド州の競売業者アレクサンダー・ヒストリカル・オークションは、13日に始まった競売では1万ドル(約110万円)ほどの値がつくだろうと予測している。

「サイン入りのものが表に出てきたことはなかった」と、同社のビル・パナゴプロス氏は英紙デイリーメール電子版に話している。


「ヒトラーはプロパガンダ目的で、しょっちゅう子供と一緒に写真を撮った。しかし、この作品は衝撃的だ。ヒトラーは本心からこの女の子に、親近感を抱いていたようなので。愕然とした」


「ヒトラーの恋人」

ヒトラーと女の子は、誕生日が同じだった。それが出会いのきっかけだった。
競売サイトによると、ローザさんは1933年、母親のカロリーネさんと一緒に、アルプスにあったヒトラーの別荘ベルクホーフを訪れた。別荘の外には、ナチス総統の誕生日を祝う大勢が集まっていた。

ローザさんの誕生日が自分と同じだと知ったヒトラーは、ローザさんと母親を別荘に招き入れたとされている。写真はそのとき撮られたという。
それからまもなくして、カロリーネさんの母親がユダヤ人だったことが判明する。ナチスにとっては、ローザさんもユダヤ人ということになった。
 
ヒトラーは少女がユダヤ系と知りながら、友情を育んだ

 
しかしそれでも、ヒトラーは少女との友情を終わらせなかった。一緒に撮った写真は、サインをして送っている。

「親愛なる、そして(思いやりのある?)ローザ・ニナウへ、アドルフ・ヒトラー、ミュンヘン、1933年6月16日」と、ヒトラーは書いた。


ローザさんは後に、この白黒写真に自分で花を足しているようだ。
ローザさんは1935〜1938年の間に、少なくとも17回にわたりヒトラーと側近のヴィルヘルム・ブリュックナーに宛てて手紙を書いた。
 
ヒトラーの個人秘書マルティン・ボルマンが、ローザさんと母親(ローザさんの父親は死亡していた)に連絡を控えるよう命令するまで続いた。


この命令を、ヒトラーは気に入らなかったようだと写真家のホフマンは後に書いた。

ホフマンは1955年に発表した回顧録「Hitler Was My Friend(ヒトラーは友達だった)」で、「私のあらゆる楽しみを台無しにするのが本当にうまい連中がいる」とヒトラーが自分にぼやいたのだと書いている。
 
ホフマンはさらに同書に、「ヒトラーの恋人」とキャプションをつけて、2人の別の写真を掲載。「ベルクホーフで少女に会えるのをヒトラーは楽しみにしていた。しかしそれは、お節介な誰かが、少女が純粋なアーリア人の血統でないと発見したため、終わってしまった」のだという。


ボルマンが、ヒトラーと少女の接触をやめさせた翌年、第2次世界大戦が勃発した。6年後の終戦までに、ユダヤ人600万人が死んだ。

ローザさんも戦争を生き抜くことはなかった。ポリオにかかり、ヒトラーと初めて会った10年後の1943年、17歳でミュンヘンの病院で亡くなった
 
 4・7・2021

ヒトラー


Remarkable tale of Hitler's young Jewish friend
Published13 November 2018


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アドルフ・ヒトラーの遺骨>安らかな死は許されず、

2024年04月23日 20時03分18秒 | 歴史的なできごと
アドルフ・ヒトラーの死

>夫妻の死体はガソリンをかけて燃やされたが、その残骸は赤軍により発見、回収された。ソ連によりヒトラーの死体は秘密裏に埋められたが、1970年に掘り起こされ、完全に焼却されたあとにエルベ川に散骨された


アドルフ・ヒトラーの死の項目では、1945年4月30日、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーが総統地下壕の一室で、夫人のエーファ・ブラウンとともに自殺を遂げた経緯について記述する。
 
自殺の手段は、拳銃と劇薬であるシアン化物を複合的に用いたものとされている。ヒトラーの生前の意向に従い、夫妻の死体はガソリンをかけて燃やされたが、その残骸は赤軍により発見、回収された。ソ連によりヒトラーの死体は秘密裏に埋められたが、1970年に掘り起こされ、完全に焼却されたあとにエルベ川に散骨された。これらの情報は、冷戦終結後の1992年に旧ソ連のKGBと後継組織であるロシアのFSBに保管されていた記録が公開されたことによって明らかになった。 




遺骨[編集]


1970年には、スメルシの施設は KGBのコントロール下、東ドイツ政府に移譲される予定だった。ヒトラーの埋葬場所がネオナチの聖地になることを恐れ、KGB議長のユーリ・アンドロポフは部隊に遺骸を破壊する許可を与えた。ソビエトのKGBチームは詳細な埋葬場所を指示され、1970年4月4日秘かに10体の遺骸を掘り出し完全に焼却して灰をエルベ川に散骨した[71]。 

この1年前の1969年にソビエトのジャーナリスト、レヴ・ベジメンスキー(Lev Bezymensky)が、スメルシの検視レポートに基づき西側で本を出版した。しかし初期の情報攪乱のため、歴史家はその情報の信頼性に疑いを持つ場合がある[72]。 


しかしソビエト連邦の崩壊後の1993年に、KGB(FSB)が、KGBの元メンバーによる公的検死記録その他の報告書を公表した。これらにより歴史家は、ヒトラーとエヴァの死体のその後について見解の一致に達した[73]。また、これによりトレヴァー=ローパーの1947年の著書『The Last Days of Hitler』で示されたヒトラーの死についての見解が裏付けられた。 


1993年にロシア政府は、ヒトラーの下頤骨と銃弾の痕のある頭骨の一部を、モスクワにあるロシア連邦保安庁(FSB)の公文書館が保管していることを発表した。アメリカ・コネチカット大学のチームがロシア政府の許可を受けて頭骨のDNA鑑定を実施したところ、この頭骨は女性のものであるとの結果が出たという。 

2000年4月26日、モスクワ市内のロシア国立公文書館でヒトラーの頭骨の一部が報道陣に初公開された。遺骨の公開展示を企画した責任者であるFSBのニコライ・ミハンキン大佐はインターファックス通信とのインタビューで「ヒトラーの遺骨は二度とロシアから出ることはないだろう。我々は常にそれを監視している。」と語っている。[74] 

2018年、フランス人法医学者のフィリップ・シャルリエ(英語版)がロシアの連邦保安局と国立公文書館の許可を受け、保管されていたヒトラーの遺骨の調査を開始した(遺骨調査の許可は1946年以来とされている)。



公文書館にある頭蓋骨はケースに入っており触れることさえできなかったが、ロシアKSBに保管されていた義歯の断片については詳細な調査が許された。


ヒトラーの生前に撮影されていたレントゲン写真と照合したところ、義歯の形状が一致した。彼の骨格や歯の状態に合わせたオーダーメイドであり、別人のものとは考えがたい。また、表面の傷や付着した歯石は実際に使用されていたことを示しており、模造品とも考えがたい。

偶然落ちた破片を持ち帰って付着物の組成を分析したところ、レタスの繊維などが見つかり、これも菜食主義者であったヒトラーの食生活と合致する。以上のことから、この義歯は本物と断定された。そのうえで、頭蓋骨に残された弾痕、虫歯についた青みがかった付着物から、銃で頭を撃ち抜く行為も青酸カリを服用する行為も両方行われたのであろうと結論づけている[75]。 



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ヒトラーはなぜユダヤ人を殺すほど憎んだのか?

2024年04月23日 18時05分26秒 | 歴史的なできごと

ナチスドイツはなぜ「ユダヤ人」を憎悪した?その複雑な関係を元大学教員が5分で解説 




>ドイツは、ロシアに侵攻することで東方の領土を拡大させ、そこにユダヤ人を送ろうと考えてしました。しかしながら戦況が悪化して領土の拡大に失敗。ユダヤ人を追放するエリアが確保できなくなります。そこでナチス政権はユダヤ人政策の方針を転換。国外に追放するのではなく処分、つまり殺すことに決めました。

9/12/2022



よぉ、桜木建二だ。第一次世界大戦の敗北後のドイツでは反ユダヤ主義が急増。ナチスドイツのホロコースト政策により暴力行為や虐殺の対象となってきた。今でもユダヤ人は偏見の目で見られる対象で、排除を要求する暴力的な行動にさらされている。最近のドイツでも、とくに極右団体にとっては未だにユダヤ人は憎悪の対象だ。



同党はどうしてユダヤ人の存在に反発を感じてきたのだろうか。ナチスドイツが表明したアーリア人至上主義の主張などを踏まえながら、ヘイト行動の背景を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。


  • この記事の目次
  • そもそもユダヤ人とは何?
  • ユダヤ人とは宗教的民族集団のこと
  • ナチスはユダヤ人を「人種」と捉えた
  • ユダヤ人迫害はキリストの死後から始まる
  • もともとユダヤ教とキリスト教はルーツが同じ
  • キリスト教のなかでユダヤ人は冒涜する存在
  • ナチスドイツがユダヤ人を敵とした理由
  • 第一次世界大戦後のドイツをひとつにまとめるため
  • アーリア人を優れた人種と位置づけるため
  • ドイツでユダヤバッシングが増加
  • ドイツ大使館でユダヤ青年が書記官を射殺
  • 水晶の夜事件にてユダヤ人が殺害
  • ポーランド侵攻後、ユダヤ人を迫害する政策が加速
  • ナチスはユダヤ人を「ゲットー」に隔離
  • アウシュヴィッツなどの「絶滅収容所」が登場
  • ドイツにおけるユダヤ人憎悪は今でも続く

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。



ライター/ひこすけ
アメリカ文化を専門とする元大学教員。反ユダヤ主義の高まりをうけてドイツの政府高官が、ユダヤ教徒は伝統的な帽子キッパを着用しないように発言したというニュースが流れた。このときナチスの過去が終わっていないことにショックを受けたのを覚えている。ユダヤ人に対する反発や憎悪はどこから来ているのか、関連する内容をまとめてみた。


そもそもユダヤ人とは何?

世界には、日本人、アメリカ人、中国人、フランス人など、いろいろな国民が存在します。ユダヤ人は、それらと同じように思えますが、実は必ずしもそうではありません。ユダヤ教を信仰する宗教集団と、その血統を引く子孫のことを、ユダヤ人と総称します。
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ユダヤ人とは宗教的民族集団のこと
ユダヤ人を英語にするとJew。ユダヤ教を信仰している宗教集団のことを指します。ユダヤ教の経典となるのが、タナハとミクラーと呼ばれる書物。キリスト教徒にとって「旧約聖書」にあたる書物です。ただし、成立するプロセスが異なるため、内容の順番などは「旧約聖書」とは異なるかたちになりました。
ユダヤ人は、聖典よりも行動や実践を重視している点がキリスト教徒と異なります。聖典を読んだり研究したりする、食事とトイレのあとに祈る、食物を清浄する、安息日をもうけるなどが該当。ユダヤ教に改宗する意志があっても、手続きに時間がかかることも特徴です。

ナチスはユダヤ人を「人種」と捉えた

歴史的にユダヤ人は宗教集団のことを意味しますが、ヒトラーが率いるナチスドイツはユダヤ人を人種と捉えて迫害しました。ヒトラーが関心を持っていたのが優生学。よい遺伝子を残すための研究をする学問のひとつです。それを根拠に、優性な民族はインド・ヨーロッパ語族を包括するアーリア人であり、ドイツはアーリア人により支配されるべきだと考えました

そこでヒトラーは、アーリア人が支配する国をつくるために、劣性民族であるユダヤ人を排除する政策を打ち出します。ナチスが考えるユダヤ人の基準はあいまい。欧州に純粋なユダヤ人はそれほど多くなく、ユダヤの血が半分、3分の1、4分の1というように、時期により変化しました。

桜木建二  

イスラエルの国民をユダヤ人とすると、宗教上のユダヤ人と一致しなくなる。ユダヤ人とされる人々は欧州を中心にいろいろなところに点在。なんとなくユダヤ人と言ってしまうが、実際は定義することが難しい曖昧な民族の区分というわけだ。



ユダヤ人迫害はキリストの死後から始まる

ユダヤ人というとナチスドイツにより迫害されたというイメージを持つ人が多いでしょう。しかし実際は、ユダヤ人の迫害そのものは、もっと前から始まっていました。イエス・キリストはユダヤ教の厳格な教えに意義を申し立てて最終的に処刑されます。そのためイエスの死後に、ユダヤ人が迫害されるようになりました。

もともとユダヤ教とキリスト教はルーツが同じ

ユダヤ人迫害の歴史は、政治ではなく宗教の問題によるもの。キリスト教のルーツは旧約聖書を聖典とするユダヤ教。つまり初期のキリスト教はユダヤ教に近かったと考えることもできます。しかしながらユダヤ人はイエス・キリストを救世主と認めませんでした。そこで両者は分裂するに至ります。

さらにキリスト教徒は、イエスを認めなかったユダヤ人をさげすむように。イエスが十字架にはりつけられて亡くなったのは、イエスの主張に反発したユダヤ人のせいであると考えるようになります。そこで両者のあいだに距離が生まれ、迫害の土壌ができあがっていきました。

キリスト教のなかでユダヤ人は冒涜する存在

ユダヤ教は狭い範囲にとどまったのに対して、キリスト教は欧州中に広がり、信者の数も一気に追い抜いていきます。ユダヤ教は、いくつもの厳しい戒律を守ることが重視されましたが、キリスト教が期待するのは信じる気持ち。そのため世界中の人々に受け入れられるようになりました。

キリスト教が広がると同時に、ユダヤ人のネガティブなイメージも浸透。キリスト教を冒涜する立ち位置となりました。そのため仕事上でも差別されるように。そこでユダヤ人は、キリスト教徒が敬遠する金融業に携わるようになり、そこで頭角をあらわしていきます。



キリスト教では利子をとって同胞にお金を貸すことを禁止していたので金融業に関わることはだめ。さらに金融業で財をなす有力ユダヤ人が増えてきたことから、宗教的な嫌悪感、経済的成功に対する妬み、影響力に対する恐怖など、いろいろな感情が入り混じったのだろう。




ナチスドイツがユダヤ人を敵とした理由

さきほども少し触れましたが、ユダヤ人を敵視する感覚は、ヒトラーが登場する前からヨーロッパにありました。そのうえで、ヒトラーが徹底的にユダヤ人を迫害しことには、その時代ならではの明確な理由があります。第一世界大戦におけるドイツの敗北、世界大恐慌の襲来、慢性的な不況などが、ユダヤ人に対する憎悪をさらに増幅されたと言えるでしょう。

第一次世界大戦後のドイツをひとつにまとめるため

第一次世界大戦後のドイツは、多額の賠償金と世界的な不況の影響もあって経済的に困窮します。フランスやイギリスと異なり、植民地を持っていなかったことも、ドイツの低迷の理由。そのため、ドイツ国民の不満がたまり、政権は不安定な状態が続きました。

そのためヒトラー率いるナチ党が政権をとったあと、どのようにしてドイツ国民をひとつにまとめるのかが課題に。そこで、共通の敵を作り出す必要があると考えました。そこで標的となったのがユダヤ人。もともとキリスト教世界で迫害されてきた経緯があり、敵として設定しやすかったと思われます。




アーリア人を優れた人種と位置づけるため

ドイツ国民をひとつにまとめるため、共通の敵を作り出すことに加えて、ドイツさらには世界のトップに立つべき人種を作り出します。それがアーリア人。アーリア人とは、ドイツ国民とイコールではありません。インド・ヨーロッパ語族を包括する民族とされていますが、生物学上は存在しない、空想の人種とも言えます。

ヒトラーが興味を持っていたのが優生学。特定の人種を優れていると見なす差別的な思想で、ドイツのみならずアメリカやイギリスでも流行していました。優生学は優れている人種を守るために、劣った人種は排除することを正当化。ヒトラーは、アーリア人を優性人種、ユダヤ人を劣性人種と位置づけました。

桜木建二  
ヒトラーのユダヤ人の迫害が加速したのは、それを容認する土壌が歴史的につくられていたから。ヨーロッパでユダヤ人は決して少数派ではない。多数のユダヤ人が生活していたからこそ脅威の対象となったのだと思う。




ドイツでユダヤバッシングが増加

ユダヤ人を国外に追放することが政策化された時期、ドイツ人のユダヤバッシングを過熱させる事件が起こります。それがドイツ大使館書記官殺害事件。この事件をきっかけに、ユダヤ人を嫌悪する国民感情が一気に高まりました。そして、ドイツ国内のあちらこちらで、ユダヤ人を集団リンチするような暴動が起こります。


ドイツ大使館でユダヤ青年が書記官を射殺

1938年11月、ポーランド系ユダヤ人青年のヘルシェルが、パリのドイツ大使館に勤める書記官を射殺するという事件が発生。殺害の動機は、世界にユダヤ人が置かれている状況を伝えること。そして、そして家族がナチスにより受けた仕打ちの恨みを晴らすことでした。

ヘルシェルは、大使館員によって捕えられてフランス警察に引き渡されます。取り調べのなかで彼は、ナチスに抗議するために殺害したと発言。熱狂的なナチス支持者はこの発言に反応します。そこでユダヤ人を排斥するための暴動がドイツ各所で起こるようになりました。


水晶の夜事件にてユダヤ人が殺害


反ユダヤの暴動がクライマックスに達したのが1938年の11月9日から10日にかけて起こった水晶の夜事件。この事件名は、路上に散らばったショーウィンドウの破片が月明かりに照らされて水晶のようにきらめいたことから、ヒトラーの右腕であるゲッペルスにより名付けられたと言われています。

水晶の夜事件を通じて177のユダヤ人の会堂と7500のユダヤ人の商店や会社が破壊されることに。ユダヤ人は、暴行されたり、辱められたり、殺されたりしました。ドイツ政府の指示により、暴動が鎮圧されることはなく、警察も消防も出動することはありませんでした。

桜木建二  

ヒトラーはこれらの暴動は正当な行為であると見なした。水晶の夜と美化するような表現がなされたが、実際の現場はユダヤ人の遺体がころがる悲惨なものだっだらしい。暴動者のほとんどは不起訴とされ、罰せられることはなかったが、強姦した者については、ドイツ人の血を汚す行為であると罰せされたそうだ。


ポーランド侵攻後、ユダヤ人を迫害する政策が加速
 

水晶の夜事件は、ナチス政権が反ユダヤ政策をすすめることを正当化させる結果に。さらに1938年にドイツはポーランドに侵攻。第二次世界大戦の口火を切ります。ポーランドには多数のユダヤ人が暮らしていたことから、ドイツはさらに多くのユダヤ人を抱えることになりました。

ナチスはユダヤ人を「ゲットー」に隔離
ポーランドに住んでいるユダヤ人を国外に追放することは現実的に不可能。そこでナチス政権は、強制居住区であるゲットーにユダヤ人を隔離することにします。そこでのユダヤ人の生活は、外部との遮断、最小限の食糧、過酷な肉体労働と、ひどいものでした。そこでたくさんのユダヤ人が命を落とすことになります。

その後のドイツは、ロシアに侵攻することで東方の領土を拡大させ、そこにユダヤ人を送ろうと考えてしました。しかしながら戦況が悪化して領土の拡大に失敗。ユダヤ人を追放するエリアが確保できなくなります。そこでナチス政権はユダヤ人政策の方針を転換。国外に追放するのではなく処分、つまり殺すことに決めました。

アウシュヴィッツなどの「絶滅収容所」が登場

そこで登場したのがアウシュヴィッツを含めた絶滅収容所。強制居住区は隔離するためのエリアでしたが、強制収容所は強制労働の末に殺戮することを目的としていました。ここで行われた大虐殺はホロコーストと呼ばれています。身を隠している人を探すユダヤ人狩りが徹底的に行われ、見つけ出されると拘束のすえに強制収容所に送り込まれました。

なかには、強制収容所に移送される途中で奇跡的に逃げ出すことに成功したユダヤ人もいました。しかし、多くのユダヤ人はガス室に送り込まれ、毒ガスが充満した部屋で命を奪われていきます。さらに、銃殺や絞首により殺されるユダヤ人も。食事をほとんど与えられず、餓死することも珍しいことではありませんでした。


桜木建二  

ユダヤ人の逃亡先は複数あったが、リトアニアの日本領事館もそのひとつだった。当時の外交官だった杉原千畝が、逃げてきたユダヤ人の女性や子どものためにビザを発給していたからだ。逃亡に成功するユダヤ人もいたものの、ナチスドイツの目標はユダヤ人の絶滅。最終的に1000万人以上のユダヤ人が命を落としたと言われている。




ドイツにおけるユダヤ人憎悪は今でも続く

ホロコーストの実態が世界的に知られたことから、敗戦後に虐殺に関与した幹部などは処刑されることに。ドイツ政府もナチスの政策を過ちとして公式に認め、賠償金などの対応をしました。しかしながらドイツにおける反ユダヤ感情は、すべての国民ではないものの一部で根強く残っています。ユダヤ人に対する暴行が目立っていることを受けて、ドイツ・ユダヤ人中央評議会のヨーゼフ・シュースター会長は、ユダヤの伝統的な帽子であるキッパをかぶらないように訴えました。第二次世界大戦の終戦とヒトラーおよびナチス関係者の処罰・処刑により、ユダヤ人の迫害は終わりを告げたかのように感じられます。しかしその歴史はまだ続いていると考えたほうがいいでしょう。






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10分で「ベンチャー企業への投資」を判断するプロの決め手

2024年04月23日 13時05分33秒 | お金のこと


ベンチャー企業の成功率は極めて低く、1000のうち3つ程度と言われています。確立にして0.3%と、もはや実現不可能にも思える数字です。しかし、連続で成功している起業家がいることも事実。

海外の医療機器ベンチャー企業に投資する筆者らは、「実感として、最も成功率が高いのは、ベンチャーキャピタルから投資を受けた企業」と語ります。キャピタリストはどのような視点で投資を行っているのでしょうか? 起業前に知っておきたい予備知識を解説します。

目利き力のあるキャピタリストは「その分野の専門家」

(※写真はイメージです/PIXTA)

ベンチャー企業に投資する上で必須となるのが、目利き力である。人物、技術、ビジネスモデル、特許等、見るべき項目は多数あり、案件によっても異なる。特にアーリーステージのベンチャー企業では、全てが完璧ということはまずないので悪いところは目をつぶり、良いところを見つけるという見方も必要だ。

 ただ一つ言えることは、ベンチャーキャピタリスト一人で、全ての領域や技術などを把握するのは物理的に不可能なため、ある程度の投資領域をフォーカスするべきである。

 弊社は、医療機器しか投資対象にしていない。バイオも再生医療も同じライフサイエンスだが投資はしない。というよりも、投資できるだけの目利き力がない。なぜなら専門外の領域でコメントできる力量がないし、自分より遥かに詳しい起業家に対してものを言う権利がない。

起業家はみんな自分の人生やお金、時間など全てを賭けている。そんな起業家に対して、意見を言うには、こちらにもそれなりの覚悟が必要だ。 その代わり、医療機器については絶対的な自信をもっている。弊社のメンバーは、ほとんどが医療機器の業務経験がある専門家だ。循環器、脳血管、整形、消化器、眼科など、ほぼ全ての領域をカバーしている。 

それぞれの分野でこれまでどんな治療が行われてきたか、現在なにが行われているか、大手医療機器メーカーがなにを必要としており、どういう製品なら買収の対象になるか、買収される場合はいくらになるか、今後注目される領域はなにか、を把握している。

 各分野の学会等へもほとんど参加しており、可能な限りの情報収集を日頃から行っている。そのため、新規案件を見た瞬間に投資を本格的に検討すべきか否か、通常であれば10分くらいで判断できる。

だからこそ本格的に支援する案件にはとことん付き合うことができる。



ベンチャーキャピタリストに求められる「知識レベル」


例えば、脳動脈瘤の治療を行う製品を開発するベンチャー企業から投資の依頼があったとする。脳動脈瘤が破裂すると、くも膜下出血となり治療法にはカテーテルによる血管内治療かクリップ術という外科(開頭)手術を実施する。そして、血管内治療にはガイドワイヤー、マイクロカテーテル、塞栓コイルなどが必要で、手技中に穿孔のリスクや、治療後には破裂リスクなどの課題があるということまでの事前知識が必要だ。 

ベンチャーキャピタルとしては、製品ごとにどんな競合が存在し、今後の勢力図や成長性はどうなるのかといった、前提条件を理解しておかなければならない。案件の紹介があってから、「脳動脈瘤って、どんな病気だっけ?」という知識レベルでは、とてもじゃないが案件の目利きなどできない。

 全てを把握するまで、かなりの時間と勉強が必要になる上、本質的な理解には及ばないので、結局、正しい目利きはできない。開発段階でも医療機器特有の知識は必要で、ビジネスモデルは創薬などとも異なる。その分野の専門家でなければ、到底太刀打ちできる代物ではないのだ。


「投資のモノサシ=自分なりの評価基準」が不可欠


目利きをする上で、欠かせないのが投資のモノサシである。 ベンチャー企業への投資は、未完成な製品や、これから実行する事業計画等を見て判断する。そのため様々なリスクがあり、不確定要素が満載である。当然、製品としても未成熟なものばかりで特にアーリーステージでは、そのあたりを割り引いて評価する。 そこで必要となるのが投資のモノサシだ。

つまり、「これくらいの完成度でも、このステージでここまでできていれば大丈夫」という自分なりの基準である。自信をもってそう思えるようになるには、自分なりの評価基準となるモノサシが不可欠だ。

「あれだけ成功したXX社でも、最初の試作品の完成度は低かった。シリーズAの段階で、ここまでできていれば十分だ」といった感覚をもつのだ。 また、起業家を評価する上でも、このモノサシがいる。


起業家には、開発は得意だが、お金の計算は全くできない人、医師としては優秀だが、技術者と話ができない人など、いろいろなタイプがいるが、その程度もどのくらいまでは許容でき、どのくらいなら許容できないか、このあたりの見方を自分のモノサシで測れるようになるためには、多くの成功事例を見る以外にないように思う。 

成功した案件や起業家を全く見たことがない人が、この感覚をもつことはできないだろう。成功事例を多く見て、自分なりのモノサシを作り上げていけるか、その力量で投資家の価値は決まる。それには、ある程度の時間と経験がどうしても必要になる。


投資の成否は結局「自分たちの目利き力」次第


開発初期に試作品を名医に見せたら、全く評価されなかったという話はよくある。臨床の医師は、完成した最終製品しか見たことがない場合が多く、開発初期であることを割り引いて見てくれることは少ない。医師から意見をもらうときには、そのあたりを考慮に入れた上で参考にしたほうがいい。

 実際に、どのくらいの外部意見を取り入れるかは、ベンチャーキャピタルによっても、そのスタンスは異なると思う。ただ、たとえどれだけ優れたアドバイザーから意見を聞いたとしても、最終的にはベンチャーキャピタリストが、その案件の魅力やリスクを全て理解し、自分の感覚で、投資するかどうかを決めなければならない。アドバイザーは時に無責任なことを言うし、そもそも投資の責任を負うわけではない。

 また、アドバイザーの意見を十分に理解し、活かすためには、まず自分自身の知識を十分に深めるべきだろう。その上で、アドバイザーの意見を参考にする。 我々も投資において外部の意見を聞くことはあるが、あくまでも参考に留めて最終的な判断は自分たちでする。


医師が高く評価する医療機器であっても、投資的視点では全く評価に値しないものも多いし、その逆もしかりである。 

ちなみに、自分たちだけで評価を完結できるだけの知識と経験があるので、ほとんどの案件で外部の専門家に聞くことはしていない。これまでの成功案件でも、外部の専門家にまとまったインタビューを実施したり、調査をコンサルティング会社に依頼したりしたことは一度もない。 

4・21・2021

大下 創



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