散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

3月11日

2020-03-11 12:18:33 | 日記
2020年3月11日(水)
 2011年3月11日は金曜日、つまり終日クリニックで診療にあたる日だった。そのことがこの一日を、なおさら忘れ難いものにしている。2時46分に目の前にいた患者さんのこと、それ以降に来た人のことと、来なかった人のこと、いろいろあるが真っ先に思い出すのは、その朝の通勤途中のことである。
 目黒駅で私鉄を降り、昇りエスカレーターに足をかけた途端、目の前に手袋が落ちた。しなやかな女物である。拾って前の女性に声をかけると、「あ」と会釈して受けとった。それだけなら記憶に残ることもなかったろうが。
 エスカレーターを昇りきった時、女性は一歩横へ退いてこちらに向き直り、
 「ありがとうございました」
 あらためて丁寧に頭を下げた。
 「どういたしまして」
 それだけのことである。
 女性の姿形も、年の頃もわかりはせず、思い出せもしない。ただその礼儀正しさが通勤の混雑の中で一瞬つつましく香ったこと、それを決まって思い出すのである。あの女性はあの日そのあと、どんな一日を過ごしたのだろうか。

 クリニックは当時、中央線沿いのバス通りに面した雑居ビルの5階にあった。揺れの後は停電が起きて、患者さんはエレベーターで上がってくることができない。外付けの非常階段があっても、5階まで昇ってこられる健脚の患者は少数である。
 どうするかと医者らが相談するより早く、受付の若い女性二人がすばやく対応した。一人が地上に降りて来院者を待ち受け、その場で簡単に仕分ける。診療を急がず処方だけで足りる患者については、その旨を医師に伝えて処方箋を出してもらい、地上に戻って患者に渡す。診察を希望し、階段を昇れる患者だけを5階にあげる。この工夫のおかげで、その後の診療は驚くほど円滑に進んだ。
 ただ、そのために彼女らは1階と5階を何十回往復したことか。若く元気な脚にもさぞや負担だったに違いない。いずれ言葉を尽くして労いたいと思ったが、その機会はめぐって来なかった。震災後いくらも経たないうちに、二人揃って退職したのである。その日その後に何があったのか、事情はわからぬままだった。

 それぞれ、今はどうしているのだろうか。

Ω

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。