2018年9月9日(日)
JCはルカ9:28-36、いわゆる「山上の変容」。マタイ・マルコに並行箇所があるので、比較対照ということを少しだけやってみた(⇒ 末尾)。ルカが何を省略し何を加筆したか、たどっていくと面白い。
たとえば青の網掛けはルカにはない表現である。マルコの「この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど」は同書らしい素朴な語り口だが、当時は(現在も?)布を染める以上に純白に晒すことが難しく、常ならぬ白さが神性の象徴であったことが思われる。
緑は三者すべてにある「弟子たちが恐れた」の表現だが、どのタイミングで何を恐れたかは三者三様である。マタイでは神の言葉を聞いてひれ伏し恐れた。マルコでは変容そのものを非常に恐れており、その結果ペトロが意味不明の「仮小屋」発言をする。ルカではイエス・モーセ・エリヤが雲に包まれていく(=神の顕現)のが恐れを呼び、「仮小屋」発言はその前である。
橙はルカが加えたもので、鼎談(?)のテーマが来るべき受難であることは、この場の直前にイエスの最初の受難予告が置かれていることと照応し、ルカらしい叙述の一貫性を感じさせる。面白いのは「眠気」のことで、新共同訳では「ひどく眠かったが、じっとこらえた」とあるところ、口語訳は「熟睡していたが、目をさますと」とする。βεβαρημενοι υπνω をどう訳すかということで、諸訳は「こらえた」説が優勢のようだけれども、「熟睡」説の大きな魅力はゲッセマネの風景との相似性である。主の受難が現実のものとして迫る時、弟子たちの肉体の弱さは起きていることさえ許さなかった。
はっと目覚めて栄光に目くらんだペトロの「仮小屋」発言は、ルカの文脈ではまるで寝ぼけているような可笑しみを伴っている。
末尾に「当時」を付記するのもルカらしい。「当時」は話さなかったが後には話した。いつ話したのかと言えば、主の受難と復活の後であろう。論より証拠を見ないことには、話して伝えられるところを超えたできごとである。証拠を見た後には、何度も繰り返して語ったに違いない。
(聖カタリナ修道院のモザイクイコン)
Ω
マタ 17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
マタ 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
マタ 17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
マタ 17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
マタ 17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
マタ 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
マタ 17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
マタ 17:8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
マタ 17:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
マタ 17:10 彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
マタ 17:11 イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
マタ 17:12 言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
マタ 17:13 そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
***
マコ 9:2 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、
マコ 9:3 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。
マコ 9:4 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
マコ 9:5 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
マコ 9:6 ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
マコ 9:7 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
マコ 9:8 弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
マコ 9:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。
マコ 9:10 彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。
マコ 9:11 そして、イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
マコ 9:12 イエスは言われた。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか。
マコ 9:13 しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである。」
***
ルカ 9:28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。
ルカ 9:29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。
ルカ 9:30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。
ルカ 9:31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。
ルカ 9:32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。
ルカ 9:33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。
ルカ 9:34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。
ルカ 9:35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
ルカ 9:36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。