2014年1月21日(火)
信濃路に 幸(さち)降り積むや 融けざるや
恥ずかしいような句だが、何しろ「さち」と読むつもりでいたのに、今読み返すと「ゆき」と読めてしまう。
万葉集の家持の歌「きょうふるゆきの いやしけよごと」が念頭にあって、雪のように良きこと積もれという凡々たる思いに過ぎないのだが、「幸」が「ゆき」と読めて「雪」に通じることには想到していなかった。
「幸」の字にも、何か深い由来のあるような気がする。そういえば機でマフラーを織ってくれた患者さんは、この字を名前にもっている。
***
昨日のA先生の問診、酒・タバコについでコーヒーについて訊かれたので、どきりとした。無類の珈琲党である。「日に2~3杯」と逆サバ読んで答えてから、おずおずと「あの、悪いんですか?」
A先生は僕の2期下とのことで、実年齢はもう少し離れているとしてもほぼ同世代なのだが、30代かと思われるように若々しい。エネルギッシュなそれではなく、気立ての良い良家のお坊ちゃんのようなおっとりとした若さで、物腰やわらかく患者としては至極ありがたい。もっとエラそうな医者が良いという向きもあろうけれど、僕はここでは「益荒男ぶり」より「手弱女ぶり」派だ。
その温顔を微笑ませて、「いえ、むしろ良いんです」とA先生。理由は分からないが、疫学調査から上がってくる事実として「コーヒー愛好者の方が肝疾患の予後が良い」というデータがあるのだそうだ。なら安心して本当のことを言えば良かった。
海難事故で漂流の末に救助された人々の逸話だったかと思うが、いつ、どこの話かはすっかり忘れた。ともかく飢餓の末に辛くも救われた人(々)が、食物よりも何よりもまず一杯のコーヒーを求めたというのだ。やや首を傾げつつ、コーヒーにはそれだけの魅力があると同感する。ああ良かった、コーヒー止めなくていいんだ。
***
ガルシア=マルケスの魅力について家人に話していたら、遅い夕食中の次男が「小説、読んでないな・・・」とつぶやいた。ちょうどその時、僕はシャツの裾をズボンの中に入れ直すところで、この瞬間に記憶の回路に小さな閃光が走った。
思い出したのはP君のことである。
母校精神科の後輩で、分かってみたら高校も同窓だった。半島系の在日で(こんな言い方をする理由の一つは、彼の由来が南だったか北だったか覚えないからで)、秀才揃いの医者達の中でも頭ひとつふたつ抜けるぐらい明敏かつ博学だった。ものすごく女の子にもてたらしいが、これは僕にはよく分からない部分がある。馴染んでも狎れない奥の深さがあるように思ったのだが。
その彼を思い出したというのは、不思議なことにこの物知りが、小説というものを全く読まなかったことがひとつ。もうひとつは1990年代後半頃、若者がシャツの裾をズボンの外に垂らすことを公然とし始めた頃に、P君はこれをひどく嫌って医局の後輩などに決してそれを許さなかったことである。奇癖というと大げさだが、全体として過剰なほどよく適応している彼の日常に、よく見れば小さなトゲのようなものが、そこにもここにも散らばっていた。
シャツを直しながら小説の面白さについて語った時、いわばP君へのリンクのキーが二つ同時にヒットした、その不思議にしばらく無言で宙を眺めていた。
一貫して過去形で書いたのは、彼が若くして不慮の死を遂げたからである。
むろん僕には大きなショックだったが、ショックの性質には一言説明を要する。自分の側で大切な友人と思っている同輩後輩に、出し抜けに旅立たれることが、これまでに三度あった。いずれも母校医科大学の同窓で、いずれも母校以外に先の大学や出身高校が重なっている。二人は同門の精神科医師であり、一人は在学中に亡くなった。
僕は名古屋の中学校を別にすれば出身校に恃むところが少なく、出身校が同じだからというだけの理由で集団を形成することが、胸が悪くなるほど嫌いである。しかしそれは集団力動の問題で、個人として出会った相手が自分とある時空体験を共有していることには、逆に強く関心をもたずにいられない。
ただそれだけのことから言っても、この三人はいずれも僕にとって特別な存在の候補だった。そして三人とも、そういう条件に依るばかりでなく、その個性によって僕にとって特別な存在だった。いずれの場合にも、僕に一言の断りもなく彼らが先立ったことが、心外であり不思議でならなかった。彼ら三人は互いに知り合うところがなかったはずで、これがまた僕には不思議でならない。同じマテリアルから作られた同じ種族ではなかったのか?
Pの訃報を聞いたとき、強い悲しみや憤りとあわせて「またか」「なぜか」と途方に暮れる思いがあったのが、「ショック」に付す脚注である。
「自分の代わりに先に旅立った」という感覚をこめて、「先発隊」と呼んでおく。
Pはその三人めだった。MとNについて、今年も折りに触れて思い出すに違いない。
信濃路に 幸(さち)降り積むや 融けざるや
恥ずかしいような句だが、何しろ「さち」と読むつもりでいたのに、今読み返すと「ゆき」と読めてしまう。
万葉集の家持の歌「きょうふるゆきの いやしけよごと」が念頭にあって、雪のように良きこと積もれという凡々たる思いに過ぎないのだが、「幸」が「ゆき」と読めて「雪」に通じることには想到していなかった。
「幸」の字にも、何か深い由来のあるような気がする。そういえば機でマフラーを織ってくれた患者さんは、この字を名前にもっている。
***
昨日のA先生の問診、酒・タバコについでコーヒーについて訊かれたので、どきりとした。無類の珈琲党である。「日に2~3杯」と逆サバ読んで答えてから、おずおずと「あの、悪いんですか?」
A先生は僕の2期下とのことで、実年齢はもう少し離れているとしてもほぼ同世代なのだが、30代かと思われるように若々しい。エネルギッシュなそれではなく、気立ての良い良家のお坊ちゃんのようなおっとりとした若さで、物腰やわらかく患者としては至極ありがたい。もっとエラそうな医者が良いという向きもあろうけれど、僕はここでは「益荒男ぶり」より「手弱女ぶり」派だ。
その温顔を微笑ませて、「いえ、むしろ良いんです」とA先生。理由は分からないが、疫学調査から上がってくる事実として「コーヒー愛好者の方が肝疾患の予後が良い」というデータがあるのだそうだ。なら安心して本当のことを言えば良かった。
海難事故で漂流の末に救助された人々の逸話だったかと思うが、いつ、どこの話かはすっかり忘れた。ともかく飢餓の末に辛くも救われた人(々)が、食物よりも何よりもまず一杯のコーヒーを求めたというのだ。やや首を傾げつつ、コーヒーにはそれだけの魅力があると同感する。ああ良かった、コーヒー止めなくていいんだ。
***
ガルシア=マルケスの魅力について家人に話していたら、遅い夕食中の次男が「小説、読んでないな・・・」とつぶやいた。ちょうどその時、僕はシャツの裾をズボンの中に入れ直すところで、この瞬間に記憶の回路に小さな閃光が走った。
思い出したのはP君のことである。
母校精神科の後輩で、分かってみたら高校も同窓だった。半島系の在日で(こんな言い方をする理由の一つは、彼の由来が南だったか北だったか覚えないからで)、秀才揃いの医者達の中でも頭ひとつふたつ抜けるぐらい明敏かつ博学だった。ものすごく女の子にもてたらしいが、これは僕にはよく分からない部分がある。馴染んでも狎れない奥の深さがあるように思ったのだが。
その彼を思い出したというのは、不思議なことにこの物知りが、小説というものを全く読まなかったことがひとつ。もうひとつは1990年代後半頃、若者がシャツの裾をズボンの外に垂らすことを公然とし始めた頃に、P君はこれをひどく嫌って医局の後輩などに決してそれを許さなかったことである。奇癖というと大げさだが、全体として過剰なほどよく適応している彼の日常に、よく見れば小さなトゲのようなものが、そこにもここにも散らばっていた。
シャツを直しながら小説の面白さについて語った時、いわばP君へのリンクのキーが二つ同時にヒットした、その不思議にしばらく無言で宙を眺めていた。
一貫して過去形で書いたのは、彼が若くして不慮の死を遂げたからである。
むろん僕には大きなショックだったが、ショックの性質には一言説明を要する。自分の側で大切な友人と思っている同輩後輩に、出し抜けに旅立たれることが、これまでに三度あった。いずれも母校医科大学の同窓で、いずれも母校以外に先の大学や出身高校が重なっている。二人は同門の精神科医師であり、一人は在学中に亡くなった。
僕は名古屋の中学校を別にすれば出身校に恃むところが少なく、出身校が同じだからというだけの理由で集団を形成することが、胸が悪くなるほど嫌いである。しかしそれは集団力動の問題で、個人として出会った相手が自分とある時空体験を共有していることには、逆に強く関心をもたずにいられない。
ただそれだけのことから言っても、この三人はいずれも僕にとって特別な存在の候補だった。そして三人とも、そういう条件に依るばかりでなく、その個性によって僕にとって特別な存在だった。いずれの場合にも、僕に一言の断りもなく彼らが先立ったことが、心外であり不思議でならなかった。彼ら三人は互いに知り合うところがなかったはずで、これがまた僕には不思議でならない。同じマテリアルから作られた同じ種族ではなかったのか?
Pの訃報を聞いたとき、強い悲しみや憤りとあわせて「またか」「なぜか」と途方に暮れる思いがあったのが、「ショック」に付す脚注である。
「自分の代わりに先に旅立った」という感覚をこめて、「先発隊」と呼んでおく。
Pはその三人めだった。MとNについて、今年も折りに触れて思い出すに違いない。