散日拾遺

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理論と実証 / 4「な」の禁

2015-10-07 08:12:27 | 日記

2015年10月7日(水)

 日曜日は入試の本部待機当番で終日大学。月曜日はラジオ教材を2回分収録。火曜日はA君のクリニックでお手伝い。ちょこまか働いているうちに、日本人のノーベル賞受賞者が二人出た。これで通算24人だそうである。その中には元首相のノーベル平和賞という意味不明のものが含まれ、文学賞については個人的に腑に落ちないところもあったけれど、自然科学系については総じて素晴らしく、素直に拍手喝采である。「カミオカンデ」の由来 ~ 神岡鉱山の歴史とその「再利用」 ~ を思えば、なおさらしみじみ感じるところがある。しかも同世代の人だ。

 一人目の湯川秀樹氏が中間子の予測、24人目の梶田隆章氏がニュートリノに質量があることを実証、いずれも素粒子論だが、理論と実証の対照が面白い。梶田氏はインタビューでも実証・実験の重要性を説いたらしいが、どちらも不可欠なのは云うまでもない。予測や理論は実証で裏づけられ、実証や実験は理論に導かれるのだから、初めから不可分のものである。ことさら梶田氏が強調した背景には、実証・実験が不当に軽んじられている現実があるのかもしれない。小学生が実験プロセスに関心をもたず、答えがどうなるのか知りたがることとか?

 アリストテレスが「真空中では重いものほど速く落下する」と推論し、それが正しいこととして長く信じられた。これを2千年近く後に、ガリレオがピサの斜塔の実験で覆した。だから実証が大事で理論は虚妄、とはいえない。アリストテレスの「理論」があったからこそ、その真偽を「検証」しようとする動機も生まれてくる。「重いものと軽いものと、どちらが速く落ちるか?」という提題の形で投げかけられていれば謙虚かつ建徳的であったかもしれないが、理論が時宜を得て展開するときは疑問を置き去りにする足早も伴うだろう。問題は問うことを許さない硬直した権威主義で、それが理論の姿を借りて人を圧する時、千年の禍根が生まれる。

 

 今朝のラジオでは、先月24日に首相が掲げたアベノミクス新三本の矢について、金子氏が皮肉な論評をした。新三本の矢とは「一億総活躍社会」のスローガンのもとに、

 ① 「希望を生み出す強い経済」(具体的には「戦後最大の国民生活の豊かさ」すなわちGDP600兆円)

 ② 「夢をつむぐ子育て支援」(「希望出生率1.8の実現」と「教育再生」)

 ③ 「安心につながる社会保障」(「介護離職ゼロ」「ずっと元気で生涯現役社会」)

を目ざすものであるらしい。氏によればそれぞれが現に行われていること、行われようとしていることと多くの矛盾を孕むうえに、いずれも達成までに10年単位の長期を要するところがミソだという。これを誇らかに謳いあげた現首相が、その実行実現にいつまで関わるか疑問であり、従って彼の「理論」の正しさや達成度は「おそらく検証不能に終わるだろう」というのである。

 ついでに恐ろしいのがTPPだが、残念ながら僕の懸念は直感/直観の域を出ない。碁に関する限り、直感/直観のあたったタメシがないからね・・・

***

 毎日慌ただしい中、土曜日についにガラケーからスマホに乗り換えた。契約から何からすべて家内任せで、僕は閉居しつつ不善を為すばかりである。予想どおりスマホとは賢いものだ。といっても、今どき取扱説明書など付いてくるわけでもなく、これまた予想どおり高校二年の三男が何から何まで教えてくれた。精神医学などで壮年期のメンタルヘルスの危機的状況を解説するとき、「あまりにも技術・情報の進歩のスピードが速いので、昨日学んだことが今日はもう役立たない、なので地位・権限や一般的な人生経験では後輩である若者たちと、今日ただいま役立つスキルの面で逆転現象が生じている、そのために云々」などと長広舌をふるうが、要するにスマホの使い方を壮年の両親が十代の息子に教わるという図である。

 ブログでもさんざんスマホの害を難じてきたし、手のひら返しをするつもりはない。スマホを使ってもスマホ族にはなるまい、そのために自分にどう縛りをかけるか。しばらく考えて、3つの「な」を禁じることにした。

 1. ながらスマホ禁: これは駅の構内放送が日夜たえず呼びかけている。ポイントは「歩きながら」にあるのだが、少し広げて考えよう。たとえば公共の場に立ち尽くしてスマホにふけるのは「歩きスマホ」に準じる迷惑行為である。スマホを使うときは柱の陰に引っ込むぐらいの配慮が必要だ。「(公共の場に)立ちながら」も「ながら」に加え、これを厳禁とする。

 2. なんとなくスマホ禁: 手持ちぶさたの時に何となくスマホをいじるのがみっともなく、濫用の始まりでもあるだろう。目的をもった作業以外では使わないこと。

 3. ながい(長時間の)スマホ禁: 必要な作業でも、長くなりすぎてはよろしくない。できるだけ短時間で切り上げる。

 以上を意識して1~2日経過するうち、もうひとつ思いついた。スマホユーザーは皆、生(なま)指で操作している。なのでタッチペンが使えることに気づかなかった。使えるのである、当然ながら。それならと、もっぱらタッチペンを使うことにした。画面が指紋で汚くなるのを防ぐ意味もあるが、ポイントはそこではない。タッチペンだと両手を使わなければならないから、横着な片手操作ができなくなる。立っている乗客の片手スマホの手が滑って、座席の客にあわやという場面を何度も見た。それを防ぐ意味もあるが、そればかりではない(それだけなら上記1で足りる)。タッチペンを使うと、スマホはちょうど紙ベースの手帳を使うのと同じ感覚になる。これはかなり大きな使用感覚の違いで、うまいことに上記の1,2,3が自動的に解消する効果があるようなのだ。(ながら手帳とか、問題になった例しがないし、取材メモとかアイデアの書き込みでもなければ、長時間する人いない。そうでしょ?)

 なので実はこれが最強かもしれないと期待しつつ・・・

 4. なま指スマホ禁

 以上、4「な」の禁をもってスマホ使用開始、さてどうなりますか。

 

 

 


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