2015年7月14日(火)
巴里祭だね。そうか、国名に限ることはなかった。
巴里、倫敦、伯林、維納、羅馬、紐育(知ってた?)、華盛頓(知ってた??)・・・
欧米だけではない。韓国がハングル化してしまった今では、京城(ATOKはソウルで変換しない!)、釜山(これは変換される。ナゼ?)もこの系列に入ってしまう。
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昨夜からむやみに風が強い。窓を開けるとたちどころに書類が飛び、閉めたら閉めたで蒸し暑い。
「風のやつ、鎖から抜け出たな・・・」と耳をすましながらグーセフが言う。パーヴェル・イワーヌイチは咳払いをして、苛立たしそうに答える。
「風が鎖から抜け出す?風は獣なのかね?」
「だって正教徒はみんなそういうよ」
「じゃ正教徒はきみと同じ無知文盲の輩だ」
グーセフにしてみれば、腹を立てることは何もありはしない。世界の涯に頑丈な石の壁があって、その壁に悪い風どもが繫がれているのを想像すればいい。鎖から抜け出したのでないなら、風どもはなぜあんなに狂ったように海の上を走りまわり、犬みたいにもがくのか。鎖に繫がれてないのなら、凪(なぎ)のときは一体どこへ行ってしまうのか。
(『グーセフ』チェーホフ/小笠原豊樹 一部改変)
済州島の旅は楽しかった。心地よい田舎びた島で、そこにないものは泥棒と大きな門、いくらでもあるものは岩石と風、そんなふうに韓国の友人が教えてくれた。吹きさらしの火山島だが、よく治まって貧富の差が少ないことを言い表したものらしい。「昔々その昔、熊がタバコを吸っていた頃」とか、韓国の語りには独特のユーモアが感じられる。日本のそれと一風違い、のんどりと間のびした、毒気を抜く素朴とおおらかがあるような。もちろん、済州島と半島部ではまた違うのだろうけれど。
民衆の言葉にはどこでもユーモアがあり、その質の微妙な違いがお国ぶりを醸し出す。この場合の「国」とは必ずしも日本/韓国という「国」ではなくて、僕が豫州人だと言いたがるような文脈での「クニ(故郷)」である。「君、クニはどこ?」と訊いて、「は?日本人ですが・・・」と学生に返されたのは、たぶん10年ぐらい前のことだ。
土曜日に次男から大学院授業の一環としてインタビューを受けた。そこで「国民性」についても質問されたのだけれど、いっそこのことを答えにすればよかった。
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棋譜並べは碁の楽しみで、棋力向上にも欠かせないというから、実益を兼ねてもいる。少し前に古本屋で買った、第12期名人戦(昭和49年)7番勝負が今の楽しみだ。挑戦者石田芳夫3連勝の後、名人林海峰が崖っぷちの第4局で、絶望的な局勢から驚異的なコウの粘りで踏みとどまり、そこから4連勝して逆転防衛を果たした歴史的な番碁である。
林海峰さんは前にも書いたように、日本の碁の歴史にある転機をもたらした人で、いわば文化史的な偉人と思われる。おおらかな人柄からは少々意外なことに、棋風は至って地にからい。そして二枚腰の粘りが身上である。自戦解説などでは、「形勢がかんばしくないので、なるべく負けにくそうな手を選んで打った」というようなことを、よく語っている。囲碁・将棋ではときどき聞かれることで、甚だ教訓的だ。
夕べのこと面白く感じたのは、第2局の自戦解説で相手の石田芳夫が同じ台詞を残していることである。第2局は開始早々に石田が軽率な手を打ち、これをとがめた林がはっきり優勢に立った。そこで石田が考えたのが「なるべく負けにくそうな手」あるいは「負けるまでに時間がかかりそうな手」を打つことで、この選択が林の迷いと失着を呼び込むことになる。石田は「コンピューター」という異名のために冷静な計算の人と思われがちだが、実は新世代随一の勝負師だった。
何しろ、同じようなことを考えるものである。さもありなん、一対の人間が50センチ四方の盤をはさんで、際限もなく「手談」を繰り返すのだ。交感も起きれば同調も生じ、それと戦うことが盤上の読み以上に対局者を消耗させ、あるいは鼓舞する。病的心理と紙一重の空間である。