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散日拾遺

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枇杷晚翠 梧桐早凋 ~ 千字文 096/被爆アオギリ、東京都立大学

2014-08-16 08:37:49 | 日記
○ 枇杷晚翠 梧桐早凋
枇杷(びわ)は晚翠、晩く(冬に)なっても緑を保つ。
梧桐(ゴトウ、あおぎり)は早凋、秋早々に葉を落とす。

 土井晩翠、川東碧梧桐といった文人の名が連想される。
 「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」とも。

 ふと思い出した。広島に被爆アオギリというものがある。その子がトルーマン図書館の庭に植えられていることを、今日はじめて知った。末尾に Wiki からコピペする。

 連想の連想、東京都立大学はアオギリをシンボルとしていた。首都大学東京への改編時に総長の職にあり、大いに抵抗なさったのが教育学者の茂木俊彦先生。その後、桜美林へ移ってこられたので、いろいろと伺う機会があった。同先生は卒業式の式辞でアオギリに仮託してメッセージを発せられた。
 『都立大学に何が起きたのか - 総長の2年間 - 』(ISBN 4-00-009360-6 C0336)、岩波ブックレット所収の興味深い労作である。

***

【被爆アオギリ】
 広島県広島市中区中島町の広島平和記念公園内に生息する、被爆した樹木のアオギリ。
 広島市が選定した被爆樹木の一つであり、その中でも代表的なものである。現在は、広島平和記念資料館東館の北側に2本生息している。6月から7月にかけて黄色い花を咲かせる。なお、その付近に被爆アオギリ二世と見られているアオギリも自生している。
 最初の植樹時期は不明。元々は別の場所に植えられており、戦中は広島逓信局の中庭(のちの日本郵政公社中国郵政局、現日本郵政グループ広島ビル付近)に、4本生息していた。1945年8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆。爆心地から約1.30キロメートル離れたところに位置した。逓信局敷地内の建物の影にならず爆心地方向からまともに原爆の熱線と爆風を浴び、4本のうち1本が焼失したものの、残り3本は奇跡的に助かった。翌1946年春には芽が咲いている。1973年、中国郵政局が新庁舎に建て替えることになったことを機に、被爆アオギリは現在の平和公園内に移植された。移植当初は3本生存していたが、うち1本は1996年に枯れてしまった。残った被爆アオギリも落書きの被害を受けたり、平成16年台風第18号で倒壊したりしているが、市により復旧保全されている。

【被爆アオギリ二世】
 残る2本から取れる種やそこから育てた苗木「被爆アオギリ二世」は、広島市の平和活動の一環として日本国内のみならず世界中に配布され、植えられている。あわせて長崎市では、長崎原爆における代表的な被爆樹木である山王神社の「被爆クスノキ」二世も同様に配布されている。
 原爆投下命令を下したハリー・S・トルーマンアメリカ合衆国大統領が建てたトルーマン図書館の庭には、彼の孫の手により被爆アオギリ二世が植えられている。

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