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運動をうつ病治療の「第1の選択肢」にすべきとの研究結果、うつ病には筋トレが最適とのエビデンスも

2024年04月08日 19時06分13秒 | 医学と生物学の研究のこと


運動をうつ病治療の「第1の選択肢」にすべきとの研究結果、うつ病には筋トレが最適とのエビデンスも





2023/04/09(日) 20:57:55.



運動をうつ病治療の「第1の選択肢」にすべきとの研究結果、うつ病には筋トレが最適とのエビデンスも

 新しく行われた大規模な研究により、メンタルヘルスの治療法としては一見すると地味な「運動」が既存の治療法の1.5倍も効果的だということが示されました。

 Effectiveness of physical activity interventions for improving depression, anxiety and distress: an overview of systematic reviews | British Journal of Sports Medicine
 http://dx.doi.org/10.1136/bjsports-2022-106195

(以下略、続きはソースでご確認ください)

Gigazine 2023年04月09日 20時00分 


https://gigazine.net/news/20230409-exercise-first-choice-depression/
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【がん】免疫療法で医師「一部の人は本当に治ったというぐらい効く」 進むゲノム医療

2024年04月08日 10時05分56秒 | 医療のこと
【がん薬物療法】免疫療法で医師「一部の人は本当に治ったというぐらい効く」 進むゲノム医療

© AERA dot. 提供
 承認から早10年、「免疫チェックポイント阻害薬(免疫療法薬)」は、がん治療に欠かせない薬となった。2014年に悪性黒色腫に対して承認されたニボルマブを筆頭に、現在、ペムブロリズマブやアベルマブ、アテゾリズマブなど、8種類が日本で承認され、使えるがん種も広がっている。本記事は週刊朝日ムック『手術数でわかるいい病院2024』に掲載した「がん薬物療法」の解説記事より、免疫チェックポイント阻害薬の基礎知識と注目のゲノム医療のコラムを、抜粋してお届けする。


*  *  *


 国立がん研究センター中央病院の後藤悌(やすし)医師は、「一部の人は本当に治ったというぐらい効く。薬でがんを治せるなんてあり得ないと思っていたけれど、本当にそういうことがあり得る」と話す。



 慶応義塾大学病院の浜本康夫医師も、「これまでいろいろな新薬が出てきたが、数年経つとだいたい限界が見えてきた。しかし、不思議なことに免疫チェックポイント阻害薬はまだそこまでいっていない。効かないと思っていたがんに対しても、コンビネーションなどで治療効果が期待される」と注目する。


 私たちのからだの免疫のシステムを応用してがんをたたく、免疫チェックポイント阻害薬。具体的な作用機序は次の通りだ。


 リンパ球などからなる免疫は、からだに存在するさまざまな異物に対して反応し、排除する働きを持つ。そういう意味では、がん細胞も異物の一つなので免疫に排除されるはずなのだが、がん細胞の場合、免疫をくぐり抜ける仕組みがあるため、排除されずに増殖できてしまう。


 免疫チェックポイント阻害薬は、がん細胞が提示する免疫をくぐり抜ける仕組み(免疫チェックポイント分子など)に作用することで、がん細胞が免疫から逃れる仕組みを解除する。その結果、リンパ球の一つであるT細胞が活性化され、がん細胞を異物と見なして攻撃を仕掛けることが可能になる。


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【がん薬物療法】免疫療法で医師「一部の人は本当に治ったというぐらい効


 現在わかっている免疫チェックポイント分子には、CTLA-4とPD-1、PD-L1があり、それぞれが免疫チェックポイント阻害薬のターゲットとなっている(例:ニボルマブはPD-1に対する抗PD-1抗体、アベルマブはPD-L1に対する抗PD-L1抗体)。薬が使えるがん種は肺がんや乳がん、胃がん、大腸がんなどさまざま。多くのがんは使うタイミングや併用できる治療などは規定されているものの、遺伝子検査をせずに使うこともできる。一方、そうした枠にとらわれず薬を使うには、がん組織のMSI(マイクロサテライト不安定性)を調べる必要がある。詳しいことは主治医などに聞いてみるといいだろう。


■従来の薬と異なる副作用対策が課題
 問題は副作用(有害事象)だ。これまでのがん治療薬では、吐き気や脱毛、皮膚障害など、その薬特有の副作用があり、一部ではその対策を講じることができるようになった。だが、免疫チェックポイント阻害薬の副作用は頻度こそ少ないものの、多岐にわたり、個人差が大きい。




「間質性肺炎などは途中で治療をやめれば回復しますし、ステロイド薬の使用という手もある。その一方で、副作用のなかには、甲状腺機能低下症や副腎皮質機能低下症など、がんが治っても続くものがあり、この副作用の治療薬を一生、使わなければならないケースも出てきている」


 こう話すのは、福島県立医科大学病院の佐治重衡(しげひら)医師。


 副作用で表れる症状のなかには、風邪など一般的な病気による症状と似ているものもある。その違いを見極めるのも簡単ではない。とはいえ、免疫チェックポイント阻害薬が登場して10年ほど経ち、多くの医療機関で使われるようになったことで、「使い勝手がわかるようになったし、医師も慣れてきつつある」(後藤医師)という。以前のような〝特別な薬〟という位置づけではなくなってきている。


「それでも、できれば腫瘍内科など薬の使い方や副作用対策に長(た)けている師のもとでおこなうほうが望ましい」(同)


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以下はリンクで





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大奥に出入りできた男性たち

2024年04月08日 00時05分15秒 | 歴史的なできごと


勤務先が男子禁制の大奥!? 大奥に出入りできた男性たち

(歴史人) - Yahoo!ニュース 



勤務先が男子禁制の大奥!? 大奥に出入りできた男性たち
3/29(水) 16:00配信
9コメント9件
写真・図表:歴史人


たとえ猫でも、将軍以外の雄(オス)は入ることができない江戸城の奥に設えられた女の園「大奥」。だが、実際には大勢の男性が多くに出入りしていた。

  大奥は将軍以外の男子禁制の女の園だったといわれているが、本当だろうか。実は、将軍以外の男性も大奥に出入りしていたのである。

  まず、大名家へ養子にいった将軍の子どもたちを上げることができる。彼らは大奥で生まれ育ったのだから、実家に帰省するようなものだろうか。また、御三卿(ごさんきょう)の当主も大奥に入ることができた。一般に田安家、一橋家、清水家といわれているが、いずれも徳川姓を名乗っていた。一族が徳川ばかりなので区別しにくいことから、一橋門の近くにあった家を一橋家というように通称で呼ぶようになった。御三卿は大名ではなく、あくまでも将軍の身内という扱いだった。そのため大奥への立ち入りを認められていたようだ。身内ということでいうと、大奥に勤める奥女中(おくじょちゅう)の親戚で9歳以下の男子も可能であった。 

 このほか仕事上の都合により大奥に入る者もいた。 

 たとえば、幕府の政務を取り仕切る老中は、将軍の正妻である御台所(みだいどころ)に呼ばれた時や奥女中の任免の伝達や情報交換のために、大奥の実務面でのトップ年寄(としより)との面会に大奥に出向くことがあった。 

 将軍を診察する奥医師は、将軍の家族を診ることも仕事であったから、当然大奥にも往診する。屋敷の修理のために大工も大奥へと出かけて行く。建物だけでなく建具も手入れをすることもあり、襖絵(ふすまえ)を描くため奥絵師も大奥に行くことがあった。 

 さらには、職場が大奥という者たちもいた。その筆頭が留守居である。もともとは将軍が戦などで江戸城を不在にする際に、江戸城と城下を預かる臨時の役目であったが、それが常設されるようになってから役目が替わり、大奥の取り締まりなどを行うようになった。町奉行や大目付(おおめつけ)などの重い役職についていた旗本が任命される名誉職で、旗本ながら城主格というから5万石ぐらいの大名の待遇であったという。

  この留守居役の配下に広敷向(ひろしきむき)の役人たちがいた。広敷向とは大奥の事務や警備を担当する男性たちが詰める場所のこと。事務方は広敷用人で、このさらに下に大奥で使用する道具を購入・管理する広敷用達、御年寄が代参する時に警備に着く広敷侍、庶務を担当する広敷御用部屋書役などの男性たちが働いていた。

  一方番方は、広敷番之頭がトップ。その配下に広敷を通る人を調べる広敷添番(ひろしきそえばん)、広敷番並、広敷と奥向の境である錠口(じょうぐち)や広敷と奥女中たちの生活空間である長局(ながつぼね)の境にある七ツ口を警備する広敷伊賀者(いがもの)、廊下の掃除や奥女中たちの住む部屋の煤払(すすはら)いをする広敷下男(げなん)などがいた。この広敷下男であるが、奥女中たちの用を請け負う代わりに食べ物や何かを受け取る者がいたようだ。また、奥女中たちが彼らを部屋に引き込むという噂もあった。  

このほか、江戸城内で荷物の運搬や土木工事、堀割の掃除といった雑用をこなす黒鍬之者(くろくわのもの)がいた。仕事の中には塵壺(じんこ)と呼ばれていたゴミ箱の中身を回収することも含まれており、この時奥女中たちから様々な心づけを貰うことが多く、絹物を着るなどゆとりのある生活を送る者もいたという。

大奥は確かに女の園であったが、その園を支えるために実は多くの男たちが働いていたのである。
加唐 亜紀


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