2013年9月4日(水)
昨日S君からメールで、今週末に神戸に出張するとのこと。文学館や美術館とかに足をのばしてみたいが、良い場所はないかとの質問。
こういう時に日頃の姿勢が問われるんだな。即答できるのは「海遊館」(実は大阪だ、ジンベエザメとカワウソに会える)とか「手塚治虫記念館」(これは宝塚、当然だがマンガが山ほどある)ぐらいで、文学にも美術にも、いわんや神戸にも関心を払っていない自分が浮き彫り、う~ん・・・
ここは地元人に訊くに限ると、神戸出身の義母に電話で相談したら即座に三件。
① 逸翁美術館: こないだブログで紹介した小林一三(阪急グループ創設者)のコレクションを所蔵・展示している。阪急宝塚線・池田駅から徒歩10分。
② 柿衞(かきもり)文庫: 酒どころの経済力を背景に文化拠点としても栄えた伊丹の文化遺産に、岡田柿衞(酒造家・地方名士)のコレクションを加えて成立した美術館。阪急またはJR伊丹駅から徒歩7~9分。
どちらも必見、20年余も知らずに通過していたのが悔やまれますよ、お義母さん!
次のは神戸ではないが、ついでに。
(①も②も「兵庫」だけど「神戸」じゃないよ、と家人から異論あり。)
③ 国立国際美術館: 中之島の大阪大学跡地にある現代美術中心の美術館(阪大が吹田に移り、逆に美術館が吹田から来たんだな。)ここで10月までタペストリー展をやっているんだそうだ。大阪のド真ん中だから、どうやっても行ける。(そんなことない、何で行っても最後が不便、と家人から異論あり。)
以上、S君こんなところでいかが?
後で感想を聞かせてね!
*****
天声人語が、田中正造の没後百年に触れている。
足尾銅山との闘いに生涯を費やした偉人 ~ 掛け値なく「偉人」だが、そうであるだけに胸苦しい思いを掻き立てられる。
わが故郷・愛媛県には足尾と並んで有名な別子銅山というものがある。
古河鉱業の開発にかかる足尾に対して、別子は住友家のドル箱だった。否、日本のドル箱といってもよい。佐渡金山、石見銀山と並んで金銀銅、世界遺産登録を目指す動きもある。
閉山後の植林事業の成果もあって、今でこそ緑深い自然の山並みに戻っているが、当然ここにも足尾に劣らぬ賑わいがあり、そして鉱毒があった。複雑だというのはこの事業が経営者や国家を利したばかりでなく、地元にも確かに多くの富をもたらしたからだ。鉱山関連事業に職を求め、そこから身を立てて行った人々は多い。わが一族にもあったかもしれない。鉱山の火は文明の光でもあった。
いっぽうで田中正造の言葉は、あたかも荒野の預言者のようである。胸を打つまいことか。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし
昨年、岩手学習センターで面接授業の際に、同センター所長の齋藤先生からいろいろと教わったことは確かブログに・・・書いた、今年5月8日の記事だ。あの時は省いたが、北上の清流を賞揚する僕に、先生は表情を曇らせながら話してくださった。詳細は既におぼろなので、インターネット情報で再構成する。
北上川の支流には、かつて東洋最大の硫黄の産地であった松尾鉱山がある。1970年代には完全に廃坑になったが、そこから流出する毎分20トン前後の大量の廃液は pH2前後の強酸性であるうえ、有毒なヒ素を含む危険なものだ。これを無害化するための中和施設は24時間体制で稼働し、年間5千億円を超える処理費用が岩手県財政の大きな負担になっている。
明治末年から開発が始まる前はブナ林(東北のブナ!)が原植生だったが、土壌酸性化のため一帯は荒れ地と化し、周辺もススキやササの群落が残るばかりである・・・
*****
明治の昔なら、まだ致し方もなかったろう。田中正造が時代の先を行っていたのだと言い訳もできる。
しかし今、同じ轍を踏んでどうする?
銅や硫黄の話ではない、放射能による海洋汚染は21世紀版の鉱毒そのものではないか。
放射能による海洋汚染は「他人事ではない」と週刊誌の吊り広告にあって、思わず笑った。この表現が成り立つのは、大多数の人間が現に「他人事」と思っているからだ。
そして広告は、「セシウム汚染された魚は、あなたの口に入るかもしれない」と言いたいらしいのである。「他人事ではない」ことを悟るのに、そんなにも迂遠な話が必要だろうか。
今、わが家のPCとエアコンと電子レンジを動かす電気は、どこでどんなリスクを冒して生み出されたものか。彼らが苦しむのは、誰のためか。
それだけの話だ。
(岩手山と北上川 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E5%B1%B1)
昨日S君からメールで、今週末に神戸に出張するとのこと。文学館や美術館とかに足をのばしてみたいが、良い場所はないかとの質問。
こういう時に日頃の姿勢が問われるんだな。即答できるのは「海遊館」(実は大阪だ、ジンベエザメとカワウソに会える)とか「手塚治虫記念館」(これは宝塚、当然だがマンガが山ほどある)ぐらいで、文学にも美術にも、いわんや神戸にも関心を払っていない自分が浮き彫り、う~ん・・・
ここは地元人に訊くに限ると、神戸出身の義母に電話で相談したら即座に三件。
① 逸翁美術館: こないだブログで紹介した小林一三(阪急グループ創設者)のコレクションを所蔵・展示している。阪急宝塚線・池田駅から徒歩10分。
② 柿衞(かきもり)文庫: 酒どころの経済力を背景に文化拠点としても栄えた伊丹の文化遺産に、岡田柿衞(酒造家・地方名士)のコレクションを加えて成立した美術館。阪急またはJR伊丹駅から徒歩7~9分。
どちらも必見、20年余も知らずに通過していたのが悔やまれますよ、お義母さん!
次のは神戸ではないが、ついでに。
(①も②も「兵庫」だけど「神戸」じゃないよ、と家人から異論あり。)
③ 国立国際美術館: 中之島の大阪大学跡地にある現代美術中心の美術館(阪大が吹田に移り、逆に美術館が吹田から来たんだな。)ここで10月までタペストリー展をやっているんだそうだ。大阪のド真ん中だから、どうやっても行ける。(そんなことない、何で行っても最後が不便、と家人から異論あり。)
以上、S君こんなところでいかが?
後で感想を聞かせてね!
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天声人語が、田中正造の没後百年に触れている。
足尾銅山との闘いに生涯を費やした偉人 ~ 掛け値なく「偉人」だが、そうであるだけに胸苦しい思いを掻き立てられる。
わが故郷・愛媛県には足尾と並んで有名な別子銅山というものがある。
古河鉱業の開発にかかる足尾に対して、別子は住友家のドル箱だった。否、日本のドル箱といってもよい。佐渡金山、石見銀山と並んで金銀銅、世界遺産登録を目指す動きもある。
閉山後の植林事業の成果もあって、今でこそ緑深い自然の山並みに戻っているが、当然ここにも足尾に劣らぬ賑わいがあり、そして鉱毒があった。複雑だというのはこの事業が経営者や国家を利したばかりでなく、地元にも確かに多くの富をもたらしたからだ。鉱山関連事業に職を求め、そこから身を立てて行った人々は多い。わが一族にもあったかもしれない。鉱山の火は文明の光でもあった。
いっぽうで田中正造の言葉は、あたかも荒野の預言者のようである。胸を打つまいことか。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし
昨年、岩手学習センターで面接授業の際に、同センター所長の齋藤先生からいろいろと教わったことは確かブログに・・・書いた、今年5月8日の記事だ。あの時は省いたが、北上の清流を賞揚する僕に、先生は表情を曇らせながら話してくださった。詳細は既におぼろなので、インターネット情報で再構成する。
北上川の支流には、かつて東洋最大の硫黄の産地であった松尾鉱山がある。1970年代には完全に廃坑になったが、そこから流出する毎分20トン前後の大量の廃液は pH2前後の強酸性であるうえ、有毒なヒ素を含む危険なものだ。これを無害化するための中和施設は24時間体制で稼働し、年間5千億円を超える処理費用が岩手県財政の大きな負担になっている。
明治末年から開発が始まる前はブナ林(東北のブナ!)が原植生だったが、土壌酸性化のため一帯は荒れ地と化し、周辺もススキやササの群落が残るばかりである・・・
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明治の昔なら、まだ致し方もなかったろう。田中正造が時代の先を行っていたのだと言い訳もできる。
しかし今、同じ轍を踏んでどうする?
銅や硫黄の話ではない、放射能による海洋汚染は21世紀版の鉱毒そのものではないか。
放射能による海洋汚染は「他人事ではない」と週刊誌の吊り広告にあって、思わず笑った。この表現が成り立つのは、大多数の人間が現に「他人事」と思っているからだ。
そして広告は、「セシウム汚染された魚は、あなたの口に入るかもしれない」と言いたいらしいのである。「他人事ではない」ことを悟るのに、そんなにも迂遠な話が必要だろうか。
今、わが家のPCとエアコンと電子レンジを動かす電気は、どこでどんなリスクを冒して生み出されたものか。彼らが苦しむのは、誰のためか。
それだけの話だ。
(岩手山と北上川 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E5%B1%B1)