アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。
قال الله تعالى
وأما بنعمة ربّك فحدّث
『汝の主の恵みについては、これを語るがよい。』(聖クルアーン第93章11節)
ダマスカス訪問の二日目、アルハムドゥリッラー、私は恩師ムハンマド・アルヤアクービー師(アッラーのお守りあれ)のご自宅を訪れる栄誉に与りました。
何人もの兄弟子に囲まれる中、改めて自分がいかにイスラーム学徒としてちっぽけな存在かを痛感させられるとともに
これまでのアッラーのお導きを振り返って感動で震える思いでした。
イスラームを偏見の眼差しで見ていた入信前、アラビア語の「ア」の字も知らなかった入信当初の状態から、
居並ぶ立派なイスラーム学徒の兄弟子たちと共に、
今のスペインがかつてアンダルスとしてイスラームによって栄えていた時代の碩学
アルカーディー(大法官)・イヤードの「アッシファー」という預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)の人となりに焦点を当てた古典の名著を
読みながら、聞きながら、原典を味わい、楽しめるようになったのですから!!
これはもう明らかに私がスゴイわけでもなんでもありません。
ただただ、アッラーのお慈悲が深く、お導きが幾重にも重なったからにほかなりません。
まだまだ私は未熟者でアッラーのお導きを仰ぎ続ける発展途上の人間ですが、
こんな私でも「かつての自分」と「今の自分」を見比べることでその「途方もない距離」に驚き、目を見張るだけでは足りないくらいに驚き、
感謝に頭を垂れるのです…。
皆さんにも様々な旅路があったはずです。
一度立ち止まって振り返り、アッラーの御恵みがいかに大きいかを再確認することで、きっとまた明日への活力になるかと思います。
アルハムドゥ リッラー、アルハムドゥ リッラー、アルハムドゥ リッラー、ワ ラー イラーハ イッラッラーフ ワッラーフ アクバル…。
皆さんに平安あれ。
قال الله تعالى
وأما بنعمة ربّك فحدّث
『汝の主の恵みについては、これを語るがよい。』(聖クルアーン第93章11節)
ダマスカス訪問の二日目、アルハムドゥリッラー、私は恩師ムハンマド・アルヤアクービー師(アッラーのお守りあれ)のご自宅を訪れる栄誉に与りました。
何人もの兄弟子に囲まれる中、改めて自分がいかにイスラーム学徒としてちっぽけな存在かを痛感させられるとともに
これまでのアッラーのお導きを振り返って感動で震える思いでした。
イスラームを偏見の眼差しで見ていた入信前、アラビア語の「ア」の字も知らなかった入信当初の状態から、
居並ぶ立派なイスラーム学徒の兄弟子たちと共に、
今のスペインがかつてアンダルスとしてイスラームによって栄えていた時代の碩学
アルカーディー(大法官)・イヤードの「アッシファー」という預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)の人となりに焦点を当てた古典の名著を
読みながら、聞きながら、原典を味わい、楽しめるようになったのですから!!
これはもう明らかに私がスゴイわけでもなんでもありません。
ただただ、アッラーのお慈悲が深く、お導きが幾重にも重なったからにほかなりません。
まだまだ私は未熟者でアッラーのお導きを仰ぎ続ける発展途上の人間ですが、
こんな私でも「かつての自分」と「今の自分」を見比べることでその「途方もない距離」に驚き、目を見張るだけでは足りないくらいに驚き、
感謝に頭を垂れるのです…。
皆さんにも様々な旅路があったはずです。
一度立ち止まって振り返り、アッラーの御恵みがいかに大きいかを再確認することで、きっとまた明日への活力になるかと思います。
アルハムドゥ リッラー、アルハムドゥ リッラー、アルハムドゥ リッラー、ワ ラー イラーハ イッラッラーフ ワッラーフ アクバル…。
かつての自分がいつもすぐそこにいます。。(;_;)
進歩せずとも、悪化していないことに感謝します。
マーシャーアッラー、ムジャーヒドさんらしいご謙遜ですね。(ごめんなさい、こんな風に言われるのを貴兄は嫌がるかもしれませんが)
マーシャーアッラー、「初心忘るべからず」…大事なことを復習させていただきました。
ジャザークムッラーフ ハイラン!