金正恩の“緊急事態”、ベンツ現れず、午前6時の駅の鐘…平壌市民の当惑と覚醒
金与正の指示」が取って代わる
トップ在任9年で初めての”緊急事態”(「わが民族同士」ホームページより)
4月12日からおよそ80日に亘って、金正恩が登場したのはたった3度で、現在どこにいるかも判然としない。彼の統治の9年間、このようなことは一度もなかった。平壌市民は金正恩の“異常”を十分に察知し、その“不在”を訝しんでは、金正恩の“有事”の際に自分たちがどう振る舞うべきかを想定し始めているという。覚醒した平壌市民が変革を後押しするのか。北で博士号を取得した専門家による真相リポート。
【写真】金正恩が「トイレ持参」で排泄物も残さなかった理由 ***
平壌の内部協力者によると、北朝鮮の人々は、以前は金正恩がテレビや新聞に姿を現さなくてもあまり関心を持たなかったという。しかし、金正恩の潜行が長くなり、最近は金正恩の身に問題が生じているのではないかという疑いを持ち始めたようだ。
金正恩はこれまで、国家的に重要とされる日に、金日成や金正日の遺体が保管されている錦繍山(クムスサン)記念宮殿を参拝してきた。しかし最近、参拝の知らせが全くないうえ、党、国家、軍隊のすべての国事を金与正が掌握していることが伝わり、金正恩の体調に疑いの目が向けられているという。さらに、実兄の金正哲(キム・ジョンチョル)までが中央党入りしたというニュースが重なり、平壌を中心に北朝鮮住民から「金正恩はどうなったのか」とささやかれるようになったわけだ。 平壌市民が当惑している根拠として4つの事象がある。第1は平壌で金正恩を目にしないこと、第2に金正恩の身辺についてむやみに言わないようにという中央党主要幹部講演会の内容が異常だったこと、第3に平壌駅の早朝の鐘が変わったこと、そして、第4は金与正が金正恩の統治を代行していることだ。
なかでも金正恩が平壌で目撃されていないことが、最大のポイントだ。金正恩の車両が通ると、交通安全員たちがクルマの流れなどを統制してすべての人が立ち止まり、遠くから金正恩の豪奢なベンツを見送ることになる。が、そのベンツが全く出てこないのだから、金正恩と同じ首都で暮らす平壌市民が戸惑うのも無理はない。
6月1日、非公開で行われた中央党の主要幹部講演会の内容もおかしかったという。そこで、「敵がまき散らす将軍様の身辺や権威に関するデマを革命的警戒心で接し、首領保衛の精神を発揮しよう!」と題した演説があった。金正恩を陥れようとする動きに対応した内容だったのだろう。もっとも、北がデマと指摘するようなことはそれこそ日常茶飯事である。金正恩の安否について北の住民が違和感を抱いているその最中に、あえてそれをデマだと強調するのは、何か問題が起こっているからだと首を傾げる幹部が少なくなかったという。そして、この内容は中央党幹部本人や家族を通じて平壌市内に流れ、結局、多くの平壌市民が知るようになった。
平壌駅で午前6時に鳴る打鐘音楽も最近変わっている。平壌では朝6時になると、平壌駅の鐘とともに北朝鮮の「愛国歌」が大きく流れ、人々は目を覚ます。ところが4月末から「愛国歌」が「どちらにいらっしゃるのですか懐かしい将軍様」という歌に変わったという。市民の間で金正恩の身辺情報がささやかれることが増える中、金正恩は元気だと安心させるためにこのような歌を流しているのではないかという疑念を抱かせる。平壌市民が神経をとがらせているのは間違いない。
さらに、中央党内の業務の流れや決裁ラインが、すべて金与正に集中しているようだ。毎週、伝えられていた金正恩の言葉は数か月に亘ってなくなり、代わって「金与正副部長の指示」というワードが登場するようになっている。
金正恩の身辺に関する心配と懐疑が大きくなっても、その矛先が金与正に向かうことはほとんどない。北朝鮮は家父長的な伝統が強く、金与正が国を牛耳る振る舞いに、抗日闘士やその子弟、また北朝鮮体制を守る骨太の老幹部たちが不満を持つのではないかと見る向きがあるかもしれないが、そういうことはない。金正恩は金正日が後継者に指名した。彼らは代々首領とその後継者に仕えるという10大原則に従って、宿命的に金正恩に服従しているのだ。
平壌市民の生活難の打開について討議したのは史上初
図らずも一家総動員態勢となった
しかし、住民は金与正をこれまで一度も直接目にしたことがなく、金与正は北朝鮮のため特段の功績を示したこともない。単に金正日総書記の娘というだけの理由で、宮殿で豪華な食事を楽しんでいた「白頭血統姫」が突然メインストリームに現れたわけだ。そんな人物が“私に従え”といくら声高に叫んでも、老幹部に完全に忠誠を誓わせるのはそう簡単なことではないだろう。
さはさりながら、絶対的な独裁体制が整ってから75年。おとなしい羊のように手なずけられた北朝鮮の幹部や住民は、金与正が国の権力を独占する姿を見て、仮にひっくり返したい気持ちがあったとしてもそれを成し遂げるほどの力があるわけではない。体制に順応して暮らしているのが実情だ。
差し当たって平壌の人々は、起こりうる金正恩氏の“身辺有事”に備えて思いを巡らせているという。平壌市民は中央政治の多くの行事に動員され、中央の消息により多く接することができる。また彼らの半数以上は派遣や勤労、旅行など様々な名目で海外に出かけた経験があり、国外の情報をよく知っている。
そのため平壌の人々は、例えば何らかの事件や事故、不平不満が生じると、平壌市党や中央党に直接申告するようになったそうだ。以前は申告をした結果、地方に追いやられる事態を恐れて自制したが、今は言うべきことを伝える度胸がついてきた。先に、「おとなしい羊のように手なずけられた」と表現したが、暴政を恐れてやむなく従うのではなく、手続きを踏んで党に知らせる利益追求行動に出たようなのだ。そういった平壌の人々の厳しい視線を恐れた党は、今年6月、党中央委員会政治局会議で、史上初めて平壌市民の生活難の打開について討議する必要に迫られている。
北朝鮮がいくら内部の実態を隠そうと努めても、心臓部というべき平壌に住む人々は、以前とは異なる現象を目にして疑義を呈し、将来、何らかの異変が起きた時に自分たちはどのように振る舞うべきかを常に考えている。彼らは北朝鮮という巨大な監獄を脱出し、徐々に自由世界への扉を開いていくことになるだろう。
仮に金正恩が死んでも、また金与正や金正哲に権力が移っても、北朝鮮が大きく変わることはない。北の幹部と住民はこのような現実を抵抗なく受け止めている。金与正は権力基盤を新たに再編し、忠実な側近をすべての重要な機関に配置して、住民に新しい独裁者に対する忠誠洗脳教育をさせれば、権力継承も可能だと考えるかもしれない。もちろんそうなるかもしれないし、ならないかもしれないが。
覚醒した平壌市民から北朝鮮変革の一歩が始まったのだろうか。
それが統一への歩み、金正恩一党がいない平和な朝鮮半島への歩みになるためには、韓国と国際社会の積極的な支援が重要なのは間違いない。