散日拾遺

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H君の白耳義通信 ①

2014-03-27 08:15:53 | 日記
2014年3月26日(水)

 H君がベルギー訪問中である。
 さぞ楽しんでいることだろう、論より証拠メールの文面が躍っている。

 ヨーロッパ大発展の理由について、司馬遼太郎は「同じようなサイズの多数の国々が割拠してしのぎを削っている」という単純な条件を指摘した。それで片づくかと疑問もあるけれど、重要なことではあるだろう。
そのような視点から、さしずめベルギーなどは最もヨーロッパらしい国ではあるまいかと思われる。スイス、大英帝国の中の「小国」スコットランド、ベルギーと対をなすオランダ、留学するならそういうところが良い。H君は嘗てスコットランドにも滞在した羨ましい人で、当時もらったリビングストンの銅像の絵ハガキは今でも机の前に貼ってある。
 本人の了解のもと、早速メールを転載する。いかにも温かな建物だ。

***

 お元気ですか。

 3月13日よりベルギーの某大学に滞在しています。派遣研究員の身分で、残念ながら4月4日帰国です。

 大学附属の宿舎は、世界遺産でもある中世の女子修道院群の1つの建物の部屋です。周囲は煉瓦の塀に囲まれた町外れの一角で、約100の修道院群です。私のいる建物は7世紀に、篤志家が貧しい子供が住んで勉強したり手に職を身につけるために寄付して建てられた修道院です。
 写真を添付しました。右と左の建物がクロスするあたりの木のすぐ後ろの2階に住んでいます。久しぶりに大学院時代に戻った感じで(当時よりは、すらすら書けます)、論文執筆三昧です。

 行きの機内で佐藤彰一『禁欲のヨーロッパ』(中公新書の最新刊)を読みましたが、キリスト教がローマ帝国の国教となって、政治権力化してからは、宗教として原理的におかしくなったのであろうこと、そのなかで、荒野で単独で修道する人が注目され、それが、集団的な修道院としてヨーロッパに広がり、そこから大学も生まれ、宗教改革の母体ともなった、という筋道が実感されます。ウエーバーのテーゼ、資本主義の精神は内此世的禁欲である=現世で修道士としてビジネスに励むということも。
 ヒルティの幸福論も持ってきましたが、彼は教会制度や神学には批判的で、ストア哲学(マルクスアウレリウスとエピクテトス)とキリスト教(というより聖書)と、法学・法実務がベースであることを改めて認識しました。
 一高のケーベル先生や岩本先生を通じて、戦前から戦後にかけての日本の東京帝大系知識人に影響を与え、神谷美恵子さんにも続いている知的水脈ですね。
 残念ながら、このような日本の教養主義も風前のともしびですが・・・。

 ではまた。

***

 訂正、私の泊まっている女子修道院の建物(The Convent of the Presentation)は、7世紀ではなく、17世紀=1638年ごろの建築です。
 書物から抜粋しておきます。

 House Nr. 27: The Convent of the Presentation

 This convent is also called the 'New Convent' or the ' Asseldonk Convent'after Anna Van Asseldonk, a wealthy lady from 's-Hertogenbosch in the Netherlands who lived in Brussels. She made provision in her will for 5 boys who wanted to learn a trade or study the humanities, and 8 burses for "girls who wanted to learn to sew, make lace, or do other feminine hand work". Preference was to be given to poor children from her 'fatherland', 's-Hertogenbosch.

 She also provided an auxiliary legacy to build a house where the girls could have "sleeping quarters, heat and light, soup, and small beer for the thirst". Girls who wanted to become beguines could retain theiir burses during the juniorate. Anna Van Asseldonck died in 1638, and the house was duly built. Above the door is a beautiful rubensian terracotta of the Presentation of Mary in the Temple.

 

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