2017年8月1日(火)
>> ツイッターに自分の歌を載せる。それを見た人々が「いいね」を押してくれる。何も、リアルな歌会に出て、他人の批評を受けて傷つく必要はない。「歌会こわい」という声の背景には、短歌をコミュニケーションの手段だと考える人々の増大がある。そこではもはや他者の批評は不要だ。自己満足さえあればいい。
>> 批評は怖い。が、作品をそこにさらすことでしか文学は成立しない。 (歌人)
> 僕は歌会について論じる素養をもたず、「短歌の流れが二分されていくのではないか」ぐらいのテキトーな感想しか出ないが、何だか引っかかるのは「いいね」の件である。それから「コミュニケーション」のこと、歌会だってコミュニケーションには違いないが、筆者が言うのはまた別のことなのだ。この件、まだ言葉にできるほど熟していない。
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中途半端な書き方をしたために、名無しさんおよびM女史から御心配をいただいた。一言注釈。
この部分自体がそんなに難しいわけではないのだが、少し前に誰かが面白いことを言っていたのを思い出したのだ。上述の時評も言及するとおり、Facebook などでは「いいね」だけあって「よくないね」や「悪いね」がない。一見平和に見えるけれど、正体を隠して誹謗中傷やりほうだいの闇サイトと実はきれいに表裏一体を為している。(放送大学の少なからぬ先生方が、Amazon の書評で不快な思いをしているのも同列。僕もやられた。)
「健全なガチンコ相互批判」の対極にある悪しきネット病理云々みたいなことで、きちんと追っていくと相当深刻なテーマになる感じだったのに、誰から聞いたか正確にどんな論旨だったか思い出せない・・・歳はとりたくないね。
そういう次第でいったん封印したんだが、ひょとして勝沼さんから教わったんだっけ?そうだとしたら失礼、どうぞあらためて教えてください。「不登校」半分読みましたよ!
Ω
それを強く感じたのは先月のバニラエア車椅子搭乗拒否騒動です。
詳細は騒動の当事者である木島英登さんのブログをご覧ください。
http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm
驚くべきは実名のFBで木島さんに罵詈雑言を送っていた人が何十人もいたことです。記事内で彼に届いたメッセージを公開してるのですが、ほんと驚きます。元のFBの投稿は木島さん自身が削除したようですが、私ははっきりFBで実名で彼をバッシングしてる人を何人も見ました。
私は今でもネットというものに大きな可能性を感じています。無名の人が本を書けて、人によっては書籍化にこぎつける人もいる。こんなことは昔では考えられないことでした。
一方で、ネットはパンドラの箱を開けたというか表に出なかった人々のどす黒い部分も可視化してしまいました。しかも多くの人はそれが悪いことだとあまり思っておらず、実名だろうが匿名だろうがあまり関係がないということも分かってきました。
これからネットの世界はどうなっていくのか。。。