散日拾遺

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再生を願う

2016-02-03 23:42:51 | 日記

2016年2月3日(木)

 清原を惜しむ。人一倍に。

 もうだいぶ前から、いずれこの種のことが起きるのではないかと思っていた。事情を知る者はみな同じ懸念をもっただろうが、いっそ早く起きれば良いと願ったのは、少しでも早く彼を止めて欲しかったからである。

 高校野球ファンでしかも四国贔屓だから、蔦監督率いる池田高校を熱烈に応援したのは当然のこと。夏春夏の3連覇という前人未到の偉業を、本当にやってのけるかもしれないと思われた83年夏の準決勝、彼らの前に立ちはだかったのがPL学園だった。主戦投手・桑田真澄、主砲・清原和博、ともに一年生。7対0の完勝である。僕は西陣・堀川病院での学生実習を終えて、牧師の叔父と醍醐寺を見物に出かけており(!)、帰途に街頭のTVを見て叔父と二人呆然とした。その夕、帰京する駅の売店あたりで、号外を見た子どもたちが「やった、PL勝ちよった!」と関西弁で(あたりまえだ)大騒ぎしていたっけ。

 それから5回続けてKKは甲子園に君臨し、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回という、途方もない成績を残した。(敗れた相手は、岩倉高校、伊野商業、取手二高、5年間に3校だけである。)むろん二人だけで勝てたのではないけれど、彼らの存在感は傑出していた。特にどちらかといえば「陰」の桑田に対し、やんちゃ坊主がそのまま大きくなったような清原の「陽」が、決してPLを応援したのではない僕などにも好ましく見えた。「何でそんなに打てるの?」とインタビュアーに訊かれ、「母さん丈夫に生んでくれたから」と即答した少年の笑顔を今も思い出す。お母さん、つらかろう。

 清原の打撃のすばらしさは、さほど強振しているとも見えないのに打球が軽々と飛んでいくことだった。テークバックが小さく、フォロースルーが大きい。ブレることなく最短距離でとらえたボールを、グンと大きく運ぶ。もともとそういう風だったが、プロ入り後しばらくして落合博満のバッティングに学び、球を引きつけてバットに乗せる感じがいっそうはっきりした。「桑田は10年に一人の名選手だが、ひょっとしたら清原は100年に一人の逸材かもしれない」と思った。高校卒でもあり、どんなものすごい記録を残すかとも。

 どこでどう間違ったのだろう?原因か結果かわからないが、読売へ来たあたりからおかしくなったと思う。西武に留まって、ミスター・パリーグであり続ければ良かったのだ。

 再生を、心から願う。


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