散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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百万光年と三半規管 (振り返り日記: 火曜篇)

2013-07-25 09:59:25 | 日記
7月2日(火)

木谷實という昭和の大棋士がある。
棋士としても大きな存在で、川端康成の『名人』には、世襲制本因坊の最後となった秀哉(しゅうさい)の引退碁の相手として、大竹七段の変名で登場する。
それ以上に、その門下から才能豊かな名棋士を群星のごとく産んだことで、碁の歴史に不滅の貢献を刻んだ。

その偉人の揚げ足とりをするのも気が引けるんだけど、
精魂傾けて読みふけっても結論が出ない時、木谷はよく

「百万光年かんがえてもわからない」

と言ったのだそうだ。

わざとかな、わざとかもしれないね。

「光年」というのは、「光が一年間かけて進む距離」のことだから、時間の単位ではなく距離の単位である。だから「百万光年かんがえてもわからない」は、「1キロメートル考えてもわからない」というのと同じで、本当は意味が通らない。
もっとも、考査担当者ではあるまいし、こんなのはムキになって指摘するのが野暮というものだ。
承知のうえで
「木谷先生でも百万光年、俺なんかビッグバン以来考え続けてもわかんないよ」
とダジャレていればいいのだが。

*****

こちらはちょっと悩んでしまう。

堀口大学の『母の声』

     母は四つの僕を残して世を去った。
     若く美しい母だったそうです。

母よ、
僕は尋ねる、
耳の奥に残るあなたの声を、
あなたがこの世に在られた最後の日、
幼い僕を呼ばれたであろうその最後の声を。

三半規管よ、
耳の奥に住む巻貝よ、
母のいまはの、その声を返へせ。


結句が特に有名である。
中学か高校の教科書で見て以来、今に至るまでしっかり覚えているのは、詩の優れていることの証左でもあるだろう。
僕は散文的な人間だが、要するにこの詩には惹かれるものがあるし、感動的だとも思う。

ただ、どうしても素直に鑑賞に浸れない、というわけは、
「三半規管」にある。

医学畑でなくとも、生物をマジメに勉強した者なら知っているように、
三半規管は巧妙にできた平衡器官であって、聴覚とは何の関係もない。
聴覚に関わるのは、詩人自ら「巻貝」にたとえている蝸牛管(カタツムリ管)のほうだ。
声を返せといわれても、三半規管としては当惑するほかないのだよ。

柔らかな詩の中に、ゴツゴツした解剖学用語を挿入したことは、詩人の工夫としてこの作品が長く注目されてきたキモの理由でもある。
そのキモに解剖学・生理学上の基本的な誤りが含まれているのは、音韻上いくらすぐれているとしてもやっぱりマズくないか。
といって、

蝸牛管よ、

では詩にならないんだろうな、たぶん。

堀口大学だけのことなら誰かが一度だけ指摘して、それと知りつつ詩を味わえばすむことかもしれない。
「百万光年」と同じことだし、切手だってエラー切手の方が値打ちが出る。

ただ、今回びっくりしたのは、「三半規管が聴覚受容器である」という間違いそのものを(たぶん)この詩から学んで、いまだに間違え続けている人の多いことだ。
論より証拠、「三半規管」でネット検索してごらん。

これは、これではいけない。



*****

最後にもうひとつ、思い出すたびに今でも複雑な感じを覚える記憶がある。

T大時代、毎年何人かの自殺者が学生の中から出た。
一学年に三千人を超える学生がいたのだから、痛ましいけれども統計上は不思議のないことだ。

確か教養二年の冬だったと思うが、法学部の学生がS池のほとりで縊死を遂げた。
遺書があって、そこに「自分の人生を関数に見たてて積分すると、その値がどうしても負になってしまう」と書かれてあったという。真偽のほどは分からないが、ともかくしばらくのあいだ話題になった。

ある日、生協で買い物をしていると、後ろの二人連れの会話が耳に(それこそ耳の奥のカタツムリに)入ってきた。
明らかにその件について話している。

「積分したって言うんだけどさ」

と、そのうちの一人。

「関数が不連続だったらどうするのかな」

相手は、困ったような苦笑で応じた。
理科系の学生たちなのだろう。

何か強く叫びたいことが胸の内に起きたが、それが死者に対してなのか、目の前の生者に対してなのか、どうにも分からなかった。

今でもよく分からない。





二畳間の招き (振り返り日記: 月曜篇)

2013-07-25 08:49:33 | 日記
7月1日(月)

どこまで書いたか忘れたんだが、確かこれはまだだな。

利休ものをいくつか読んだ。その感想は別に書くとして。
最初に読もうと思い立ったとき、野上弥生子の『秀吉と利休』という有名作が絶版で、新本としては入手できないことを知った。
さもありなんと思いつつも落胆。まあ、古書で読むのがかえって似つかわしいかもな。

6月に帰省の際、こういう作品には母が詳しいことを思い出して訊いてみたが、「今、手許にはない」との返事だ。

その翌日、前に紹介した二畳間の掃除をしていたら、古い小さな本棚の隅に一冊だけ、埃に埋もれていた文庫本が、何と『秀吉と利休』である。これには驚いた。
母のものではないらしく、あるいは昔この家をしばらく貸していた時の、借家人Iさんの置き土産かもしれないと父の説。
奥付は昭和55(1980)年となっているが、まさか自分が買ったのではなかろう。

埃をぬぐい、東京へもちかえって読みふけった。
その中に、豪奢な書院茶に代えて侘び茶を編み出した利休が、二畳一間の方丈に天地をなぞらえる場面が出てくる。

二畳間だよ。

利休を知りたいと思いながらさしあたり術がなく、たまたま二畳間を掃除していたら、待っていたかのように30数年前の利休本が見つかり、その中で二畳間が讃頌されている。

合わせ鏡?入れ子?

何というのか、軽いめまいの感覚がある。
二畳間に呼ばれているみたいだ。
利休さんにではなくて、二畳間に。

*****

落語のオチを解説するみたいで、気が進まないのだけれど。
しかも自作の、面白くもない落語のね。

先日の「ハスとサイパン」というのは、僕にとっては二畳間の話と少し通うものがある。

7月18日が伯父の命日であると意識したのは、ここ数年のこと。
今年になって、この日が大賀ハスの開花日であることを知った。
そこにメッセージを読むのは、いとも簡単だ。

失われたかに見えたハスの実が、数千年を経て開花する ~ 不死と再生を象徴するように

失われたかに見える日本の若者たちの命が、遠い未来にいつか別の天地に開花することはないのか ~ 不死と復活の希望へ

伯父たちが亡くなった同じ日、歴史的にはまる八年後に、ハスが開花した。
その「偶然」が二つのことのつながりを伝えていないか。

バカバカしい、単なる偶然の一致だよ。
そうだろうね、たぶん。

僕は納得しない。

言いたかったのはそのことだが、これまでに感想を寄せてくれた人々は皆、申し合わせたようにそのことを回避している。
なので、あえてオチの解説を書き留めておくことにする。

*****

二畳間とこの件と、どこが通うかって?

本気で訊いてるの?




H先生にインタビュー (振り返り日記: 日曜篇)

2013-07-25 07:56:44 | 日記
例によって振り返りの後出し日記。
3週間以上も経ってしまったが、それでも書いておきたいあれとこれと、これとそれと、

6月30日(日)は、午後からH先生のインタビューに出かけた。
暑い日だったと思ったが記録を見れば28℃、その一週間後に猛暑が始まったのだ。
この日にすませておいてよかった。

H先生は死生学の領域では誰でも知っている方だから、実名で書いてしまっても良いようなものだが、きわどく慎みたい気持ちがある。
この件は5月20日(月)にお目にかかってうちあわせてある。ざあざあ降りの赤坂だったっけ。
その際の申し合わせに従って、先生の所属なさる教会へ伺ってインタビューをいただく。

僕のほかに制作部のスタッフ2名、現地集合にしたが肝心の技術屋さんがなかなか着かない。
訊けば、駅の反対側の別の教会に行っちゃったのだ。
これはこちらが不親切だったかな、プロテスタント教会にもいろいろあるが、事情を知らない彼には紛らわしかったことだろう。

待つ間にH先生と事前の確認。
「2週間前に、母が亡くなりまして」
とH先生がおっしゃる。
まったく知らなかった。97歳の大往生でいらしたとのこと。

「先日、赤坂でお目にかかかった時は、母はまだおったのです。ですので、」
ひとつ咳をなさって、
「ですので、私自身の闘病のことは、インタビューでは話さないつもりでおりました。どこから母の耳に入って心配をかけるか分かりませんから。しかし、このようなことになりましたので、今日はすべてお話ししようと思います。」

思わずこちらの背が伸びる。
今日H先生が語られる「復活の希望」は、お母様との再会の希望とも重なることになる。

T女学院に死生学講座を開設なさった件について、触れてくださるよう確認する。
「そもそもの立ち上げの経緯から・・・」
と言うのを、
「そうですね、立て上げの際には」
と、さりげなく言いなおされた。

そうだよ、「立て上げ」が正しい。
複合自動詞「立ち上がる」に対しては、当然ながら複合他動詞「立て上げる」が対応する。

「立ち上げる」は、捻じれたツギハギなのだ。30年近く前、はじめてこの表現を聞いて以来、何かヘンだと思いながら何となく使い続けてきて、今日H先生に修正していただいた。
来てよかった。

やがて技術さんが無事到着、大汗かきながら、でっかいスチールの箱からあれこれ機材を取り出す。
「重くて大変ですね」
「いやあこれでも楽になりましたよ。機械がコンパクトになりましたからね。デンスケの時代は大変でした・・・」
デンスケ!
何と懐かしい・・・
礼拝堂は、ほどなくミニスタジオに変身した。

インタビューは滞りなく済んだ。
語ることを豊かにおもちのH先生だけに、予定時間には終わるまいとの希望を含んだ予想とは異なり、はずした腕時計をメモの横に置かれた先生は、ひとつひとつの話題を歯切れよく語っては区切り、都度、唇をぎゅっと結んで厳しい表情をなさる。
行動の人であるとともに、克己の人でもいらっしゃる。

技術さんが、拡げた時と同じ要領でミニスタジオの機材を手際よく片づけていく。
ドラえもんのポッケ、というより、寅さんのでっかい荷物の感じだろうか。
仕上げに、いま収録したばかりのインタビューをその場でCDに焼き、H先生と僕に渡してくれた。専門家の手際の良さは気持ちの良いものだ。

片づけながらの雑談で、ふとカメラマンというものの凄さに話が流れた。
三浦雄一郎の最高齢エベレスト登頂ニュースからの連想だが、誰かが登頂したことを伝えるニュース画面は、他の誰かがそれを撮影しているわけである。撮影しながら登頂する方が、被写体よりも倍ほど大変なのではあるまいかと。

「そうですよ」

と技術氏はこともなげに返答する。
カメラマン養成は10年がかり、特に山岳と深海は大変で、それ専門のカメラマンが必要になる。
それを自前で養成する(できる)組織は多くはない。
自前で養成できなければ、外部に委託するわけか。
それにしたって、どこかで誰かがコストと時間をかけて養成せねばならず、養成される側からいえばこの一事に人生をかけることになる。

これが人間社会の面白さだが、こういう遠回りの発想が最近どんどんやせ細っているような気がする。
相当大事な何かが、この問題に隠れているよ、きっと。





ユーモアの効用 ~ 生協の白石さんと週刊「碁」の治勲さん

2013-07-24 07:19:38 | 日記
三男は家のすぐ前の公立中学校に通っている。
グラウンドの部活風景も先生の怒号も、運動会や花火大会のにぎわいも、居ながらにしてベランダの特等席から鑑賞できちゃうのだ。

長男・次男は中学から国立だったので、三男の日々の様子は僕にとって、現代日本の公教育についての貴重な情報源である。僕自身は転勤族の息子で、中学までは居住地の市立小・中学校に通っていたから、40年を隔てて比較しつつ思うところがいろいろある。

乱暴にまとめるなら、
「現場の先生方は、いろいろ注文はあるにせよ、よく善戦敢闘している」
「教育制度やカリキュラムに関しては、昔ながらの深刻な問題が基本的に改善されていない」
ということになるだろうか。
三人の息子が全員通った区立小学校についても、同じ印象がある。

詳しくは追々ふりかえってみるとして、ここに書き留めておくのは国語のM先生配布にかかる、傑作な資料のことだ。

「生協の白石さん」って、僕は知らなかったが有名なんだね。
某大学生協の職員で、利用者(大半が学生だろう)からの「ひとことカード」というアンケートへの回答を担当している、その回答ぶりが秀逸。

以下、M先生の資料から転記させていただく。

Q1. 車欲しいです。売ってください。
A1. ご要望ありがとうございます。
自動車の売買について、生協では取り扱っておりません。
ご参考までに、当店では「車選びの決定版 最新マイカー選び」という本を販売しておりますので、ご検討の一助となれば幸いです。(白石)

Q2. 宇宙に行きたいです
A2. 大学生らしいスケールの大きい志、素晴らしいです。
私など今度の休みに予定している四国旅行が楽しみでしかたありません。
いつからこんなに小さくまとまってしまったのか・・・嘆くばかりです。
実は当生協カウンターにて旅行の申し込みも受け付けております。
宇宙への夢が儚くも破れ、傷心状態となりましたら、
是非とも地球のツアーを当店にてお申し込みください。(白石)

Q3. なんで「恋人」と「変人」って漢字が似てるんですか?
A3. 生協として正解が導き出せるはずもございませんが、
付き合い始めの恋人同士が時を経るうちに、緊張が解け、
お互いの前でしか見せない自分の姿をさらけ出したとき、
「変人」のように映ること、なきにしもあらずではないでしょうか
「変人」とは、場合によっては「恋人から一歩進んだステージ」なのかもしれません。(白石)

Q4. 研究室配属で希望外の研究室にとばされてしまいました。
来年僕はどうやって生きていけばいいですか?
A4. 希望の所属とならなかったことについては、ご心中お察し申し上げます。
しかしながら、充実した大学生活を送られた方すべてが、
ご希望の研究室配属だったとは限りません。
これは、社会に出た後の自身の職業についても同様です。
きっと道は通じておりますので、経験の選択肢が広がったと考え、
これからも勉学にお励みください。(白石)

Q5. 愛は売っていないのですか?
A5. どうやら愛は非売品のようです。
もし、どこかで販売していたら、それは何かの罠かと思われます。
くれぐれもご注意ください。(白石)

お見事、というところ。

M先生はここから三つのルールを抽出しておられるが、これがまた的確で、
① 質問者を傷つけない
② (質問者に限らず)誰かを不快にさせることは禁物
③ 真剣に、かつ、ユーモアをもって答える

これまた、なるほどだ。
もちろん、本来の職責からすれば回答する必要のないことがほとんどだ。
しかし白石さんは、こまめに真摯に対応する。
こういう番外作業は車のハンドルの「あそび」のようなものだが、それがあるおかげで僕らの生活がどれほど息のしやすいものになっているか。
それは白石さんにとっても、アンケートへの対応という気骨の折れる作業を昇華する意味をもっているだろう。

*****

さて、ここにもうひとつ、傑作な記事を見つけた。
わが敬愛する棋士・趙治勲25世本因坊が、週刊「碁」に連載する
「お悩み天国 ~ これが治勲のシノギかた」
その第78回は、題して『詐欺撃退へ攻めに転じよう』

いつもは読者の質問に当意即妙の回答で応じる「ここにも白石さん」だが、
今回は治勲さんが語りに転じたのを、以下転載。
(週刊「碁」1815、2013年7月29日号)

easseaeasoassasss

今日はほくの話を聞いてください。
これはどうしても、みなさんに伝えたくて…。

元横綱の朝青龍が騙されて一億円を取られちゃった事件、知っていますか。
最近、その犯人が死んじゃったそうです。
この事件を最初に聞いたとき、ぼくは感心してね。
一億円も持っていた朝青龍じゃないですよ。犯人をです。
だって、考えてもみてください。あの朝青龍が相手ですよ。
詐欺だから、いずればれる時がくる。
そしたらあの鍛え抜かれた巨体が復讐にやってくるかもしれないんですよ。
仕返しが怖くて、普通は尻込みしそうなものです。
自分より強いものに対して立ち向かう。これは天晴れです。
ただ、犯罪だったのが残念ですが。

で、本題ほここから。オレオレ詐欺、振り込め詐欺って、ありますよね。
いまでは「母さん助けて詐欺」というらしいですが。
この被害額、昨年は三百六十三億円ですよ、あなた!信じられますか? 
週刊碁の読者でも被害にあっちゃった方、いるんじゃないかな。
電話がかかってきたらどうしよう、そんなふうに怖がっている方も少なくないはずです。

こういう犯人は特に許せません。
だって、自分より弱いものを食い物にしようとしているのですからね。

そこでぼくからの提案です。
現在の警察、おじいちゃんおばあちゃんの基本姿勢ほ、どうやってオレオレ詐欺にあわないようにするか。
実はこれがいけないとぼくは気付きました。受け身なんですよ。だからビクビクしちゃう。
家の電話が鳴るたびにドキッしていたら、健康によくないです。
これからは攻めましょう。攻めに転じるんです。碁だって守ってばかりじゃ勝てません。攻めてこそ、勝利に近づけるんです。

「孫の○○だけど、会社のお金使いこんじゃって困っているんだ。おじいちゃん、○○○円、持ってきてくれない?」

こんな電話がきたら、すぐにこう答えてください。
「わかったよ、それだけでお金は足りるのかい?その十倍くらいは持っていけるよ」
待ち合わせの場所をしっかりメモして、すぐに110番へ。

こういうケース、何度かニュースになっています。それでも怖いという方はきっといる。
でね、ここからがぼくがいちばん主張したいどころです。

おじいちゃんおばあちゃんの協力で犯人検挙につながったら、プレゼントを差し上げるんです。
好きな歌手のコンサートにご招待とか、プロ野球観戦チケットとかね。
碁が好きなら、好きな棋士と対局できるなんてどうですか?
おじいちゃんおばあちゃんが元気になれば、日本経済にもプラスです。
理想は、日本中のおじいちゃんおばあちゃんが、「オレオレ詐欺」の電話を楽しみに待てる、そんな世の中です。
犯人逮捕となれば好きなご褒美がもらえる。こんなうれしいことはありません。

詐欺の電話を受けた瞬間、「かかった!」とか「よっしゃ!」とか
心の中で叫んじゃったりしてね(笑)。
こうなればオレオレ詐欺はなくなります。
警察のみなさん、いかがでしょう。

うまくいったらぼくにもご褒美ください。


今日は何の日? ~ ハスとサイパン

2013-07-18 06:52:12 | 日記
2013年7月18日(木)

「今日は何の日?」から

一年前に千葉・検見川の遺跡で見つかっていた2000年以上前のハスの実が、1952年のこの日に大輪のピンクの花を咲かせた。いわゆる大賀ハス開花である。

その後、ハスは日本各地はもとより世界各国へ根分けされ、友好親善に役立った。
下の写真は、三重県玉城町の田丸城址内堀で撮影されたとある。


ギリシア語で「新しい」を意味する語に二つあり、"neos" は時間的に新しいこと、"kainos" は質的に新鮮であることを指す。

ヨハネ書簡に「初めから受けていた古い掟」を「新しい掟として書く」という時、この掟は neos ではないが kainos そのものであるのだ。大賀ハスはこの弁証法のシンボルともいえる。

いっぽう、1970年のこの日には、最初の光化学スモッグ禍が起きている。

*****

昨17日は千葉の放送大学本部まで、初めて車で往復。
思いのほか早く着いた。

夕からはT君を幹事として、大学時代の仲良しの納涼会。
新聞社のO君、官庁勤めのH君、弁護士のLさん、5人が最近のコアメンバーになった。

駒場の教室で初めて出会ってから38年と数カ月が経つ。
皆、仕事に就き、結婚し、子どもを授かった。
ふたりは親を看取り、今のところ誰も離婚していない。

O君の父方の御先祖は僕と同郷で、彼の曽々祖父(ひいひいおじいさん)は沖冠岳という幕末の画家なのだ。O君のお兄さんはその血をひいたのだが、O君自身も僕らとは次元の違う絵心を隠しもっている。
冠岳さんの作品が愛媛県美術館で展示されているとのこと、帰省まで掛かっているといいのだけれど。

Lさんは証人尋問の帰り道だそうで、ねじりあい後の疲労感をにじませている。
「今日は飲んだら酔っちゃうから」なんて言いながら、結局おいしそうに一献また一献。
法学部卒業後、家庭人となった後で司法試験に再挑戦したので、合格時には新聞に載ったりしたが、これも昔話だ。

H君はアマチュア相撲の興隆に精魂傾け、その方面では既に大功労者である。
最近ヨーロッパでも相撲が知られ始めたが、普及するにつれ日本の相撲道からは逸脱し、花道にスポットライトを当てて音楽を鳴らすK1みたいな仕様になっているのだそうだ。日本側は軌道修正に躍起になっているが、阿吽の立会いなどはヨーロッパ人には「意味不明」で不評らしく、行事の合図でヨーイドンが国際標準化しつつあるという。柔道と同じだ。

僕など頭が古いから「そんなことしてまで国際化しなくて結構」だし、ロンドン五輪みたいなバカバカしいジュードーに、日本の柔道家たちを送ってケガをさせることはないと思う。狭量なんだろうが、この種の国際標準がぐるりと回って逆輸入され、国技館の土俵でまでヨーイドンが横行するのは見たくない。

かつてジャン・コクトーが来日の際に相撲を見て、立会いを「バランスの奇跡」と評したことをH君が教えてくれた。分かる人には分かる、分かりたければ日本においで、それでたくさんだ。

*****

今日は何の日?

わが家にとって、7月18日はまた別の意味がある。

母の兄であるT伯父の命日、伯父さんは1944年にサイパン島で戦死した。
教員を目ざす23歳の若者だった。

サイパン島の戦いは、7月9日に「終結」したことになっている。
18日が命日となった仔細は分からない。

郷里では、母が健在の弟妹とともに供養のお参りをした。
「暑い日でしたが、風が吹きわたり、存外涼しかったです」
と母からのメール。

この想い出もまた、どれほど年を経ようが古びない。
kainos は美しいものだけの属性ではない。

ハスよ咲け、天に開け!