2013年7月18日(木)
「今日は何の日?」から
一年前に千葉・検見川の遺跡で見つかっていた2000年以上前のハスの実が、1952年のこの日に大輪のピンクの花を咲かせた。いわゆる大賀ハス開花である。
その後、ハスは日本各地はもとより世界各国へ根分けされ、友好親善に役立った。
下の写真は、三重県玉城町の田丸城址内堀で撮影されたとある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e4/99e05513f607b8abcaa0e62e9d59f0ec.jpg)
ギリシア語で「新しい」を意味する語に二つあり、"neos" は時間的に新しいこと、"kainos" は質的に新鮮であることを指す。
ヨハネ書簡に「初めから受けていた古い掟」を「新しい掟として書く」という時、この掟は neos ではないが kainos そのものであるのだ。大賀ハスはこの弁証法のシンボルともいえる。
いっぽう、1970年のこの日には、最初の光化学スモッグ禍が起きている。
*****
昨17日は千葉の放送大学本部まで、初めて車で往復。
思いのほか早く着いた。
夕からはT君を幹事として、大学時代の仲良しの納涼会。
新聞社のO君、官庁勤めのH君、弁護士のLさん、5人が最近のコアメンバーになった。
駒場の教室で初めて出会ってから38年と数カ月が経つ。
皆、仕事に就き、結婚し、子どもを授かった。
ふたりは親を看取り、今のところ誰も離婚していない。
O君の父方の御先祖は僕と同郷で、彼の曽々祖父(ひいひいおじいさん)は沖冠岳という幕末の画家なのだ。O君のお兄さんはその血をひいたのだが、O君自身も僕らとは次元の違う絵心を隠しもっている。
冠岳さんの作品が愛媛県美術館で展示されているとのこと、帰省まで掛かっているといいのだけれど。
Lさんは証人尋問の帰り道だそうで、ねじりあい後の疲労感をにじませている。
「今日は飲んだら酔っちゃうから」なんて言いながら、結局おいしそうに一献また一献。
法学部卒業後、家庭人となった後で司法試験に再挑戦したので、合格時には新聞に載ったりしたが、これも昔話だ。
H君はアマチュア相撲の興隆に精魂傾け、その方面では既に大功労者である。
最近ヨーロッパでも相撲が知られ始めたが、普及するにつれ日本の相撲道からは逸脱し、花道にスポットライトを当てて音楽を鳴らすK1みたいな仕様になっているのだそうだ。日本側は軌道修正に躍起になっているが、阿吽の立会いなどはヨーロッパ人には「意味不明」で不評らしく、行事の合図でヨーイドンが国際標準化しつつあるという。柔道と同じだ。
僕など頭が古いから「そんなことしてまで国際化しなくて結構」だし、ロンドン五輪みたいなバカバカしいジュードーに、日本の柔道家たちを送ってケガをさせることはないと思う。狭量なんだろうが、この種の国際標準がぐるりと回って逆輸入され、国技館の土俵でまでヨーイドンが横行するのは見たくない。
かつてジャン・コクトーが来日の際に相撲を見て、立会いを「バランスの奇跡」と評したことをH君が教えてくれた。分かる人には分かる、分かりたければ日本においで、それでたくさんだ。
*****
今日は何の日?
わが家にとって、7月18日はまた別の意味がある。
母の兄であるT伯父の命日、伯父さんは1944年にサイパン島で戦死した。
教員を目ざす23歳の若者だった。
サイパン島の戦いは、7月9日に「終結」したことになっている。
18日が命日となった仔細は分からない。
郷里では、母が健在の弟妹とともに供養のお参りをした。
「暑い日でしたが、風が吹きわたり、存外涼しかったです」
と母からのメール。
この想い出もまた、どれほど年を経ようが古びない。
kainos は美しいものだけの属性ではない。
ハスよ咲け、天に開け!
「今日は何の日?」から
一年前に千葉・検見川の遺跡で見つかっていた2000年以上前のハスの実が、1952年のこの日に大輪のピンクの花を咲かせた。いわゆる大賀ハス開花である。
その後、ハスは日本各地はもとより世界各国へ根分けされ、友好親善に役立った。
下の写真は、三重県玉城町の田丸城址内堀で撮影されたとある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e4/99e05513f607b8abcaa0e62e9d59f0ec.jpg)
ギリシア語で「新しい」を意味する語に二つあり、"neos" は時間的に新しいこと、"kainos" は質的に新鮮であることを指す。
ヨハネ書簡に「初めから受けていた古い掟」を「新しい掟として書く」という時、この掟は neos ではないが kainos そのものであるのだ。大賀ハスはこの弁証法のシンボルともいえる。
いっぽう、1970年のこの日には、最初の光化学スモッグ禍が起きている。
*****
昨17日は千葉の放送大学本部まで、初めて車で往復。
思いのほか早く着いた。
夕からはT君を幹事として、大学時代の仲良しの納涼会。
新聞社のO君、官庁勤めのH君、弁護士のLさん、5人が最近のコアメンバーになった。
駒場の教室で初めて出会ってから38年と数カ月が経つ。
皆、仕事に就き、結婚し、子どもを授かった。
ふたりは親を看取り、今のところ誰も離婚していない。
O君の父方の御先祖は僕と同郷で、彼の曽々祖父(ひいひいおじいさん)は沖冠岳という幕末の画家なのだ。O君のお兄さんはその血をひいたのだが、O君自身も僕らとは次元の違う絵心を隠しもっている。
冠岳さんの作品が愛媛県美術館で展示されているとのこと、帰省まで掛かっているといいのだけれど。
Lさんは証人尋問の帰り道だそうで、ねじりあい後の疲労感をにじませている。
「今日は飲んだら酔っちゃうから」なんて言いながら、結局おいしそうに一献また一献。
法学部卒業後、家庭人となった後で司法試験に再挑戦したので、合格時には新聞に載ったりしたが、これも昔話だ。
H君はアマチュア相撲の興隆に精魂傾け、その方面では既に大功労者である。
最近ヨーロッパでも相撲が知られ始めたが、普及するにつれ日本の相撲道からは逸脱し、花道にスポットライトを当てて音楽を鳴らすK1みたいな仕様になっているのだそうだ。日本側は軌道修正に躍起になっているが、阿吽の立会いなどはヨーロッパ人には「意味不明」で不評らしく、行事の合図でヨーイドンが国際標準化しつつあるという。柔道と同じだ。
僕など頭が古いから「そんなことしてまで国際化しなくて結構」だし、ロンドン五輪みたいなバカバカしいジュードーに、日本の柔道家たちを送ってケガをさせることはないと思う。狭量なんだろうが、この種の国際標準がぐるりと回って逆輸入され、国技館の土俵でまでヨーイドンが横行するのは見たくない。
かつてジャン・コクトーが来日の際に相撲を見て、立会いを「バランスの奇跡」と評したことをH君が教えてくれた。分かる人には分かる、分かりたければ日本においで、それでたくさんだ。
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今日は何の日?
わが家にとって、7月18日はまた別の意味がある。
母の兄であるT伯父の命日、伯父さんは1944年にサイパン島で戦死した。
教員を目ざす23歳の若者だった。
サイパン島の戦いは、7月9日に「終結」したことになっている。
18日が命日となった仔細は分からない。
郷里では、母が健在の弟妹とともに供養のお参りをした。
「暑い日でしたが、風が吹きわたり、存外涼しかったです」
と母からのメール。
この想い出もまた、どれほど年を経ようが古びない。
kainos は美しいものだけの属性ではない。
ハスよ咲け、天に開け!