2024年3月6日(水)
> 1853年3月6日、イタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」が、ヴェネチアのフェニーチェ歌劇場で初演された。ヴェルディは1842年のオペラ「ナブッコ」の大成功以来、数々の歴史に残るオペラを成功させてきた。しかし、この日の初演は成功とは言いがたかった。
失敗の直接の原因は、結核で死ぬヒロイン役のソプラノ歌手が太っていて死にそうには見えなかったこと、風邪で声が出ない歌手がいたことなどだったが、音楽的・内容的に当時のオペラとしては斬新すぎたことも一因だったようだ。翌年再び同時で上演した時には、入念なリハーサルの成果もあって、今度は聴衆に支持され、その後は最も上演回数の多いオペラとして不動の地位を獲得している。
ところで、ヴェルディの成功第一作となった「ナブッコ」は、作曲者だけでなく、イタリア人にとっても歴史的なオペラであった。合唱「行けわが思いよ、黄金の翼に乗って」は第二の国歌と呼ばれ広く親しまれた。多数の小国に分裂していたイタリアが統一への機運を高めた19世紀半ばに、まさに必要な歌だったのだ。
1901年のヴェルディの葬儀には30万人もの市民が参列し、900人の歌手が並んでこの「行けわが思いよ、黄金の翼に乗って」を合唱したという。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.71


Giuseppe Fortunino Francesco Verdi
(1813年10月10日 - 1901年1月27日)
『ナブッコ』 1846年3月3日初演 (ミラノ・スカラ座)
『リゴレット』 1851年3月11日初演 (ヴェネツィア・フェニーチェ座)
『椿姫』 1853年3月6日初演 (ヴェネツィア・フェニーチェ座)
『アイーダ』 1871年12月24日カイロ初演、1872年2月8日イタリア初演(ミラノ、スカラ座)
「風邪で声が出ない歌手」は論外として、病気で衰弱したような体格ではオペラ歌手など勤まらないから、「ヒロイン役が太っていて」はそもそも無茶な言いがかりである。要は準備不足の初演だったのだろう、聴衆からも批評家からもブーイングを浴びたというから相当なもので、『蝶々夫人』『カルメン』と並んで初演三大失敗などと呼ばれる歴史的事件だそうである。
原題は「堕落した(道を踏み外した)女」を意味する "La traviata"、『椿姫』はアレクサンドル・デュマ・フィスによる原作小説のタイトル "La Dame aux camélias(椿の花の貴婦人)" の意訳とある。
一方『ナブッコ』、これがネブカドネザルのこととは今の今まで知らなかった。だからヘブライ人たちの合唱があったのか。
ネブカドネザル2世(Nebuchadnezzar II、B.C.642年 - 562年)、アッカド語ではナブー・クドゥリ・ウツウル(Nabû-kudurri-uṣur)という発音になるらしく、それで「ナブッコ」というわけだ。初演時は『ナブコドノゾール』という薬剤名みたいなタイトルで、これが1844年以降『ナブッコ』に短縮されたという。
大帝国アッシリアがB.C.612年に滅亡後、荒廃したバビロンを再興するとともに外征を行ない、エジプトを除くアッシリアの版図をほぼ回復した。アッシリアが北王国イスラエルを滅ぼしたのがB.C.722年、ネブカドネザルの新バビロニアは南王国ユダをB.C.586年に滅ぼし、エルサレムを徹底破壊したうえ住民をバビロンに強制移住させた。いわゆる「バビロン捕囚」である。
その後の詳細は旧約各書(『列王記』『歴代誌』『エレミア記』『ダニエル記』など)が記す通りだが、43年に及ぶネブカドネザル2世の治世後半は不明の点が多く、そこに劇作者が奔放な創作を織り込んだ。
「第二の国歌」と称されるもの、あるいは目されるものはいろいろとある。イギリスでは『威風堂々』(エルガー)、オーストリアなら『美しく青きドナウ』(ヨハン・シュトラウス)、アメリカはいくつか候補が考えられるが、スーザの行進曲『星条旗よ永遠なれ』を挙げるのが常識的だろうか。『フィンランディア』(シベリウス)、『ヴルタヴァ(モルダウ)』(スメタナ)など、19世紀から20世紀にかけての民族主義の高揚と連動するのは当然といえば当然で、『黄金の翼に乗って』もその流れの中に位置づけられる。
日本でこれにあたるものを挙げるのは難しい。ただ、1980年代にマレーシアでアジアの医学生の集まりに出た時、お楽しみ会の際にタイの学生団が出席各国の歌を順に披露していく中で、日本の順番では「あかとんぼ」を日本語で見事に歌ってくれたことがあった。威勢の良い歌曲で賑わっていた会場が、この時にはしんと静まり返り、思いがけず涙がこみあげてきたのを記憶している。
「あかとんぼ」や「ふるさと」を「第二の国歌」と呼ぶことはできないだろうが、そうした仰々しいものの不在をこれらの慎ましい名歌が埋めるとすれば、かえって誇らしいことと感じられる。そしてアジアの人びとは、日本の美しい歌の数々を当時から驚くほどよく知っていたのである。
***
『行けわが想いよ、黄金の翼に乗って』
歌劇「ナブッコ」より、テミストークレ・ソレーラ台本
Va pensiero sull'ali dorate;
va ti posa sui clivi, sui colli,
ove olezzano tepide e molli
l'aure dolci del suolo natal!
Del Giordano le rive saluta,
di Sionne le torri atterrate...
Oh mia patria sì bella e perduta!
Oh membranza sì cara e fatal!
Arpa d'ôr dei fatidici vati,
perché muta dal salice pendi?
Le memorie nel petto raccendi,
ci favella del tempo che fu!
O simìle di Solima ai fati
traggi un suono di crudo lamento,
o t'ispiri il Signore un concento
che ne infonda al patire virtù!
行け、想いよ、黄金の翼に乗って
祖国の優しく
柔らかく暖かい風が薫る
あの丘や山道の上に飛んで行け
ヨルダンの川岸を行き
シオンの倒されし塔を見舞え...
おお、なんと美しくも失われた我が祖国
おお、なんと愛おしくも運命的な記憶
運命の予言者の黄金の竪琴よ
なぜ黙して柳に垂れ下がっているのか?
胸に記憶を呼び覚まし
在りし日の事を我らに語ってくれ!
それともエルサレムの運命のように
生々しい嘆きの声を奏でるのか
それとも堪え忍ぶことの美徳を呼び覚まさせんと
神に奏でかけてくれるのか
Ω