散日拾遺

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君子豹変 小人革面

2018-03-28 19:16:15 | 日記

2018年3月29日(木)

 「君子は豹変す」・・・本当はどういう意味だっけ?「君子面(づら)したやつは、風向きが変わると掌を返すので信用ならない」という意味でないことは確かだけれど。

 原文は「君子豹変、小人革面」 ~ 君子は豹変し、小人は面を革む(おもてをあらたむ)

 君子たるもの、いったん真理を感得したら旧来の自分を根本から改める、その潔さと徹底ぶりが豹の斑紋のように明らかということらしい。迫害者サウロ、目からうろこが落ちて使徒パウロに生まれ変わるの図。それにひきかえ、小人は事の真相を深く理解することがなく、姑息にうわっつらを改めるばかりで本質は変わらないという。

 君子/小人といった類型を先に描くのでなく、「豹変しうるのが君子、革面に汲々として根本から変われないのが小人」と逆転させれば分かりやすいか。まことにもって耳の痛いことだ。

 こんなふうに解説するサイトがある。

 「たとえば、他者を傷つける言葉を発してしまったとします。そして、周囲から、あれこれと批判されたので、他者を傷つける言葉を発しないように、努力、注意します。再び、あれこれ言われるのは嫌ですからね。
 これはこれで、確かな方法です。でも、大きな精神力と自己制御を続ける努力が必要となります。しかしながら、他者を傷つけると後で自分も傷つけられることになるという事実を、心の底から理解したときは、毎日の自己制御を行わなくても、自然と、他者を傷つけることができなくなります。
 根源法則を真に理解すると、全身全霊で変化するからです。変化しようと思わなくても、変化してしまうのです。
 このように、自己制御に力を入れるよりも、物事の真相、真理をしっかりと理解する方が、効果が高くて、しかも効率的です。」

(https://newstyle.link/category25/entry1370.html)

 決断・勇気よりも理解に注目し、効果・効率で論じるのが意表を突いて示唆的だけれど、君子の徳は道行きのどこかで(あるいはそもそもの初めから)合理性や効率との訣別を余儀なくされる。出会ってしまったパウロには、この道を行くよりほかに選択がない。損得の判断も逆にそこから演繹される。「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになった」「すべてを失ったが、今ではそれらを塵あくたと見なしている」(フィリピ 3:7-8)といった豹変ぶりは、効果・効率の延長上ではなく彼岸に属する現象である。その結果としてとてつもなく大きな「効果」が生じたのは、また別のことだ。

 話を戻して「君子豹変」の出典は『易経』とあり。え、また?「窮すれば通ず」ならぬ「窮即変、変即通」も『易経』ではないか。すると「変化」が『易経』の主要命題ということか。易とは、動かし難い運命を天地の機微に読みとるものかと浅く理解していたので、「変化」が繰り返しテーマになるとしたら少々意外である。

 「窮すれば通ず」の時に文庫本を手に取ってみたが、実際の卦の解釈など細々と書かれており、違うかなと思って棚に戻した。ところが、Amazon の読者レビューを見ると「易の実際が分かりやすく書かれていて良い」というものがいくつも載っている。そういう方向で『易経』を読む人が相当数あるわけで、人の関心は真にさまざまである。

 呉清源師も幼少期にこれらを暗誦するほど学んだのだ。「上手は変わる」と碁の格言にあること、あるいは易経に由来するか。

Ω


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