散日拾遺

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12月8日

2013-12-08 07:50:28 | 日記
2013年12月8日(日)

 12月8日と聞いて「真珠湾」が浮かぶ人は、今どのくらいいるのかな。こちら側で、またあちら側ではどうだろう。
 アメリカでは12月7日だが、少なくとも1994年の渡米当時は日本以上によく覚えられていた。セントルイスの地方新聞にも、戦没した家族の墓に詣でる人々の写真が載った記憶がある。
 お隣のサラが晩のお茶の時にちょっと声を落として、「真珠湾のことで、何かイヤな思いをしていない?」と訊いてくれたことがあった。「あの戦争で家族を亡くした人は、あなたたちの中に多いでしょうけれど、ここにもいるから」と、それはそうに違いない。何か非難めいたことが言われていたのかもしれないが、僕らの英語力で聞き取れる範囲には何も起きなかった。ミズーリは原爆投下を指示した(追認した?)トルーマン大統領の出身地だが、それは言わば別の話で、セントルイス界隈はその種の排他性と最も遠い気風の土地だった。
 今朝の天声人語が、『断腸亭日乗』(荷風)と『太平洋戦争日記』(伊藤整)から引用している。「人々みな喜色ありて明るい」(後者)等々、想像に難くない。戦争は盛大な祝祭である。ナチスはそのことを十二分に活用し、長く深刻な不況のもとで沈みきっていたドイツ人を祝祭の陶酔で魅了した。
 「戦争=祝祭論」は、動き出した戦争を止める難しさをも説明する。祝祭の興奮に水を差すぐらい危険なことはない。駅頭のケンカを止める比ではなく、文字通り血祭りに挙げられかねない。(ケンカがまた小さな戦争/祝祭であることを考えるなら、実は同根なのだけれど。)
 天声人語子は、いま12月6日を忘れるなと言う。残念だが同感だ。

 放送大学・生活と福祉コースでは本日、卒業論文の発表・審査会。全国から学生が集まってくる。
 12月の平和な一日である。

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