50回目はキリが良いが、まだ半分にも達しない。
○ 守真志滿 逐物意移(シュシン・シマン チクブツ・イイ)
真(自然の道)を守れば、志は満たされ
物を追い求めれば、心もそれにつれて変わる。
李注の記載が微妙だ。後半について、こんな風に記している。
「普通の人の生まれつきの気質は、学ぶことによって変わる。善にあえば善となり、悪にあえば悪となる。心が定まらないのに物を追うから、心が変わるのである。」(イタリックは引用者)
つまり前半と後半を、「非凡」と「平凡」の対比として解釈するわけだ。
今日の教育システムは「平凡」な標準人を対象とするから、「学ぶことによって変わる気質」に善い薫陶を与え、善い気質に鍛冶することを目ざす。それが当然である。
ただ、李注の解釈によれば、それは「守真志滿」を求め得ない凡夫に対する、妥協的な方策でしかない。理想は「守真志滿」、すなわち真理の大道に根を下ろし、志満たされて何によっても変えられない境地だ。君子の目ざすところ、エリート教育である。
これは相当に議論できるし、議論を楽しめそうなところだな。僕などは、自分の心が悪しき方向に定まってしまい、善き薫陶を受けつけなくなっていることのほうが心配だけれど。
***
先週の薄暗い水曜日「通夜」の相手をしてくださったS先生と、メールのやりとり。
嘗て学生時代に、『李注』を学んだことがあると教えてくださった。
「夫唱婦随」は死語かもしれないが、「婦唱夫随」は当家の現実ではありませんかと御指摘あり。
一本取られました。
○ 守真志滿 逐物意移(シュシン・シマン チクブツ・イイ)
真(自然の道)を守れば、志は満たされ
物を追い求めれば、心もそれにつれて変わる。
李注の記載が微妙だ。後半について、こんな風に記している。
「普通の人の生まれつきの気質は、学ぶことによって変わる。善にあえば善となり、悪にあえば悪となる。心が定まらないのに物を追うから、心が変わるのである。」(イタリックは引用者)
つまり前半と後半を、「非凡」と「平凡」の対比として解釈するわけだ。
今日の教育システムは「平凡」な標準人を対象とするから、「学ぶことによって変わる気質」に善い薫陶を与え、善い気質に鍛冶することを目ざす。それが当然である。
ただ、李注の解釈によれば、それは「守真志滿」を求め得ない凡夫に対する、妥協的な方策でしかない。理想は「守真志滿」、すなわち真理の大道に根を下ろし、志満たされて何によっても変えられない境地だ。君子の目ざすところ、エリート教育である。
これは相当に議論できるし、議論を楽しめそうなところだな。僕などは、自分の心が悪しき方向に定まってしまい、善き薫陶を受けつけなくなっていることのほうが心配だけれど。
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先週の薄暗い水曜日「通夜」の相手をしてくださったS先生と、メールのやりとり。
嘗て学生時代に、『李注』を学んだことがあると教えてくださった。
「夫唱婦随」は死語かもしれないが、「婦唱夫随」は当家の現実ではありませんかと御指摘あり。
一本取られました。