散日拾遺

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国のまほろば

2014-10-21 06:02:36 | 日記

2014年10月21日(火)

聞き手 「理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、現実的な議論をすることが、成熟した大人の態度と言えるんじゃないですか。」

内田樹 「それのどこが『大人の態度』なんですか?人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ、現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。」

 例によって歯切れの良い内田節である。「インタビュー」はカジノ法案審議開始をテーマにしているんだが、このフレーズは普遍性の高い言明だ。

 厄介なことに、カジノ法案を推進しようとしている現首相は彼流の「理想」実現を固く心に誓い、決してそこからブレようとしない。それに対抗するにはこれに負けない強靱な別の「理想」が必要で、「成熟した大人の態度」とかいって骨惜しみを正当化していると、コケの一念に手もなく寄り切られるのが目に見えている。

 「ならぬことは、ならぬのです。」

 あ~あ、まずは自分自身に、よく言い聞かせないと・・・

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 木曜日にT君からたくさん教わった中の一つ、アイヌ語で水のことを「ワ(ッ)カ」と言うんだそうだ。稚内(わっかない)の地名はそれに由来するんだが、和歌山の「わか」もこれではないかとの説があるという。

 びっくりだがありそうなことで、非常に触発される。お隣の「奈良」は、韓国・朝鮮語で「国」を意味する「ナラ」と同根という説があるだろう。奈良・和歌山は日本の文化の源泉ともいうべき深奥の一帯、その地名に先住民の言葉と半島系の言葉が並んで残っているとしたら、何と不思議で素晴らしいことだろうか。

 日本の美しさはこういうところに由来する。カジノが栄え武器輸出で稼ぐ下品な国の、どこがどう「美しい」のか、どうにもさっぱりわからない。それは現実主義の果実などではなく、強固で偏狭な信念の要請だ。

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 日曜日にS教会でしたのとよく似た話を、今日は同じ千葉のA市の講演会で話すんだが、日曜日は幼稚園の60周年記念行事、今日のは「人生100年時代の健康作りセミナー」というのが面白いだろう。世代を問わず人生航路を貫く、人として必須の教養に関わることだと威張っておこう。

 主催するNPO法人の名に「まほろば」が入っている。これも古く美しい言葉で、案外アイヌ語に通うものがありはしないかと直感・・・というより期待する。ヤマトとアイヌでは敵対的なようだけれど、「和歌山」の例もあることなれば。

 さしあたり下記、命数を限られた倭建(ヤマトタケル)、切々たる望郷の歌だ。

 倭は 国のまほろば

 たたなづく 青垣

 山隠れる 倭しうるはし