散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

田圃に台風

2013-09-23 13:05:48 | 日記
2013年9月23日(日)

ウソみたいな話だが、僕は次男の通った中高一貫校で、PTA会長を2年間、後援会理事長を2年間それぞれ務めた。

ただし少しも威張るような話ではない。
生徒といい保護者といい能力もモラルも一様に高く、校長・副校長らに人を得た時期だったから、こちらの仕事は限られている。誰がやろうと同じだったのだ。

現にこの学校では、2年ごとに適当な人間を保護者の中から選び出し、起用することを続けていた。
次男の高校進級直前、それまで口をきいたこともない担任から電話がかかってきたときにはタマゲた。
何で私ですか?前任者たちの顔ぶれを眺めて考えたものだ。

姓にア行が多い。五十音順か?
私大教員が続いている。ヒマで土日に出てきやすいと見られたか?
愚息がひどく素行不良ではないことぐらいは、裏書きされているのかもしれない。

まあ何でもいい。
たまの会議の司会や、会報への短文寄稿ぐらいで他に大したこともせず、いっぽうでは将棋の羽生名人を講演に招いて親しく話を聞くといった役得ありで、全国を見渡してもこんな気楽なPTA会長はなかったはずだ。

***

以上は前振り、本題は何かと言えば。

たしか一昨年あたり、強風の中でこの学校の大木が一本倒れるという事件があった。
ポプラだったか何だったか何しろ相当な巨木で、しかも表通りに面した塀沿いに立っていたのが、通りの方向に倒れたのである。

電線を何本か薙ぎ払い、道路の反対側の歩道に先端が激突する形、来合わせたタクシーの屋根に枝が当たって凹んだが、けが人がなくて済んだのは真に僥倖だった。
事後の調査で、この大木が病気にかかっていて折れやすくなっていたことが判明した。
見かけ倒しとは、このことである。
僕はこの時すでに任期を終え、次男も卒業していたが、他人事とは思えず驚き、かつ安堵したことだった。

台風18号による暴風雨が去った先週初め、ふとこのことを思い出して副校長にメールしてみた。
以下、そのやりとりである。

 H先生:
 お疲れ様でした。
 ものすごい台風でしたが、御校の大木はこの度は無事でしたか?

 拝復:
 ご連絡、有難うございます。
 大木は大丈夫でしたが、K田圃の稲の一部がやられました。
 収穫量も心配ですが、その後の脱穀や精米に泥や砂利が混ざるのではないかと
 危惧しております。

 H先生:
 そうでしたか。
 そういうことも学びの一部なのでしょうね。
 台風が来れば稲が傷み、収穫の量や質に影響が出るのだと。
 農民の心や、収穫を待つ庶民の気もちを知ることができて、やはりK田圃は良いなあと思います。

ドイツ人農学者K博士の名を冠した田圃は、この学校の自慢の種だ。
毎年、田植えや稲刈りが生徒たちの貴重な経験になる。
保護者(というか母親)らが案山子づくりに創意を凝らし、毎年傑作をコンテストに送り出す。
収穫された米は卒業祝いの赤飯に化け、そのお相伴にあずかるのも「役得」のひとつだった。

都市部の学校だからこそ、小規模でも田畑をもつことには大きな意味がある。
少子化で小中学校が統廃合され跡地の利用法が問題になるが、ビオトープや農地を設けて地元の子どもに体験させるのも一法かもしれないな。

田圃がみな、無事でありますように。

タイタニック/教会にて ~ ルツ記とマタイ伝

2013-09-22 16:51:29 | 日記
2013年9月22日(日)

沈むタイタニックの甲板上で、バンドマンが最後まで演奏していたバイオリンが発見されたと、9月17日付の朝日新聞。
http://www.asahi.com/international/update/0917/TKY201309170030.html

映画『タイタニック』ではいよいよ船体が大きく傾いた時、バンドが讃美歌『主よ、みもとに』を演奏し始めた。この映画は珍しく家人と映画館で見たのだが、このとき館内の一部に笑い(苦笑?)が起きたのには参った。

おおかた「主よ、みもとに近づかん」という歌詞としんみりした曲想から、葬儀の連想でもしたのだろう。
「いよいよダメだということか、それにしても早手回しな」という苦笑かと想像する。

生兵法というもので、勘違いもいいところだ。
この名曲は19世紀イギリスで生まれたものらしいが、慰めと励ましに満ちた原詞の趣を、日本語訳もよく伝えている(ただし54年版に限る)。

1 主よ、みもとに近づかん/のぼるみちは十字架に/ありともなど悲しむべき/主よ、みもとに近づかん

2 さすらうまに日は暮れ/石のうえにかりねの/夢にもなお天を望み/主よ、みもとに近づかん

3 主のつかいはみ空に/かよう梯(はし)のうえより/招きぬればいざ登りて/主よ、みもとに近づかん

4 目覚めて後まくらの/石を立ててめぐみの/いよよせつに称えつつぞ/主よ、みもとに近づかん

5 現世をばはなれて/天がける日きたらば/いよよちかくみもとにゆき/主の御顔をあおぎみん

聖書の読者には一目瞭然、主たるイメージは創世記に登場するヤコブの生涯から取られている。
どこへ行こうとも主の恵みは共にあり、我らもまた主を望んで御許に近づこうの意で、讃美歌集の中では『向上』のタイトルが付されていた。葬儀で歌われることが多いのは事実だが、生の断念や敗北宣言とは無関係、どこまでも天を指して歩む信仰の宣言である。
間近に迫った破局の中でも、主よわれらを守りたまえと祈りを合わせるバンドマンの配慮だった。
だから下記の聖句を想起するのは、たぶんそんなに外れていない。

いずれにせよ、ここ、笑うところじゃありませんから。

 たとえわれ死の陰の谷を谷をゆくとも、わざわいを恐れじ
 主共にいませばなり
 (詩編23)

***

今朝は幼稚科で説教当番、ナオミとルツの物語だよ、3~6歳児にどう話せとおっしゃるの?

「ユダヤの国に大きなききんがありました。ききん、ってわかるかな?」
「せんそう?」と一番前の男の子
「近い!でもちょっと違うかな。食べ物が何にもなくなっちゃうことだよ、田んぼや畑にも、冷蔵庫にもコンビニにも」
「ヒロシマにはある?」
「ヒロシマ?」
「うん、ヒロシマならあるよ」
田舎のおじいちゃんちでもあるのかな、きっと
「ヒロシマにもなくなっちゃうさ、それがききんだからね」
「ふぅん・・・」

彼のおかげで一瞬にして童心に返った。20人近い子供たちが、口を半開きにしてよく聞いていること。子供は偉いなあ。

ルツ記は短いものだが、これがまた特有の慰めに満ちたもので。

飢饉を逃れ、エリメレクとナオミの夫婦はモアブの地に移り住む。難民だ。
聖書の中には、ほとんど常景のように難民が登場する。
ヤコブ一族のエジプト移住も経済難民だった。ヘロデの手から同じくエジプトに逃れたヨセフとマリアは、政治難民である。
日本人には分かりにくい、世界史上ありふれた風景である。

夫婦のふたりの息子はモアブの現地人から妻を迎えるが、エリメレクと息子たちは相次いで死に、三人の女が残される。
ユダヤ人の姑と、モアブ人の嫁二人。
ナオミは飢饉の去った故国へ戻ることを決意し、嫁二人にそれまでの労を謝してそれぞれの故郷へ帰そうとする。オルパは泣く泣く去っていくが、ルツはナオミを離れようとしない。そのルツの言葉が聖書に記されている。

 あなたの民はわたしの民
 あなたの神はわたしの神
 あなたの亡くなる所でわたしも死に
 そこに葬られたいのです。
 (ルツ記 1:16下-17上)

夫に先立たれた嫁が、夫と息子たちに先立たれた姑に寄せる愛情と孝養の言葉。
それには違いないが、専らその観点から読むなら美しくもあまりにセンチメンタルで、やや不自然な印象すらある。

これを若い異邦の女ルツの信仰告白 ~ 人生の決断として読むとき、物語はやや違った輝きを帯びる。
ナオミとともにユダヤに移ったルツは、そこで富裕なボアズの寵を得て妻となる。
その子孫からダビデが、従ってナザレのイエスが生まれることになる。

・・・という話を幼稚科の子どもたちに・・・できるはずないでしょ!
だけど、話したんだ。
子どもたちの心に(頭にではない)何がどう残っていくか、知るべくもない。
しかし、何かが残っていくのでないとしたら、幼児教育にどんな意味があるだろう。
ついでに背後では、若い親たちが子どもたちと共に聞いている。

***

お勤めを終えて会堂へあがったら、T先生が待ち構えていて朝の話の続きになった。
ナオミの二人の息子のうち、ルツはどちらの妻だったのかという件で。
「分からない」が正解らしい。聖書記者にとって、そこがポイントではなかったようだ。

そこから話は例によって流れる。

「出エジプトに関する考古学的資料がいろいろ挙がってきていて・・・」
というのは少々眉唾だが、それこそポイントはそこにはない。
「エジプトを脱出してカナンに逃れた人々は、人種的にはもとより民族的にもかなり多様な集団を為していた」
とT先生はおっしゃりたいのだ。

旧約の民は、血統による集団ではなく、文化的同一性にもとづく集団ですらなく、信仰によって不断に自身をつくりだす共同体であった。イスラエルが聖書の神を選び取ったのではなく、聖書の神に対する信仰がイスラエルを作ったのだ。もとよりこのイスラエルは、今日のパレスチナに存在する超攻撃的な国家とはいささか別物である。

***

10時30分から礼拝
M牧師によるマタイ福音書の連続講解説教は、2章13節~23節。
エジプトへの避難、ヘロデの幼児虐殺、ナザレへの帰還まで。

「だまされたと知って」ヘロデは怒る。
「だまされた」の原語は ενεπαιχθη 、これはεμπαιζωのアオリスト受動態で、「嘲弄された」「愚弄された」の意味をもつ。

むろん博士らが愚弄の意図をもったわけではなく、偽りを告げたことが猜疑的な独裁者にとっては赦しがたい愚弄となったのだ。
マタイ27章で兵士らがイエスを芦の棒で叩き、唾を吐きかけるなどして「愚弄する」ところに同じ言葉が使われている。イエスの誕生において面目をつぶされた政治権力が、イエスの最期にあたって思うさま仕返しを遂げているとも取れるが、さしあたりの仕返しは幼児殺しの形で行われる。

考古学的な検討によれば、当時のベツレヘムの人口は1,000人内外、2歳以下の幼児は20人ほどと推定されるという。ちょうど今朝集まった子供たちの数ほどか。
もっともヘロデの幼児殺しに関しては、聖書以外にこれを裏づける情報がない。
ある研究者は、「生涯にわたって夥しい数の人間を殺し続けたヘロデの『事績』として、20人ばかりの幼児虐殺は記載するにもあたらなかったのであろう」と推測しているらしい。

僕の頭の中に、いつも浮かぶ想像がある。
幼子を奪われた母親たちの悲嘆が、憎悪に変わる。
「その赤ん坊」さえいなければ、こんなことは起きなかった。
もともとヘロデが求めたのは、「その赤ん坊」ただ一人の命だったのだから。

ベツレヘムの住民ですらない、旅の途上に滞在してたまたま出産しただけの流れ者の赤ん坊、
しかも当人たちは、安全なエジプトへ難を逃れている。
わたしの赤ちゃんは、その身代わりに殺された。
憎まずにいられるほうが出来過ぎている。

母親たちの憎悪が、30年後にピラト官邸前で無念を晴らす。
「十字架にかけろ!」「その赤ん坊を、十字架にかけろ」
怨念はヘロデ以上にすさまじい・・・

***

Ναζαρετ ~ ナザレ
イエスが生い立ったガリラヤの小邑
「ナザレ」には「若枝」の意味があるとM師。

 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った
 (イザヤ53:2)
ここでもマタイは旧約の預言成就に注意を喚起する。

被爆後の広島で、数十年間は草木も生えないと言われた絶望の風説を裏切って、乾いた地に若草が生えてくる。
それを見つけた人が、思わずその一茎を口に入れて噛み、命を味わう。
そのことを、仲間たちに触れて回る。

長い説教の結びが感動的だった。

故郷 ~ 魯迅の小説ではなくて

2013-09-22 01:06:50 | 日記
2013年9月21日(土)

「はじめまして」
「お久しぶりです」

ブログに書いたことをお知らせしたら、K子さんがさっそく読んでメールをくださった。

おりしも今月初め、K子さんは久しぶりに故郷松江を訪問なさっている。
そのことをこんなふうに書いてこられた。

 米子空港に到着し松江に移動するバスの中で、不思議な気持ちになりました。
 「これが故郷!」と、身体いっぱいに空気を感じ、懐かしさで胸がいっぱいになりました。
 滞在日数は長くなかったのに時間がゆっくりゆっくり過ぎ、東京の生活が非現実的なものとなっていきました。
 だから戻った時は仕事をスタートするのが辛かったです。今の仕事は好きなのに…

K子さんにとって、松江は常に好ましい土地であったわけではない。
筋金入りのお転婆 ~ というよりは相当な悪ガキだったと述懐なさるのは、親譲りのエネルギー横溢の徴であったろう。
やや長じてからは、夜になると屋根に上って仰向けに寝そべり(!)、満天の星空を見上げながら「いつかこの土地を出て広い世界へ」と念じることが日課(晩課?)であったという。

そのようにして東京に出て、都会の人となったK子さんだが、最近しきりと故郷に心が向くようになった。
ちょうどその時期に、僕がメールを送ったのである。

*****

不思議に、重なる。

僕にとっても、古都松江は簡単な場所ではなかった。
関東・東北・中部にわたって2つの幼稚園、3つの小学校、2つの中学校に通い、その数だけ転校を経験したが、渡る世間に鬼はなくどこでもすんなり溶け込むことができた。
ただ、松江だけが例外だった。それも顕著な例外だった。
そしてそれが僕の側の問題だとは、どうしても考え難い理由が多々あった。

ブログに詳しく書くような話ではないが、要するに去るにあたって必ず再訪を誓った他の場所と違い、松江だけは二度と再び足を向ける気がしなかったのである。

そんな心境が、最近になってやや変化した。
松江を懐かしむ思いが、40年以上を経て初めて滲むように出てきた。
思い出すのも腹立たしい数々の経験も、自分を鍛えてくれた面があると分かってはいたが、感謝の気持ちがそこに伴うのをようやく許容できるようになってきた。

育ててくれた人が幾人もあり、親しんでくれた友達が実は少なくなかった。
自然は豊かであり、古文化の香りはむせるほど濃かった。
鳩小屋で鳩を飼ったのも、線路脇で砂利に混じった瑪瑙のカケラを拾ったのも、空き地に秘密基地を作ったのも、すべてこの土地のことだった。
山形や名古屋まで手紙をくれた友達もあり、書こう書こうと思いながら返事を書けなかったのは僕の方だった。
何より太田先生に出会ってバイオリンに打ち込んだのは、ほかならぬ松江だったではないか。

他の土地と同様、あるいはそれ以上に松江に負うものがある。素直にそう感じるようになった。
だからこの夏、K子さんを探したのかもしれない。

****

故郷とは何だろう。
僕の故郷はどこだろう。

身体いっぱいに空気を感じ、懐かしさで胸を満たすことのできる土地がそれであるなら、僕にも故郷はちゃんとある。
この国のうちに、いくつもある。

魯迅の描いたように、現実にそこに住み続けてきた者との蹉跌に直面するのが故郷であるなら、なおのこと故郷には事欠かない。

水に流しますか?

2013-09-20 07:21:21 | 日記
2013年9月20日(金)

今週は火曜日の晩にCATの会、Kokomin さんが主宰者となって、イザベルさん、クチブエ君、勝沼さんらと精神分析などをサカナに歓談・放談。
こういうのは楽しいもので、みんな来ればいいのにな。

余談はさておき、今回は僕自身が140回も面接を続けて行き詰っているケースについて、皆からアドバイスをもらったのだ。
一人だけでやっていると、実に当たり前のことが見えなくなる。恥ずかしさもてんこ盛りながら、コメントしてくれる仲間のありがたさを思う。10年ほど前には僕が教室で教えた面々だが、今や頼もしい同業者である。

上記の行きづまりケースは『柔らかな頬』を読むきっかけになったMさんだったので、なぜMさんがそれほどこの小説に惹かれるのかといったことから、小説談義にもなった。もともと精神分析は芸術鑑賞には必須のツールだし、当然ノリは良いのだ。

今回は勝沼さんが福島の仕事で珍しく欠席。
クチブエ君がPC上で「方言チャート」というのを見せてくれた。
早速やってみたら、僕は「山口県人」ということになったよ(!)

***

会場に向かう電車の中で、ふと思い当たった。
『4TEEN』を面白く読んで、しかし何か違和感を覚えたことについて。

少年たちのひとりが、犯罪にあたる行為を犯してしまう。
「過って」かどうかは微妙なところだが、結果的には取り調べの末、無事に帰される。
他の三人は終始一貫、彼を仲間として支え続け、それが彼を立ち直らせることは、しかあるべし。それでこそ友達だ。

何かトゲのように引っかかっていたのは、彼らの励ましの中に見られるある種の傾向、正確に言えば作者が彼らの口に入れた一連の言い条であったらしい。
「お前は悪くない」と彼らは言い続けるんだが、それは違うんじゃないか。
「してはならないことを、お前はしてしまった。それでも俺たちは、どこまでもお前の友達だ」
というのが、ホントじゃないのか。
この一点のこだわりが、どうにも抜けないのである。

そしてそのことは、『頬』の登場人物たちが「相手に赦しを求めながら、自分の罪を直視せず自分を変えようとはしない」こと、その居直りの厚かましさに直結している。
大きな地下の空洞が、地上のそっちとこっちに穴を開いているのだ。


悲しいかな、人は罪を犯さずには生きていけない。
そのことを「悲」とし、あるいは「欠け」として、その克服の道を模索するか、
罪の現実をないもののように水に流して、同じ道をただ歩き続けるか、
ここで人生に向かう態度が截然と分かたれる。
二股道の、あっちとこっちにいるような気がするんだね。

宗教の話をしているのではない、(宗教にも当然かかわってくるだろうが)
少し前の CAT の席で Kokomin さんが憤慨したことだ。
「原発事故の始末もすまないうちに、中東などへの原発輸出を画策できる無神経」の問題は、これと同根だと僕は思う。

いま、福島第一原発ではまさに汚染を「水に流して」いる。
流しても流しても、消えはしない。ただ汚染が拡散していくだけだ。
限局せず、汎化するだけだ。

*****

「水に流す」姿勢は、否認という機制とも深くかかわっている。
朝刊一面は、「首相、再び『汚染水ブロック』 ~ 海へ流出続くなか」
「汚染水は完全にブロックされている」という「認識」のことを言っているのだ。

大本営発表・・・と呟いていたら、朝のラジオ解説者が同じことを言った。
僕らの国の指導層が、問題解決能力以前に問題「認識」能力を喪失しているというのである。

その通りだが、その根が僕ら自身の中にあることこそ不安の源なのだ。
「僕らは悪くない、仕方なかったのだ」

そうだろうか?

オミナエシ(女郎花)

2013-09-19 10:18:12 | 日記
2013年9月19日(木)

S君より:

 おはようございます。今日は十五夜、満月です。

 はかなくて深い思いのオミナエシ花の黄色の揺れやまぬなり(鳥海昭子)

 オミナエシは、はかない恋や親切を意味するそうです。またひとつ勉強になりました(笑)。よい一日でありますよう。

ふうん、そうだったのか・・・

オミナエシ、オミナは女に通じるよね。
女郎花と書くわけだ。

有吉佐和子に『ふるあめりかに袖はぬらさじ』という戯曲がある。
これ、傑作である。

女郎・亀遊が自ら死を遂げる。

 露をだに厭う大和の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ

という歌が遺されていたことから、異国人の客を取ることを拒んで自決したのだと噂になり、「攘夷女郎」ともてはやされる。しかし、花魁仲間のお園は疑いをもち、真相に気づく・・・

あとはぜひ、見るか読むかしてみてほしい。


(http://banpaku.blog.ocn.ne.jp/fujita/2007/07/post_fe2f.html)
※ 同じオミナエシ属に男郎花(オトコエシ)という植物があり、こちらは白い花を咲かせるのだそうだ。