散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

生命の庭、養いの木/訃報2件

2016-05-03 12:10:55 | 日記

2016年5月1日(日)

 何しろ美しい季節である。

 柔らかな緑があたり一面を覆っている。朝起きてガラスを開け正面に見える西の庭は、正面にオオデマリ左手にコデマリ、いずれ劣らぬ大小の純白がくっきり空中に浮かんでいる。石とツツジの多い庭で、桃色、白、赤、思い思いに咲き乱れている。前庭の東南隅に桜が5~6株、ソメイヨシノではない地味な花だが、小さなサクランボをたくさんつける。27日(水)に着いたときには完全保護色の薄緑で、よく見なければ分からなかったが、日ごと鮮やかに色づいてさながら宝石のよう。歩調を合わせるようにウグイスも日を追って上達の喉を聞かせている。

 

 中庭の入り口にぼんやり立っていると、どこかから「ワ~ン」というような低い唸りが聞こえている。機械音のようでもあり、巣に群れる蜂の羽音のようでもあり、遠く微かながら途切れることのない連続音である。音源を探して右左をくまなく見回し歩き回り、やがて青空を振り仰いでどうやら見つけた。音源は頭上の樹冠である。

 何の木だろう、ずっと前に「タイサンボク」と教わったような気がするが、花がまるで違う。卒業した高校の校章にもなっていたほっこりした大輪とは違い、地上3~4mほどの高さにこんもりと生い茂った樹冠の外側に、白い小さな花が無数についている。そこに大小の昆虫がそれこそ数限りなくとりついて、てんでに蜜を吸っているようなのだ。蜂やアブの類いのようだが肉食のアシナガバチの姿はなく、僕にはとても特定できない多彩な大きさと種類の顧客が、互いに争う様子もなくそれぞれの作業に励む、それらの羽音が総体として「ワ~ン」というひとつの唸りになっているのである。

 

 (↑ 写真がヘタクソなのだ。写っている樹冠は地上3m余である。拡大してみると、黄色みがかった花房に蜂やら羽虫やらがとりついている姿が、この1枚の中にもかなりたくさん数えられる・・・はずである。)

 そういえば名を知らぬこの木は、夏になると木肌にセミが引きも切らずにとりついて、とがった口吻を刺しこんでいる。樹液がよほど美味しいのであろう、それと蜜の美味との関連は僕には分からないが、何しろ途方もなくたくさんの命をこの一本の木が養っている。驚くべきものだ。

 「生命樹」ということを思った。そのような信仰が世界各地にあって、何の不思議もない。

 

(『世界樹木神話』ブロス/藤井他 八坂書房 )

***

 こんな日なのに、あるいはこんな日だからか、訃報が画面に2件続けて現れた。

 ひとりは ~ 実名でもよいかと思うが Wikipedia にはまだ反映されていないので念のため控える ~ 精神分析の領域で広く知られたM先生である。先生が主宰される精神療法研究グループのMLで回ってきた。

 弟子筋の人々が周りを大勢固めており、僕は紹介論評する立場にない。ただ、言ってみたいことは、なくもないのである。

 ごく簡略に済まそう。M先生御自身に対して「言いたいこと」は、基本的に称揚と感謝に尽きる。自由人であり、時流におもねることなく言いたいことを言い、行動したいように行動なさっていたと思う。何より好感を抱いたのは、分析という取り扱い重大注意のツールを自らの防衛や合理化のために使うところが、皆無といわないにしてもきわめて少なかったことだ。その正反対の自称「分析家」たちが、分析そのものを内側から台無しにしながら臆面もなくそこらをのし歩く姿を、イヤというほど見てきている。M先生は腹が立てば単純に怒ることのできた人で、妙な理屈でそれを合理化する必要もなければ嗜好もなかった。

 要は分析家にしては珍しく朗らかに風通しのよい人で、亡くなられたことが珍しくも素直にさびしいのである。人生のもっと早い時期に出会っていたら、深い関わりを与えられることになったかも知れない。

 もうひとり、こちらは実名を記すことができないし、記したところで世間一般には何の意味もない。たいへんな読書家・博識家であり、教会でたいへんお世話になった。それだけにある時期以降の関わりについて、不本意の思いを禁じ得ない。といっても、僕の側でできることは何もなかったのだけれど。

 「主は与え、主は奪う/主の御名はほむべきかな」(ヨブ記 1:21)

Ω

 


ゲーム差のトリック

2016-05-03 11:42:59 | 日記

2016年5月1日(日)

 水曜日に着いたときはまだツバメの姿がなかったが、木曜日には柿田の離れ地の頭上を飛ぶ姿を認め、金曜日には我が門裏のお決りの位置にツガイが巣作りを始めている。空中で立ち止まって(?)互いにコミュニケートする姿などあり、世代は改まっているだろうに間違いなく同じ場所に戻ってくることを含め、総体として決して賢いとは思えないこの鳥の「知恵」に今年も感心する。運をも運んできたかスワローズ連勝の翌朝、機嫌良く愛媛新聞など見ていると、面白い記事。パリーグではソフトバンクが首位だが、いわゆるゲーム差計算では2位のロッテが0.5差でトップということになる。もちろん本当の順位は勝率で決めるのだけれど。

 ふと思いついて、「こういうことが起きる条件を求めよ」と3匹の子豚にラインで投げたら、案の定クイズ大好きの次男が食いついてきた。彼の論によれば、

 チームX: a勝b敗 

 チームY: c勝d敗

とすると、勝率はそれぞれ a/(a+b) と c/(c+d)

いっぽう、ゲーム差は (a-b) と (c-d) の比較によって与えられる。
そこで今、Xが真の一位であるとした場合、ゲーム差ではそれが逆になるということは
 a/(a+b) > c/(c+d) ・・・①
かつ
  (a-b) < (c-d) ・・・②
これが求める条件ということになる。
実際、今朝のデータではX(ソフトバンク)は14勝8敗3分で勝率.636、Y(ロッテ)は17勝10敗1分で勝率.630。a, b, c, d にそれぞれ 14,8,17,10 を代入すると、確かにそうなる。
 
 面白いのは次男が唯一の文系学生であることで、こんなことをとっても文系・理系なんて相対的なものなのだ。それはさておき、①を変形すると ac という項が消え、下記のようになる。
 ad-bc/(a+b)(c+d) > 0
 分母は正に決まってるから、結局これは
 ad-bc > 0 ・・・③
 なので②かつ③が求める条件なのだ。次男は続けて直感的に理解できるよう、図示することなんか考えてるみたいである。
 
 後は任せた、よろしく!
Ω

大間違い m(_ _)m

2016-05-03 11:31:44 | 日記

2016年4月29日(土)

 韓国・朝鮮語でヘビはというんだそうだ。

 カタカナで書くなら「ペム」である。同語特有の「語頭清音」ルールを考慮すれば「ペ(pe)」は「ベ(be)」と等価で、p/b はヨーロッパ語では h/k とは別系列になるだろうが、h を喉から出さず、むしろ f に近く発音する僕らのやり方ではむしろ h に近い。(coffee を日本人は「コーヒー」と呼び、韓国人のそれは僕らには「コピー」と聞こえる。)ムはもちろん「m」である。(日本語のように mu とは言わない、子音の m だけど。)

 理屈はたくさん、「ペム」と「ヘビ」が似てるか似てないかと言えば、やっぱり似てるんでしょうよ。HxBy は半島をも覆っているというわけだ。

 うーむ、外してしまった・・・

Ω


HxBy は何の徴?

2016-05-03 10:49:04 | 日記

2016年4月29日(土)

 「水路の山側はハブが出るから用心せいよ」と父が言う。

 言い間違いなのはすぐに分かるが、人が思うほど大きな間違いでもない。ここ伊豫松山は琉球列島と違って、いわゆるハブは出ない。ただしマムシがいる。父が警告したのはそのことで、ここらではマムシのことをハメと呼ぶのだ。ハメをハブと言い間違えたに過ぎず、趣旨は明瞭に伝わっている。

 ふと思ったのだが古い言葉の中に、おそらくは南方系の語彙でヘビ一般を表す言葉があり、ハブに近い音価をもっていたのではないか。仮にそれをHxByと表記し、x,y には母音が入るとしよう。それが北へ伝わるにつれ、琉球では x = a, y= u で「ハブ」となり、ヤマトでは x = e, Y = i で「ヘビ」となった。いっぽう四国のこのあたりでは、x = a, y = e となり、ついでに B が M に転化して「ハメ」となった。(B と M はいずれも上下の唇を合せて出す音で、相互変換は容易に起きる。)

 爬虫綱有鱗目ヘビ亜目を「ヘビ」と総称し、その中にハブやマムシを置くというのは、例によって出来上がりから振り返る学校の勉強である。HxBy という原型があって、これをその地域で最も存在感の大きい(端的に言えば最も危険な)クチナワの呼称にあてたというのが、実際に起きたことではないかしらん。

 そういえば昔、HBウィルス(B型肝炎ウィルス)の表面抗原が「オーストラリア抗原」と呼ばれた1980年前後、抗原型の分布を人類学的研究に応用した結果、日本列島では北と南に本来同一グループであった先住民の子孫が分布し、列島の中部に異質なものが割り込んでいるという趣旨の報告が出たことがあった。その他諸々のデータとあわせ、描かれる図式はあらまし以下のようなものである。

 そのかみ、日本列島にはポリネシア系の先住民が広く分布していた。そこへ朝鮮半島から北方系の民族が大挙渡来し、北九州から近畿地方へ入って定住したため、先住民たちは南北に分かれて退く形になった。南の人々は熊襲(クマソ)、北の人々は蝦夷(エゾ)という形で記録に残っている。やがて、列島の中央を制した渡来人の中から支配王朝が成立することになるが、このような経過でそこにいわば混成国家が成立する場合、新たな公用語の文法は支配者側のそれが維持されるものの、その語彙の中に先住被治者の言葉が多くとりこまれることが、世界各地の実例から指摘されている・・・

 日本語の文法構造が韓国・朝鮮語のそれと酷似すること、周知の通りである。日本古代の支配民族は、いわゆる任那日本府あたりを故郷とする半島出身者であっただろうと、人も言い我も同感する。その僕らの言葉の中に、多くのポリネシア的要素が存在することも誰もが言うところ。うろ覚えだけれど、「いろいろ」とか「さまざま」とかの繰り返し言葉(これがなかったら日本語じゃない!)は明白に南方ポリネシア的なもので、韓国語にはないとか少ないとか聞いたな。

 なら(奈良)は韓国語のナラ(今はハングルが打てない環境なので・・・)と同根かもしれないが、おそらく韓国語でヘビを HxBy 式には呼ばないはずだ。このあたりに僕らの生い立ちが微妙に刻まれているのではないか・・・

 などと思い巡らしつつ、大日の草を刈る。楽しい昭和の日である。

Ω