2015年5月30日(土)
予定あり、上野へ出かける。
帰り道、入谷口改札へ登っていく階段の下でリュックを背負った若い女性が二人、通りすがりの婦人に何か尋ねている。今時の日本の若者に交じれば、二人ともかなり小柄である。明るい大きな声で、少したどたどしいが丁寧な日本語が聞こえる。
近づくにつれ、日に焼けて人懐こい丸顔が見えてきた。上野公園へ行きたいらしい。
訊かれた婦人は親切に教え、訊いた女性らは「ありがとうございます」を繰り返して何度も頭を下げる。
同じ方向なので、階段で並んだ時に「上がって左へ、すぐですよ」と口添えすると、また丁寧に礼を言ってお辞儀する。自前の習俗か、日本ではそうするよう教わってきたのか、ひたするら慇懃で頭が低い。
どこから来たのかな、マレー系ではなさそうだし、タイ人とも違うようだ。
「ベトナムから来ました。」
「ようこそ、ベトナムはホーチミンからですか?」
「そうです。」
そう答えてから考え顔になり、
「ベトナムに行ったこと、ありますか?」
行かなくても、ホーチミン市ぐらい日本人なら誰でも知ってるよと言いたいが、おそらく嘘になるんだろう。それより僕は「サイゴン」と言いかけて呑み込み、「ホーチミン」に変換した自分の年齢を思った。
「ないです。行ってみたいけれど、まだね。アオザイを着たベトナムの女性たちは、きれいでしょう。」
伝わったかどうか、わからない。また何度か礼を言いながら、彼女らの関心は前へ向かっている。
「あ、ほら書いてあるよ、パンダって。こっちだ!」
二人でもつれるように、動物園目指して駆けていった。
***
小学生の頃、毎日のニュースでベトナムの戦争が語られない日は稀だった。
ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の攻勢が激しさを増した。旧正月で一時停戦があった。B52がハノイ周辺に激しい空爆を加えた。B52は沖縄・嘉手納から飛び立っている。激戦でユエの王城が破壊に瀕している。ベトコンがサイゴンに迫った・・・
開高健が『輝ける闇』の中で、主人公とアメリカ軍将校との会話を記していたと思う。将校はこの戦争を、共産主義に対して民主主義を守るものと位置づけ、その認識が日本人に共有されないことを訝しむ。主人公は、多くの人々に「超大国アメリカがアジアの小国をいたぶっている」と映ることを指摘する。確かそんな趣旨だったが、記憶が怪しい。
記憶はさておき、またあらゆる重要なディテールまでもさておいて、「超大国アメリカ vs アジアの小国ベトナム」という図式は確かにある説得力をもったのだ。それは一般的な判官贔屓の次元を超えた根をもっている。歴史の現実と重ねるのは気が引けるけれど、例の悪名高い『地獄の黙示録』のジェットヘリ突撃の場面で、攻撃されるベトナム人の側に完全に同一化している自分を見出したときは、自分でも驚いた。イメージの中でその場面は、1945年冬から夏までの日本の光景とオーバーラップしていた。体が震え、涙が出た。
ベトコンがサイゴンを制圧して勝利をおさめたとき、理屈抜きに快哉を叫ぶものが自分の内にあったことを否めない。日本は焦土になり、アメリカに敗れた。ベトナムは焦土になったが、アメリカを撃退した。
レ・ドク・トだったと思うが、「あれほどの被害が出ると知っていたら、たとえ勝てるとわかっていても戦争には踏み切れなかっただろう」と後に述べている。これは坂本先生から国際政治学の授業の中で教わった。そういうものであるらしい。
彼女らは20代も前半だろうか、すると戦争は彼女らの生まれる15年以上前に終わっている。僕にとっての日米戦争と、ほぼ同じ隔たりである。
楽しんでください、日本を、平和を。