
登校すると言葉出ない「場面緘黙」乗り越え、「みんなと話したい」…「しゃべらないこともあなたの表現」#令和の子
4/3(木) 17:01配信

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コメント16件
読売新聞オンライン
葵さんは教室にいるのがつらい時、リラックスルームでクマのぬいぐるみを抱いて、心を落ち着かせる(3月11日、大阪市立心和中学校で)=渡辺恭晃撮影
不登校の小中学生は30万人を超え、11年連続で増加している。子どもたちが通いやすいよう指導内容や授業時間数を柔軟に決められる「学びの多様化学校(旧称・不登校特例校)」の開設が全国で進んでおり、その一つ、大阪市立心和(しんわ)中学校(浪速区)で一人の少女を追った。
心和中を3月に卒業した大橋葵さん(15)(仮名)は、場面緘黙(かんもく)の症状に悩んでいる。
自宅では、母親(47)から「おしゃべり」と言われるほどよく話す。「東野圭吾の本がおもしろいんだよ」「家庭科で作っているテディベアが出来上がらない」。カフェや飲食店でも自分で注文できる。ところが、学校へ行くと、言葉が出ない。
「自分のせい」
場面緘黙は緊張や不安が原因とされる。
小学2年の秋、学校であった朗読劇の発表会の練習で、大きな声を出せないと、担任の先生から「なぜちゃんとできないの」と叱られた。自分のせいで先生の理想の劇ができない。そう思うと、登校するのがつらくなった。学校では話せなくなり、2年の終わりから、学校に行ったり休んだりするようになった。
中学入学後は登校し、会話ができないながらも友人と一緒にいた。だが、1年生の6月頃、「うざい」と言われ、自分が話せないから嫌われたと感じて学校に行けなくなった。授業を受けていない焦りから自宅で自習を続けたが、「将来への不安や学校に通わない後ろめたさ」が募った。
2年生の夏頃、担任から心和中が翌春開校すると聞き、説明会に参加した。転校しても、話せないことでまた嫌な思いをし、再び通えなくなるかもしれない。何か月も悩み、不安は消えなかったが、「もう一度、学校に通いたい」という気持ちが勝り、3年生になる昨年4月、開校したばかりの心和中へ転校した。
書いて「会話」
心和中は、全員が別の市立中で不登校だった生徒だ。朝起きようとするとめまいや頭痛がする生徒が多く、登校時刻は午後。授業も少ない。登校後に心身が不調となる生徒のため、ソファで休める「リラックスルーム」がある。
4/3(木) 17:01配信

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葵さんは教室にいるのがつらい時、リラックスルームでクマのぬいぐるみを抱いて、心を落ち着かせる(3月11日、大阪市立心和中学校で)=渡辺恭晃撮影
不登校の小中学生は30万人を超え、11年連続で増加している。子どもたちが通いやすいよう指導内容や授業時間数を柔軟に決められる「学びの多様化学校(旧称・不登校特例校)」の開設が全国で進んでおり、その一つ、大阪市立心和(しんわ)中学校(浪速区)で一人の少女を追った。
心和中を3月に卒業した大橋葵さん(15)(仮名)は、場面緘黙(かんもく)の症状に悩んでいる。
自宅では、母親(47)から「おしゃべり」と言われるほどよく話す。「東野圭吾の本がおもしろいんだよ」「家庭科で作っているテディベアが出来上がらない」。カフェや飲食店でも自分で注文できる。ところが、学校へ行くと、言葉が出ない。
「自分のせい」
場面緘黙は緊張や不安が原因とされる。
小学2年の秋、学校であった朗読劇の発表会の練習で、大きな声を出せないと、担任の先生から「なぜちゃんとできないの」と叱られた。自分のせいで先生の理想の劇ができない。そう思うと、登校するのがつらくなった。学校では話せなくなり、2年の終わりから、学校に行ったり休んだりするようになった。
中学入学後は登校し、会話ができないながらも友人と一緒にいた。だが、1年生の6月頃、「うざい」と言われ、自分が話せないから嫌われたと感じて学校に行けなくなった。授業を受けていない焦りから自宅で自習を続けたが、「将来への不安や学校に通わない後ろめたさ」が募った。
2年生の夏頃、担任から心和中が翌春開校すると聞き、説明会に参加した。転校しても、話せないことでまた嫌な思いをし、再び通えなくなるかもしれない。何か月も悩み、不安は消えなかったが、「もう一度、学校に通いたい」という気持ちが勝り、3年生になる昨年4月、開校したばかりの心和中へ転校した。
書いて「会話」
心和中は、全員が別の市立中で不登校だった生徒だ。朝起きようとするとめまいや頭痛がする生徒が多く、登校時刻は午後。授業も少ない。登校後に心身が不調となる生徒のため、ソファで休める「リラックスルーム」がある。
さらに、生徒ごとの担当教員「チューター」を決め、日常生活や進路の選択など幅広くサポートする。
葵さんはチューターの中林沙也加さん(37)の問いかけに対し、ノートに気持ちを書いて「会話」する。記者の取材にも、筆談で答えた。
心和中に通い出した頃、中林さんから「しゃべらないこともあなたの表現だよ」と言われて、うれしかった。実際、人前で話すよう言われたことは一度もなかった。夜中まで勉強して、翌日午後1時25分の授業開始に遅れることも多かったが、「夜遅くまでよく頑張ったんだね。偉いね」と褒めてくれた。
教室にいるのがつらくなった時は、リラックスルームで過ごした。大きなクマのぬいぐるみに抱きつくと、心が落ち着いた。1学期からほとんど休まず、通い続けることができた。母親は「どんどん表情が出るようになった」と振り返る。
昨年10月頃、登校中に突然、過呼吸の発作が出た。理由はわからない。母親から「休んだら?」と言われたが、「行きたい」と拒んだ。病院で発作を抑える薬を処方され、その後も度々症状は出たが、通い続けた。
でも、話そうとすると、やっぱり、のどで声が詰まって出なくなる。学校で過ごす時間が長くなるほど、強く思った。「みんなと話したい」
卒業式で「はい!」
〈2〉
3学期の下校時、葵さんが何人かの先生に、「さようなら」とあいさつした。葵さんは「覚えていない」というが、先生たちは「きっと学校が安心できる場所になったからだ」と喜んだ。
葵さんは4月から、週3日登校する通信制高校に通う。誕生日だった3月のある日、放課後に中林さんから「大事な話があるから保健室に来て」と呼ばれて行くと、中林さんら先生4人が「おめでとう」とクラッカーを鳴らした。サプライズの誕生日会だった。
みんなでモンブランやプリンを食べていた時、葵さんは一人の先生から「何歳になったの?」と尋ねられ、声に出して「15歳」と答えた。「社会の何が好きなの?」と質問されると、「歴史」。最後は、自分から「ありがとうございました」と言えた。一言ずつ話すのがやっとだったが、会話ができてうれしかった。
翌14日の卒業式。葵さんは名前を呼ばれると、生徒や保護者ら約100人を前に、大きな声で「はい!」と返事した。
※この記事は、読売新聞社とYahoo!ニュースの共同連携企画です。
葵さんはチューターの中林沙也加さん(37)の問いかけに対し、ノートに気持ちを書いて「会話」する。記者の取材にも、筆談で答えた。
心和中に通い出した頃、中林さんから「しゃべらないこともあなたの表現だよ」と言われて、うれしかった。実際、人前で話すよう言われたことは一度もなかった。夜中まで勉強して、翌日午後1時25分の授業開始に遅れることも多かったが、「夜遅くまでよく頑張ったんだね。偉いね」と褒めてくれた。
教室にいるのがつらくなった時は、リラックスルームで過ごした。大きなクマのぬいぐるみに抱きつくと、心が落ち着いた。1学期からほとんど休まず、通い続けることができた。母親は「どんどん表情が出るようになった」と振り返る。
昨年10月頃、登校中に突然、過呼吸の発作が出た。理由はわからない。母親から「休んだら?」と言われたが、「行きたい」と拒んだ。病院で発作を抑える薬を処方され、その後も度々症状は出たが、通い続けた。
でも、話そうとすると、やっぱり、のどで声が詰まって出なくなる。学校で過ごす時間が長くなるほど、強く思った。「みんなと話したい」
卒業式で「はい!」
〈2〉
3学期の下校時、葵さんが何人かの先生に、「さようなら」とあいさつした。葵さんは「覚えていない」というが、先生たちは「きっと学校が安心できる場所になったからだ」と喜んだ。
葵さんは4月から、週3日登校する通信制高校に通う。誕生日だった3月のある日、放課後に中林さんから「大事な話があるから保健室に来て」と呼ばれて行くと、中林さんら先生4人が「おめでとう」とクラッカーを鳴らした。サプライズの誕生日会だった。
みんなでモンブランやプリンを食べていた時、葵さんは一人の先生から「何歳になったの?」と尋ねられ、声に出して「15歳」と答えた。「社会の何が好きなの?」と質問されると、「歴史」。最後は、自分から「ありがとうございました」と言えた。一言ずつ話すのがやっとだったが、会話ができてうれしかった。
翌14日の卒業式。葵さんは名前を呼ばれると、生徒や保護者ら約100人を前に、大きな声で「はい!」と返事した。
※この記事は、読売新聞社とYahoo!ニュースの共同連携企画です。