2014年11月6日(木)
赦す、ということについて、何か根本的に考え違いをしているような気がする。たとえば、「赦すことは、ソンすることである」と思っているというような。
理屈ではない、現に「赦す」ことによって自由になっている人は、決して「ソン」を忍んで我慢して赦しているようには見えない。
赦せない相手がある。その相手に、今でも貸しがあると思っている。むろん自分を赦せない相手が、自分に対する貸しを勘定して利息を計算していることも、思わないではない。しかしそもそも、そんなチンケな話ではないというのだ。キミの十字架はどこへ行ったの?
あ~もう、つくづく小物なんだから・・・