散日拾遺

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はちきん / 同情と共感

2018-05-01 11:37:49 | 日記

2018年4月27日(金)

 被爆二世さん、いつもコメントありがとうございます。倉成塾・高知の部、楽しかったですね。

 「いごっそう」は知っていましたが、「はちきん」は今回初めて知りました。これについて、Wikipedia に面白いことが載っています。曰く…

 ・・・土佐の男はギャンブル投資額・飲酒量・テレビや映画の視聴時間の長さ・飲酒以外の浪費などにおいて、全国一の怠け者揃い(要出典!)、それに比べて土佐の女性は働き者の敏腕家。隣接する愛媛県では「高知から嫁を貰え」というくらいである。これは、愛媛の男は「優しいが少々頼りない」傾向で「高知の女性に(精神的に)鍛えてもらえ」という意味合いがある・・・

 私などは頼りない伊豫の優男の典型でしょう。つれあいは高知の出身ではありませんが、腑に落ちるものがあります。揶揄しているようで実は褒め言葉なのは「かかあ天下」などと通じそうですね。「はちきん」の語源として通常言われる説は、とてもブログにあからさまに書けるものではありませんが、Wiki にもあるように「はち」がお転婆に通じ、いかにもハッチャケてるというのが正しいのではないかと愚考します。

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 「同情と共感」は被爆二世さんから御下命のあったテーマでしたが、久方ぶりに話題にできて非常に楽しく充実した時になりました。感想を拝見して驚いたのは、多くの人が「共感が正しく、同情はいけない」と思っていることです。これがカウンセリングや心理療法の訓練の結果だとしたら、指導の仕方が根本的におかしいと私は思いますよ。

 ガイアでのやりとりの中で、とっさに「同情は空腹と同じで否応なく生じるもの、良いも悪いもない」と言ったこと、自分としては気に入っています。空腹の強度に個人差があり、人/病理によっては空腹の否認が起きることもよく似ており、そのことからも分かるとおり同情 sympathy は共鳴 resonance などと表裏一体の、生理/心理的必要から立ち上がっているものです。良いも悪いもありません。

 問題はその後で、自身の同情に無反省に呑まれて言語化したり行動化したりするなら、空腹の命ずるままに食い散らかすことと同じく、エゴイズムの発露と自己満足(あるいは自己不満足)に終わってしまうでしょう。同情を素材とし、あるいは原動力としながら、相手を理解し援助するために頭を働かすところに、共感の醍醐味が生まれてきます。とはいえ、そもそも同情が生じないようであれば共感の成立する基盤がありません。空腹を知らない人が、美味しい料理のレシピを理屈で考えるようなもので、そんな人に共感を学んでほしいとも思いません。論理的にも倫理的にも、同情なくして共感は成立しないはずです。

 大したことを言っているわけではないので気が引けますが、あの場のやりとりで「同情は悪くないと知って気が楽になった」とおっしゃる方が多いとすれば、繰り返し伝える意味があるかもしれないと思います。

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 光市の事件について、言及してくださりありがとうございました。考えるだけで正気を保てなくなりそうで、うなされて飛び起きたこともありました。赤の他人の私ですらそうなのです。どんな言葉も表しきれない、どれほどの苦悩があったことか、それを抱えて生き続ける日々がどんな地獄であったことか。

 それでもそこに支える意志があり、意志をもち続けた人々があった。そして木村さんは絶望と闘ったのですね。

 まだ、この国は生き延びていけるかもしません。compassionate cities (共感都市)などというものも他のすべての理想と同じく、人々がやむにやまれず既に着手していることの中にこそ、実現への道が見いだされるのでしょうから。

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コメント: 2018/4/30 03:01

タイトル: 同情と共感

 土佐弁「おいでてますよ!」…温かい響きですね。いごっそう、はちきん…土佐人の気質も初めて知りました。

 「同情と共感をめぐって」のご講話ありがとうございました。多角的に教えていただき、私たちの中に自然と湧き上がる同情心を肯定すると共に、人との境界線と、相手の感情に巻き込まれ、流されない共感を意識しようと思いました。

 10年前の本ですが、門田隆将著「なぜきみは絶望と闘えたのか」(新潮社)を思い出しました。1999年に起きた山口県光市で起きた母子殺害事件の被害者の本村 洋さんの3300日。ある日突然、18歳の少年に 妻と幼子を殺害され、痛々しい遺体を発見した当日23歳の本村さんは、どんなにか苦悩したでしょうか…

 この本を読んで、多くの同情と共感、コミュニティが 彼を支えたのだと、私は思いました。死と隣り合わせだった本村さんを支えたコミュニティの存在…

 同情と共感のコミュニティがあるからこそ、人は支えられ、勇気をもらうから、人にも優しくなれるのだと思います。コミュニティ、大切ですね。

Ω