散日拾遺

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物語に見る人格類型 ①

2013-10-10 08:02:52 | 日記
2013年10月10日(木)

1964年の今日、東京五輪開幕
1969年の今日、金田正一通算400勝達成

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 「物語に見る人格類型」とはいかにも無粋。いずれ考え直すとして、ともかく書いてみる。
だいぶ前からメモしてあったものの転記と整理から始める。

 「クレッチマーの気質・体型理論」と言われて、ああ、あれかと思う人は、今時どのくらいいるだろうか。名前は知らないが図版には見覚えがあるという程度ならば、案外多いのかもしれない。一目瞭然、要は個々の人間の体型と気質の間には密接な関連があるというものである。
 図を見る前にいったんここで話を止め、上記の言明 ~ 人間の体型と気質の間には密接な関連があるということ ~ からどんなことを連想するか、問い交わしてみるのも一興かもしれない。
 ある観点からすればこれはあまりに当然で、特に気質というものを当人の嗜好や信念といった上部構造の面からとらえ、「人がその生活信条に従って自分の体型に修整を加える」という枠組み ~ いわゆるシェイプ・アップ ~ で受けとるならば、ほとんど言挙げする意味がないであろう。摂食障害に象徴される通り、ボディ・イメージ(身体像)のありようが個人の主要な徴候であるのが現代である。そこで「気質が体型を決定する」あるいは「気質の表現形式として特定の体型/装いが選ばれる」などといえば、当然すぎて重苦しくもある。

 クレッチマーの場合、話はどちらかといえば逆に流れているようである。心身相関の全体性が問題とされつつ、重点はどちらかといえば下部構造にある。

 誤解を恐れず言うとすれば、クレッチマーの所説は「気質が体型を決定する」というよりかは「体型が気質を決定する」というに近い。より正確に言うならば、身体・精神を含む全体的なシステムにおいて、体型と気質が不可分の形で決定されるというべきであろうか。そうなると、これは今日いささか挑発的な意味をもつかもしれない。
 現代は、人がコントロールできる領域をひたすら拡大しつつここまできた。いつの時代にも、身体は装いとファッションの基礎であったが、現代においては自己の身体を思い通りに形作りあやつるという欲動が、強い強迫性をもって人を縛っている。身体が、そして気質が、自力ではいかんともしがたい所与/授かりものであるという考えに、人は既に耐え得なくなっているのではないだろうか。
 クレッチマーの類型に話を戻そう。彼によればこのような気質=体型連関のあり方として、まずは大きく三つの類型を括り出すことができる。それを要約したのが下の図で、これを見れば「ああこのことか」と思う向きも多いかもしれない。
 三つの型とは、肥満型/やせ型/闘士型の三体型であり、それらが循環気質(躁うつ気質)/分裂気質/てんかん気質の三気質に対応するというのである。今日では、分裂気質は失調気質と読み替えておくべきだろう。
(続く)

【つぶやき】
・・・もっとマシな図はないかな。そしてクレッチマーの「類型」はこの3つだけではない。




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